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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
最終章
43/46

もう絶対にあの子には返さない

「……本当だよ。でも、最後まではしてない。裸にもなってない。そんなの私の好きな人にしか、見せたくなかったから」




 迷ったあげくに言い訳がましくそんなことを言って、やはり自分でも見苦しい言い訳だと思う。




 裸にもなっていないのがどうしたというのか。最後までしていなくても、復讐のためにオトコの性欲を満たしたという事実は変わらない。好きな人にしか裸を見せたくないなんて、都合のいい言い訳にもほどがある。




 私は高橋くんのハンカチを握りしめ、涙の染みこんだ畳を見つめた。そんな私の耳に、高橋くんの息を吐き出す音が聞こえる。




「あぁ、そっか、そのくらいだと思った。長谷川が……、そのなんていうか、そういうのに流される感じがしなかったからさあ。なんかちょっと安心したっていうか、ホッとしたっていうか。あ、一緒の意味か」




 少し笑いながら高橋くんはテーブルの脇にあぐらをかいて座り、もう一度小さなため息をつく。私にはどうして彼がこんなに落ち着いていて、冷静で、そして私に優しいのかが理解できなかった。




 普通なら自分の父親と援交をしそうになった同級生など嫌悪すべき対象だと思う。それなのに私の言ったことすべてを受け止めてくれて、それを理解しようとしてくれている。




「ねえなんで? 高橋くんて、こんなにものわかりが良かったっけ」




 やっぱり私はひねくれ者だ、こんな時でも憎まれ口が出てくる。




「え? そうだな、今日はいろんなことがありすぎて、それで素直になれるのかな。援交の話にしたって、長谷川、本当はそんなことしたくなかったんだろ」




「それは、したくなかったよ。当たり前じゃない」




 私は素直に頷く。もうこれ以上高橋くんに隠し事を言ってもしょうがない。




「でも、長谷川はそれ以上に復讐をしたかった。家族がバラバラになった恨みを晴らしたかった。家族のためにさ、復讐をしたかったんだよな。それは今の俺にはよく分かるんだ。俺の家族、もうバラバラ寸前だから、もし誰かのせいにできる相手がいたなら、俺だって復讐してやりたいよ」




「ごめん、私のせいで」




「違う違う、長谷川のせいじゃないよ。もっと違うことなんだ、復讐しようにも、そんなのできないことだから」




 高橋くんは寂しそうな笑顔を見せて私に笑いかける。けれどその笑顔の裏は深刻そうで、高橋くんの瞳には光るものが見えるような気がした。そしてそれは私の見間違いではなくて、悲しそうに微笑んだ高橋くんの頬に、本当に涙の滴が流れ始めたのだ。




「あれ、おかしいなあ。俺、今日は長谷川に謝りに来たのに……、なんで泣いてるんだろう」




 手の甲で涙を拭う高橋くんは、「おかしいなあ、おかしいなあ」と何度も言いながら、無理やりに笑顔を作ろうとする。そんな高橋くんにかける言葉が見つからず、私はただ黙っていることしか出来ない。やがて、そんな高橋くんが「俺……、……じゃないかもしれない」、と絞り出すように呟いて泣き出した。




「え? ごめん、よく聞こえなかった。高橋くん、なんで泣いてるの?」




 その私の問いかけに答えた高橋くんの言葉は、私の想像を遙かに超えるものだった。




「俺、父さんの子どもじゃないかもしれない! 俺は母さんが不倫して出来た子どもかもしれない! 昔から気にはなってたんだ、俺は父親とも兄貴とも似てないって、でも……それは母方の血なんだって、そうなんだって信じてて。でも……もしかしたら本当に」




「ウソ、でしょ?」




「わからない……、でも確かめようとしたらDNAとか調べることになるし、でもそんなの今更確かめたくもないよ!」




 目の前で泣いている高橋くんを見ながら、私は高橋春哉と出会った時のことを思い出していた。




 確かに高橋くんとは全然違う顔立ち、髪質、そして声。普通に見ると親子には見えない。それにあの時に高橋春哉が言っていた言葉、『妻に不倫されたんじゃないかって思う男の感情を、こういう機会に晴らしてる』。つまり、高橋春哉は昔から妻を疑っていた。それは高橋くんが全然自分と似ていないから疑っていた。どうして今になって高橋くんがそんなことに気づいたのかは分からない。けれど、たぶん引き金になったのは父親の逮捕だろう。そして、高橋くんの家族はバラバラになりかけている、私の家族と同じように。




 私の心に高橋くんとの思い出がよみがえる。それはほとんど今年の四月からの思い出だけれど、こんなに落ち込んだ高橋くんを見たことがなかった。やる気がなさそうに見えても責任感はあって、刺々しかった私に対してもフラットに接してくれて、そして……彼女がいるからといって、一晩一緒に泊まっても手を出す気配もなくて。そんな優しくて誠実な高橋くんが、あの高橋春哉の息子なわけがない! 高橋俊という男の子が高橋春哉の血をひいていないならそれでいいし、その方が高橋くんのためだ。




 私は妙に自分でそう納得して、泣いている高橋くんに声をかけた。




「高橋くん……、私思うんだけど、それでいいんじゃないかな」




「え? それでいいって」




 私の言葉が意外だったのか、高橋くんはポカンとした表情でこちらを見る。そのあまりにも可愛い顔つきに、私の心のたががガタンと外れた。




「高橋くんがあの高橋春哉の血をひいてなくていいじゃない! 私はそのほうがいいよ。あんな援交をするようなオトコの息子じゃない高橋くんを私は好きになったんだから! 私が好きな高橋くんがあのオトコと血が繋がってないなら、私はそれのほうがいい。絶対にその方がいい!」




 そのまま私は感情にまかせて高橋くんに抱きついて畳の上に押し倒す。これじゃあ男と女が逆だと思ったりもしたけれど、もう自分を止められなかった。不意のことで畳に押し倒された高橋くんの目が揺らいでいる。




 もう有原優花のことなんてどうでもいい、今日だけは私の高橋くんでいて欲しい。私は戸惑う高橋くんの目を見下ろしながらそう思った。




「ごめん、私は高橋くんのことが好き。有原さんのことなんてどうでもいい。お願い、今日だけは私の高橋くんでいて欲しい」




 するとやはりというか、当然というか、高橋くんは私の顔から気まずそうに視線を逸らした。その沈黙に私の胸は締めつけられる。やっぱりこの人には想いが届かない、無理なんだ。でももういい、想いだけは伝えたんだから後悔はしない、と私が自分の想いに諦めかけた時だった。高橋くんの口からまたしても思いもよらない言葉が出たのだ。




「俺……、さっき優花に振られた。正確には、優花の両親に俺と付き合うのはダメだって言われたみたい。だから優花とはもう別れたよ」




「それ、どういうこと?」




 今度は私が聞く番だった。私に押し倒されたままの高橋くんは、視線を逸らしたままで私に告げる。




「父親が逮捕されたことが伝わったんだよ。アイツの家、それなりの家だろ? たぶん銀行のお偉いさんとか付き合いあるんだろうし。普通に考えたら逮捕されたような親の息子と可愛い娘が付き合うなんて、どこの家にとっても恥だしさ……」




「そんなことない!」




 高橋くんの言葉を遮って、思わず私は叫ぶ。




「そんなことない。高橋くんは高橋くんだから! 私にとっては高橋俊っていう男の子は絶対恥なんかじゃないから! 優しくて、誠実で、こんなふうに私の心の中のことを全部隠さずに話せるのは、高橋くんだけなんだから!」




 叫び続けた私は泣きながら彼を抱きしめた。




「ねえ、いい高橋くん? いまさら有原優花が『やっぱり返して』って言ってももう返さないよ、絶対に高橋くんをあの子に返さないよ……、絶対に」




 静かに私の告白を抱きとめてくれた高橋くんは、私の耳元でそっと呟く。いつものように、ちょっとハスキーな声で。




「長谷川は……、こんな俺でいいの? 俺と付き合ったりしたら後ろ指をさされるかもしれないよ。ホントにこんな俺でいいの?」




「高橋くんがこんな私でいいなら、私のことを好きになってほしい。こんな私じゃ、ダメ?」




 そんな私の問いへの答えは、高橋くんからの優しい口づけで、そしてそのまま私は高橋くんに強く抱きしめられたのだった。

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