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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
最終章
42/46

なんで高橋くんが謝るの?




「ごめん、長谷川……」




 テーブルの前で正座をした高橋くんは、なぜか私に深々と頭を下げて謝った。ドアを開けたときの様子から、怒ったり恨んだりしているのではないと感じてはいたものの、そのあまりにも落ち込んだ雰囲気に私は何も言えなかった。




「高橋くん、なんで、ウチのアパート知ってたの?」




 こんなときにどうでもいい話から始める私は卑怯だと思う。けれど、いきなり事件のことを言い出す勇気は、とても無かった。




「ああそれ。金曜日だっけ、粕谷と一緒に学校の提出資料を届けにきたんだ。その時に、長谷川の住んでるところを知ったんだけど」




「あれ、高橋くんが届けてくれたんだ。そうだったんだ」




 それだけの会話でまた沈黙が始まる。二人とも言いたいことがあるのに、今はただお互いに向き合って不自然に黙っているだけ。以前の私ならいつまでも沈黙に耐えられたはずなのに、いまの私はこの沈黙に耐えられそうにない。




「ごめん、お茶いれる。お母さんいないから」




 私は短い沈黙にも耐えきれずにそう言ってテーブルから逃げた。「そんなのいいよ」と高橋くんが後ろから声を掛けるけれど、それには構わずにキッチンへと向かう。高橋くんに出すお茶を沸かすあいだ、私は母親が不整脈で入院していることを背を向けたままで告げた。振り返ると高橋くんは、なんとも言えない表情でテーブルを見つめている。




「ごめん、ウチの父親のせいで、長谷川のお母さんまで心労をかけたんだろ」




 私の置いたお茶を目の前にして、高橋くんが小さく呟く。




 どうして高橋くんが小さくなって謝るのだろう、そして、どうして私はそれに対して黙っているのだろう。私自身が悪いのにじっと黙っているなんて、私は本当に意地が悪い女だ。「そんなことない、高橋くんが謝ることなんてない、元々悪いのは私!」、そんな自分の本心が喉元まで出かかっても、結局は言葉になって出てこない。




「俺、今日は長谷川に謝りに来たんだ。いまさら俺が謝ってもしょうがないけど、ウチの親父の通信記録から警察に目をつけられたみたいだし、事情聴取だってされたんだろ? だから学校を休んで、そのうえ長谷川のお母さんにまで――」




 高橋くんは一言も私に文句も言わず、ポツリポツリと自分の父親に代わって謝罪の言葉を紡ぎ出しはじめた。それは多分高橋くんの本心で、本当に私に迷惑をかけたと思っているようで、そんな言葉に私の心の中の罪悪感はどんどん高まっていく。そして、罪悪感に耐えられなくなった私は、半ば八つ当たり気味に高橋くんを責めてしまった。それが自分の勝手な都合なのだと分かっていながらも、高橋くんを責めてしまった。




「ホントにごめんな……。弁護士の先生からは、『キミには責任はない』とかなんとか言われたけど、でもやっぱり俺の父親がしたことだし、でも父親が来るわけにはいかないし、謝るのは当然だと思ってるし――」




「ねえ! さっきから聞いてれば、なんで高橋くんが謝るの? 聞いたんでしょ? 私、援交したんだよ! 普通じゃないでしょ、なんで私を責めないの? 高橋くん、おかしいと思わないの!?」




 突然の大声に驚いたのか、高橋くんは謝罪の言葉を一旦止めた。それでも感極まって息が荒くなった私を前にして、静かに言う。




「でも、何も無かったんだろ? 怖くなって逃げたって弁護士の先生から聞いたけど」




 その言葉に私の心は耐えきれなかった。警察にも母親にも隠し通してきた私のウソを、目の前の高橋くんには突き通す事が出来なかった。自分でもこれを言ったらお終いだと思いつつ、激情にかられて自分で暴発していった。




「違う違う! 何も無かったのはアノ人の名字が高橋くんと同じだったから! 私はずっと復讐のために援交をしてきたの、自分の家がバラバラにされた恨みを晴らしたくて、ずっと獲物を狙うように援交をしてきたの! 政治家とか、公務員とか、銀行員とか、とにかく幸せそうな家庭をぶち壊したくて何回か援交してきたの、いい獲物が引っかかったら全部世間に暴露して幸せから引きずり落として復讐してやろうと思ったの! わかる? 私にとっては援交は復讐だったの! でも……」




 私は途中から涙で前が見えなくなった。決壊したダムから水があふれ出すように、次から次へと隠し通してきた自分の秘密を高橋くんの前にさらけ出した。もう自分で自分が何を言っているのかも分からなくなっていく。




「でも……そのうち高橋くんのことが好きだって気づいて……。そしたら有原さんと二人でいるところを見ちゃって。それで、絶対に復讐をやめちゃいけないって、やめたらバカだって。でも、でも、高橋っていう名字をみたら何も出来なくなって……、もうイヤだって……、もうこんなのイヤだって」




 とにかく時系列もバラバラ、高橋くんへの想いを語るのも無茶苦茶、復讐を諦めた経緯なんて何度も繰り返して、最後には情けないことに声にもならない嗚咽を漏らしていた。




 きっと彼には軽蔑される、これ以上話もしてもらえないかもしれない。でも本当のことを言わずにサヨナラするくらいなら、好きになった人に徹底的に嫌われたほうがまだマシだ。そう思いながら、私はポタポタと畳に落ちていく自分の涙を見つめた。




 涙の滴が畳のうえに水たまりのようになった頃、そっと高橋くんが畳から立ち上がる気配が伝わった。もう何もかもが終わりなのだろう、そのまま彼はドアを出て行くに違いない。そんな絶望的なことを想像した私の側に、高橋くんは自分のハンカチを静かに置いたのだ。




「それ、さっき持ち出したばかりで綺麗だから、使って。心配しなくても、汚れてないよ」




「……え?」




 軽蔑されるとばかり思っていた私が顔をあげると、高橋くんはちょっと困ったような表情でくせ毛の前髪を触っていた。




「高橋くん、軽蔑しないの? 今の話、本当だよ」




 私の言葉に、もっと困ったような顔をして高橋くんは口を開く。




「軽蔑って……。いや、まあ驚いたよ。でもそれより長谷川も自分の家族のことで悩んでたのに、必死に一人で解決しようとしてたんだなと思って。俺なんか、今日は自分で自分の心を軽くするためだけに長谷川に謝りに来たんだろうなって、結局のところ俺は偽善者なんだろうなって……。ごめん、ちょっと混乱してるけど、なんて言うか長谷川の告白を聞いててちょっと自分が嫌になった。自分の言いたいように謝って、でも結局それは謝ったつもりなだけで、自分だけがスッキリして。本当はそれって相手への都合のいい偽善の押しつけなんだなって、そんなことを……思ってさ」




「ねえ高橋くん。でも私、援交で復讐してやろうなんて考えたんだよ!」




「うん、まあそれは良くないだろうけど。その、なんて言うか実感が湧かなくてさ。ホントに援交なんてしたの? 長谷川が」




 その問いに私は言葉が詰まった。




 援交はした、けれど誰とも最後までなんてやっていないし、裸を見せた訳でもない。そんな言い訳をするのは見苦しいと自分では思う。それでもそれだけは言っておかないとダメだろうか。高橋くんの顔を目を前にして、私の心は揺れた。

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