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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
最終章
41/46

磨りガラスの向こうの人影

△ △ △


 私が母の入院先の病院から帰宅をしてしばらく経った頃、玄関のチャイムが鳴った。時間は夜の七時半過ぎ、こんな時間に訪問してくる人間なんて碌なものじゃない。


 ここ数日間の出来事で疲れ切っていた私は、部屋に明々と電気をつけているのに居留守を決め込むことにする。警察からの事情聴取、弁護士との話し合い、そして母の入院。すべて私が原因で、すべて私が悪い。


 △


 なぜ援交なんてしようとしたのかという問いに、私は「お金が欲しかった」、とだけ言った。警察にも母親にも同じ事を言い、自分の復讐のためにやったなどとは口を割っていない。お金のため、という一時の迷いなら警察も簡単に納得するだろうし、高橋くんの父親以外のことを問い詰められる可能性も小さいだろうと考えた。半年前の私なら嬉々として今までの援交相手を暴露して、全員を不幸のどん底に落としただろうに、私は変わってしまった。


 一週間ほど前に警察がウチに来たとき、私はこれまでのことが全部バレたのかと一瞬観念をした。高橋くんの父親とは何もしていない、これだけは絶対に証言しようと思ったのだけれど、事情聴取はまさにその事件のことだった。


「ある人物の捜査をしている。その人物はキミ以外の少女と淫行をしていてその捜査の一環でここに来た。彼の通信記録からキミと会っていたことが浮かび上がったのだが、事実かね?」


 警察は私と高橋春哉がホテルに入ったことを確認していた。けれど私が十分もしないうちに部屋から出た記録があったので、部屋の中で何があったのかをしつこく聞いてきたのだ。私は実際に何もなかった、援交が怖くなったので逃げたのだと、そのままを言う。ところが何度も何度も警察は、身体に触れられたかとか、恐怖を感じるようなことを相手に言われたかとか、高橋春哉のことを聞いてきた。


 そのうちその高橋春哉が私のクラスメイトの父親だと判明したのだろう。取り調べの警察官は、その事実を知っていたのかと質問を変えた。そこで私は、知ったから怖くなって逃げた、名刺入れの名刺を見て気づいたと、本当の逆の順序を証言することにした。


「今回はキミが被害に遭わなかったとはいえ、援交なんてするもんじゃない。キミも、キミの家族も傷つくんだから」


 そんなことを念押しに言われて私は警察から解放された。捜査を進めるうえでまた聞くことがあるかもしれないから、と釘を刺されて私は警察を出る。その警察署の前では私の母親が待っていた、娘の犯した馬鹿げた事件に対して疲れ切ったような顔で。


 その翌日から私は学校に行かなくなった。警察の聞き取りがあるかもしれないという理由ではなくて、学校に行って高橋くんの顔を見るのが怖かった。夏休み以降、彼の前では自分が挙動不審になっていたことは自覚している。それでも今までは顔を見ることだけは出来た。ただ今日からは違う、いつ父親が警察に捕まるかわからない高橋くんと同じ空間にいることなんて出来やしない。そんな私は、体調が悪いといって学校を休んだのだった。


 そして高橋春哉は逮捕され、当日私は警察に来るように言われて最後の聴取を受けた。結局は高橋春哉と私の証言に食い違いが無かった様子で、私と高橋春哉との間に起こったことは一応不問となった。


 その後、そんな私と母の元に弁護士がやって来た。なんとか示談をしてくれという。本当に高橋春哉とは援交なんてしていないのに示談なんて出来ない。私は母の前でそう言ったのだけれど、それで高橋春哉の反省の意思が検察に伝わるから、と言われて、私は高橋くんのためだと思って示談をした。ただし示談金など受け取るつもりはない、と弁護士には伝えたのだ。


 弁護士が帰った直後のこと、精神的にも肉体的にも疲れ切っていた母についに不整脈が出てしまう。本人は大丈夫だと言ったものの、顔面は蒼白で脂汗が浮いていた。救急車を呼び病院にいれると、二~三日は入院して休んだ方がいいという医者の話。


 どれもこれも全部が全部私のせいだ。私の八つ当たりのような復讐心がみんなの不幸を呼び込んでしまったのだ。私は母に謝りながら今日も入院先の病院から帰ってきた。もう昨日から学校には行っているから心配しないでと、母にはウソをついて。


 △


 そんなことを考えている私の横で、三度目のチャイムが部屋に響いた。こんな時間に、それもこんなに落ち込んでいる私のところに、本当にしつこい訪問者だ、絶対に出てやるものか。そう決意を新たにしている私の耳に響いたのは――。


「すいません、高橋俊といいます」


 その声に私の息が止まる。少しハスキーで、それでいてよく通る声で、間違いなくこの前まで私が聞いていた高橋くんの声。でもいまの声は元気もなくて、そして今まで聞いたこともないほど寂しげで。


 一秒、二秒と時間が過ぎても、私は動けない。身体が何かで絡め取られたようにピクリともしない。どうして、なんで高橋くんがウチに? 父親を逮捕された恨みや怒り? やっぱりわたしのせいで? いろいろな考えが私の頭には次々と浮かぶ。


 見ると、玄関脇の磨りガラスの向こうには黒い人影が映っていた。どう考えてもそれは高橋くんの影。やがて息を止めた私の目の前から、何かを諦めたように人影が去って行く様子が見える。私はここで彼を追いかけないと、もう高橋くんに会えないような気がした。そして自分でも解らない感情に突き動かされて、玄関のドアまで無我夢中で走って行ったのだ。


「高橋くん!」


 玄関先で靴も履かずにそう言ってドアを大きく開け放つと、びっくりしたような顔をした高橋くんが二メートルほど先でこっちを振り返っていた。

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