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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
第五章
32/46

最悪の……、偶然

 △


 朝になって、私は厚手のカーテンを通して差し込むほのかな明るさで目が覚めた。スマホの時間を見ると五時三十分。と、ほとんど同時に違うスマホのアラームが鳴る。高橋くんがセットしたアラームだった。「むう……」というくぐもった声がして、隣のソファーからムクッと手が伸びる。鳴っているスマホを探しているようだったので、私はその手に彼のスマホを握らせた。


「おはよ、眠れた?」


 完全に目ボケまなこの高橋くんに問いかけると、寝グセで酷いことになっている髪を掻きながら「身体の節々が痛い」と、ちょっとハスキーな声が返って来る。


「だから言ったでしょ、ソファーじゃ小さいって」


「まあ、眠れただけでマシだし……」


 高橋くんは少し身体を伸ばしてから顔を洗いにバスルームへと向かう。後ろから見ると後頭部にソファーの後がクッキリとついていて、なんだか可哀想。


 私は一応化粧台でヘアブラシをかけて、半分ソファーに垂れ下がっていた掛け布団を直した。カーテンを開けると磨りガラスの向こうは既に明るく、今日も夏空が続きそうだった。


 そうこうするうちにバスルームから帰ってきた高橋くんが、なんの疑問も無さそうにリモコンをさわり、テレビの電源を入れた。いきなり映ったのはアダルトビデオのチャンネル。裸体をくねらせ密着した男女が激しくキスをしながら、ベッドの上で絡み合っているところだった。


 一秒ほど固まった高橋くんが「ウソウソ、これマジでウソ!」、と大声で叫びながらリモコンの電源ボタンを連打する。必死に連打したからだろう、テレビは一回消えてまた点いて、そしてもう一回消えた。


「ねえ、わざと?」

 

 私の問いに彼はブルブルと首を横に振って、「て、天気予報でも見ようかと思ってさ」などと顔を真っ赤にしている。


「ふーん」


 私は別にそれほど気分を害した訳でもなく、高橋くんを追い詰めようと思った訳でもなかった。それでも少しだけ彼を懲らしめてみようと思い、ただ「ふーん」とだけ言って洗面に向かった。


「いや! マジだって長谷川。今日も暑いか知りたかったんだって!」


 そんな背中から響いてくる高橋くんの声は、いつもよりずっと必死で、そしていつもよりももう少しハスキー掛かっていて、私にはなんだか可笑しく聞こえた。


 △


 部屋の入り口にあった自動精算機で精算を済ますと、カチャッとカギが開く音が響く。そっとドアを開けると、外気温はもう暖まっていて湿った空気が頬をなでる。狭い階段を降りた先は、昨日の夜ふたりで逃げ込んだガレージ。地上から二十センチばかり開いているシャッターからは、早朝の明るい日差しが入り込んでいた。


 ボタンを押してシャッターを上げ用心深く外に出ると、一つを除いて他のガレージは既に車が空になっている。高橋くんはひたすら辺りの様子を窺いながらホテルの敷地を出ようとする。特に目の前の国道を渡る時などは、私よりもだいぶ先に渡りきってしまった。


「高橋くん、いくらなんでももう警察なんていないって」


「バカだな、誰かにラブホテルから出てくるところを見られたらどうすんだよ!?」


「誰かにって、誰に?」


「いや誰に……ってさあ。誰でも見られたら恥ずかしいじゃん」


 天に誓って私たちは何もしていないのに、高橋くんはくせ毛の前髪を触りながら小さな声で言う。こんな遠く離れた場所で知っている人なんているはずもないし、恥ずかしいというのならまだ結構残っている後頭部の寝グセの方が恥ずかしいように私は思う。


 昨日の夜は暗くて道がよく分からなかったけれど、明るくなってみると泊まったラブホテルから駅までは五分も歩けば行ける距離だった。昨夜は一度国道に出て大回りして来たようで、住宅街の生活道路を線路沿いに通ると昨日見た駅舎が見えてくる。


 切符を買い、五時四十九分発の上り電車に乗る。早朝出勤のサラリーマンらしき人が十人ほどホームで待っていたけれど、到着した電車は空いていて昨日と同じように二人で座った。四時間以上寝たのは寝たのだけれど、電車に乗ってしまうとやっぱり少し眠い。隣を見ると高橋くんもウトウトし始めている様子。


「ねえ、ちょっと。今度寝過ごしたら笑い話にもならないから」


 私が軽く揺すってみると、「え? うん、大丈夫。今日はアラーム設定したからさ」と言って、高橋くんはまた目を閉じた。


 △


 電車に揺られて何分が経っただろう、突然誰かのスマホが鳴り出す。目を開けると、いつの間にか電車の中の座席は全部埋まっていて、つり革の前にも半分以上人が立っていた。


 鳴っていたのは高橋くんのスマホ。慌てたように高橋くんがアラームを消して、照れ隠しのように「あと十分くらい」と、私に言った。なんだかんだで寝入ってしまっていた私も少し恥ずかしくなって、「分かってるよ」とだけ返事をする。


 この時間、電車の中に乗っているのはほとんどがサラリーマンの人。夏休みじゃなければ学生がもう少し多いのだろうけれど、いまは数えるほども見かけない。もう復讐を諦めた私は、これからいったいどうやって真剣に自分の将来を見つけて行こうかと、会社に出勤する人たちを見て思った。


「高橋くん。高橋くんの家は何をしてるの?」


 それは本当に何気ない質問だった。建築とか、設計とかをやりたいと言っている高橋くんの家族は、どんな仕事をしているのだろうと思っただけだった。なのに――、それなのに。


「ウチの家? ああウチの父親は銀行員」


「えっ?」


 思いもかけない彼の言葉に、私は思わず身を硬くする。


「どこの……銀行?」


「ああ……、割と有名なとこなんだけど、俺、銀行の仕事って全然興味ないんだよなあ……」


 そんなことを言って、本当に興味が無さそうに高橋くんが口にした銀行名は、あの『高橋』と同じ銀行だった。そして、いま勤めている支店の名前を聞かされたとき、私の膝は震えそうになっていた。『高橋』という銀行員が偶然同じ支店に二人もいるだろうか、しかも同じような中年の男性が。


 そんな確率は低すぎる、でも偶然はある、きっと高橋くんとは関係ない。そんなことを思った私の希望を、高橋くんのつぎの言葉が打ち砕いた。


「父親はいま支店長らしいんだ。それから父親とは違う銀行なんだけど、兄貴も銀行員でさあ、全然俺だけが興味が違って理系に行こうとしてるんだけど……、なんだか肩身が狭くて」


「へえ……、そうなんだ」


 私は自分の声が震えていないか心配になる。降りる駅まではあと一駅、なんとかそれまにでは平常心を取り戻さないといけない。ところが私の脳裏にはあの日の『高橋春哉』の顔がよみがえっていく、いま隣に座っている高橋くんとは全然似ていない中年男の顔が。


 ――同じ銀行、同じ支店、役職は支店長、高橋という名字、もう全てがあの日の名刺と合致する。


 やがて無情にも電車は駅に着いた。私は気を確かに持ってシートから立ち上がり、七時前のホームに降りる。ラッシュアワーまでには少しだけ早い時間帯でも、ホームの中には人の列。私と高橋くんは通勤客とは逆の方へと改札口へと向かう。


 自動改札を出た私は、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。


「じゃあ、また学校で」


 出来るだけ普通を装って駅から出ようとする私。


「ああ、また夏期補習で。っていうか、家まで送って行かなくていいのか?」


 本当に純粋そうな目の高橋くんにそんなことを言われると、私は一瞬なにも言えなくなって高橋くんから目をそらした。


「いいよ、それこそ誰かに見られたらマズいんじゃない?」


「そういえばそうだな。こんな朝早くから……」


 朝帰りの意味を理解したのか、高橋くんはちょっと複雑そうな表情をつくる。


「じゃあね」


 私は手を振ることもせずに彼に背を向けて、駅の西口へと歩き出した。手のひらにはジットリと汗を掻き、信じられない最悪の偶然に打ちひしがれながら。


<第五章 おわり>

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