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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
第五章
28/46

模試の帰り道

 △


 担当監督官からの注意連絡事項や全体説明の後、模試は「地歴・公民」から始まった。模試が始まってしまえば隣が誰ということを意識することもないのだけれど、休憩時間になれば多少は喋る。特に二教科目の国語が終わった後には、古文について僕も長谷川もお互いにネガティブな話しかしなかった。


 次のリスニングの試験までは志望校を書いて提出する時間。これは言うまでもなく模試の判定に使われるのだけれど、先ほどの古文の状況に不安を覚えながら、僕はいつも通りの志望校を書き込んだ。隣を見ると長谷川は顎にシャーペンを当てながら悩んでいる様子。なんというか、いつも見ていた髪型と違うだけで全然雰囲気が違うことに改めて気づく。


 やがてリスニングも終わってこれでようやく昼休み。会場の空気が緩んで一気にざわつき始めた。


「疲れた……」


 僕は机の上にコンビニで買ったおにぎりを出して情けない声を出す。なにしろ朝六時に朝食を食べてからの移動と試験で疲れないはずは無い。しかもこれから夜の八時まで英語、数学、理科と三教科五科目も残っている。そもそも二日間で行われるセンター試験を、一日の模試で行ってしまうのは疲れるに決まっている。


 通路を挟んだ隣を見ると、長谷川も同じようにサンドイッチを端に置いて机にうつ伏せになっていた。僕の方を向いている顔は目を閉じていて寝ているのかとさえ思う。


「疲れた……」


 僕と全く同じセリフが長谷川綾の口からポツリと漏れる。


「なあ長谷川、次は絶対に申し込みの日を忘れないようにしような」


 コンビニおにぎりの封を開けながら僕が言うと、長谷川は目を閉じたまま「うん」と答えた。


 四十分の昼休みはアッという間に終わり、次の英語の試験八十分が始まる。結局長谷川はサンドイッチを食べたあとも机にうつ伏せになって、短い昼寝をしたようだった。


「昨日、寝付きがよくなくて……」


 そんなことを言いながら机に伏せた長谷川を見て、母ひとり娘ひとりで大変なのかもな、と僕は長谷川のことを思う。


 模試の方はというと、英語、数学、理科と模試が進むうちに大教室内にいた受験生が少なくなっていく。確かに理科の二科目なんて理系の人間しか受けないし、残っているのは男が多い。最終科目の理科の二科目目が始まる頃には、真夏なのに窓の外が暗くなっていた。


――「はい、終了です。ペンを置いて」


 今日何回聞いたか分からない監督官からの終了合図。夜の八時になってようやく模試は終わった。英語の時は満員だった大教室が、今はもうスカスカで半分以下の人数になっている。


「……お腹空いた」


 解答用紙の回収を待たずに僕は机に突っ伏した。学校で受ける模試ならここまで疲れることもないし、緊張することもない。いや、もしかしたら粕谷や他のクラスメイトと一緒の近場の会場でもここまで疲労しなかっただろう。とにかく遠く離れた場所で、知っているヤツが長谷川だけという状況は、確かにセンター試験の模擬試験の名にふさわしいものだったかもしれない。


 突っ伏したまま隣を見ると、長谷川も同じように机に伏せていた。セミロングのままだったら顔に黒髪が掛かっていただろうけれど、ショートカットの今は長谷川の顔や疲れ切った瞳がハッキリと見える。


「晩ご飯……、食って帰るよな?」


「うん、お腹空いた」


 お互いに気の抜けた顔で会話を交わす。この時は晩ご飯を食べて、今朝と反対に電車を乗り継いで家に帰って、長い一日が終わる。まったく疑う余地もなく、僕も、たぶん長谷川もそう思っていたのだった。


 △


 本部に立ち寄って今日の解答集を貰い、ようやく模試会場の大学をあとにすると、もう時間は夜の八時半になっていた。


 このままストレートに帰っても家に着くのは十時半頃。どこかで晩ご飯を食べると十一時になる。僕は一応模試が終わったメッセージを母親に送り、帰りは今から二時間以上掛かると念を押しておいた。


 まず最初に僕たちの失敗は、どうしてもお腹が空いていたので、大学の最寄り駅でご飯を食べようとしたことだった。


 学生街でもなく、繁華街でもない最寄り駅の近くには、高校生の僕たちが入る雰囲気のお店がなかなか見つからなかった。居酒屋や飲み屋はチラホラとあるものの、ファストフード店やファミレスなどが無い。十分以上ウロウロと探して、結局見つからないのでお腹を空かせたまま都心へと向かう電車に乗ったのだ。


 後から考えるとこの十分の差で痛い目に遭ったのだけれど、そんなことはお腹を空かせていた僕たちに想像できるはずもない。とにかく都心のターミナル駅に着いた途端、駅の構内にあったファストフード店で二人ともガッツリとハンバーガーを食べたのだった。


「なあ長谷川、今から帰ったら十一時だろ。女の子ひとりで危なくないか? 家まで送っていくけど」


 ようやく家までつながる路線へとたどり着いて、僕は隣に座る長谷川に聞いてみた。


 乗り換えを重ねて最後の電車に乗ったのが十時過ぎ。僕たちの最寄り駅までは約四十分、そこから歩いて長谷川の家まではどれだけ掛かるのか知らないけれど、確実に夜の十一時は過ぎると思われる。さすがに女の子ひとりで家に帰すのは危ない気がした。


「え? うん……。いいよ、家まで結構明るいし」


 早朝から動いた疲れが出たのか、長谷川は眠たそうな目で僕に言う。


「でもさあ、十一時越えたらさすがに人通りもないだろ?」


「まあ……ね。あ、そうか、有原さんをいつも送ってるんだ。へえ、私を送ってるところなんて見られたら誤解されるんじゃない?」


「誤解って。優花に誤解されるより長谷川が襲われるほうが心配なんだけどさあ」


 誤解は後から解けるけれど、長谷川が不審者に襲われたら後悔するどころじゃない。多分一生の心の傷になりそうな気もする。クラスメイトを送った帰りに、自分が暴漢に遭ったほうがまだ納得ができる。


 そんな話を彼女にすると、長谷川は少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべて、「そうだね、じゃあ今日は有原さんの代わりに送ってもらおうかな」と言って眠たそうに目を閉じた。


「じゃあ送って行くからな。絶対送っていくからな」


 僕が二度念を押すと、長谷川は瞼を閉じたままで「はいはい」とだけ呟いて、本当に眠ってしまった。


 △


 電車は心地よい揺れをもたらしながら夜の街を走る。早朝からの移動と長時間の模試で、僕も本当に疲れきっていた。最寄り駅まではあと三十分弱の時間。今日の模試の答え合わせでもしようかと思い、会場出口で貰った解答集を読んでいるうちに、僕もいつのまにか長谷川と同じように眠ってしまったのだった。

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