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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
第三章
16/46

ボランティアの日 その1

△ △ △


 六月に入ってすぐに梅雨が始まり、雨がちな天気が多くなった。学校の方は同じような毎日が繰り返され、高校生として残された日数は確実に減っていく。模試の結果が返ってくる度に一喜一憂するものではない、などと先生に言われても、結果を見る度に考えることが増えるのは、僕たち受験生としてはどうしようもないことだった。


 今日も何週間か前に高校でやった模試の結果が返ってきた。見たいような見たくないような気がするけれど、見ないという選択肢はない。女子達がキャーキャーと楽しそうに模試結果を話し合っているのを横目に、僕は自分の模試結果を開いた。


「う~ん……」


 予想通りと言えば予想通り。伸びていないといえば伸びていないけれど、落ちている訳でもない。


 まず無謀だと分かって書いた東工大が当然のようにE判定、自分でも高望みをしていると思う横浜国大がD判定、なんとかなるんじゃないかと思っている都立大がC判定。そして家から通える限界といった感じの埼玉大がB判定と、まあ改めて現実を確認できた。


 通学範囲の国立でいえば他の大学もあるけれど、そこには僕の行きたい学部がない。海にまったく興味の無い僕には海洋大学なんてものも関係がなくて、結局家から通学できる国公立大学で、建築だの設計だの、もしくは土木だのが学べるのは僕が選んだ四つくらいだった。


 「地方にも一応国立大学はあるけどな……」などと兄貴が言っていた言葉が頭によみがえるけれど、下宿をするくらいなら通学範囲にある私立の理系に行った方がトータルの学費が安いのは確かなのだ。――となれば別に私立の指定校推薦で早々と適当なところをもらえばいいことになる。結局そうすると優花の言っていることのほうが正しいともいえる。


「でもなあ」


 僕は呟きながら首を振った。兄貴を見返すなどという下らない感情も確かにあったけれど、やっぱり最後まで自分の思った方向に進んでみたかった。


「なあ俊、どうだった?」


 いつの間にか粕谷が僕の横に来ていた。粕谷は理系でも電気工学の方に行きたいらしく、僕とは学部や学科の選択が違う。そしてコイツは僕よりも頭がいい。自分に自信が無くなりそうで、僕はコイツがどんな模試結果だったのかあまり見たくはなかった。


「秀才の粕谷と俺は違うからな」


 嫌みを言った僕の横から、ヒョイと粕谷が模試結果を覗き込む。


「おお、横国D判定なんだ。いまから頑張ったらいけるんじゃない?」


「嫌みかよ」


 僕はちょっと乱暴に粕谷の模試結果をひったくる。どうせコイツは横国Bとか取ってるんだろうと思いながら見てみると、案の定横浜国大がB判定、そして東工大でもC判定だった。


「なあ、東工のCなんてどうやったら取れるんだよ?」


 僕がやや投げやりに聞くと、粕谷は澄ました顔で答える。


「隣のクラスの奴らはC判以上をいっぱい取ってるさ」


「ああ、まあ……、確かに」


 国立の医学部を受かる奴なら東工大も実力で十分受かるだろう。僕たちと見えている景色が全然違うのだ。


「あっちのコース、医者の息子が何人いたっけ?」


「さあ? 少なくとも十人くらいはいたんじゃないの」


 肩をすくめながら粕谷が言う。そう言う粕谷はもちろん医者の息子でも大学教授の息子でもなく、サラリーマン家庭の子供だ。父親は会社勤めのエンジニアで、その息子の粕谷もやっぱり同じ道を目指している。父親と全然ちがう方向へと進もうとしている僕とはエラい違いだった。


「なあ俊、今年も文系理系で合わせて東大十人目指すらしいよ。ウチの学校」


「それ二年前から聞いてるけどさあ、毎年既卒者いれて七人とか八人どまりじゃん。いや、俺に受かれっていっても絶対無理だけどさ」


 僕は頭の後ろで手を組んで背もたれに身を倒した。椅子がギッという音をたてて軋んでいく。頭の上には粕谷の顔が見える、いつも見慣れているメガネを掛けた秀才然としたその顔は、いま右斜め前を見ていた。つまりそれは長谷川綾の座っている方向だ。


 学園祭のあの日から、粕谷と長谷川の話をしたことは何度かあった。どうしたら長谷川綾が打ち解けてくれるだろうかとか、もう少しクラスに馴染むだろうかとか、お節介とは言わないまでも、粕谷は個人的な感情を僕に吐露していた。


 僕は僕であの日以来確かに長谷川を見る目が変わっていたので、もう少し笑顔を見せればいいのに、とは思っていたけれど積極的になにをする訳でもなかった。ただ以前よりは多少話をする間柄になっていて、お互いの携帯番号がアドレスに入っているくらいの関係を築いていた。だからといって、一度もプライベートで電話が掛かってきたことも、メッセージが来たこともないけれど。


「長谷川さん、どこ行くんだろう」


 僕の頭の上で粕谷がボソッと言う。


「え? ああアイツ、工学系じゃなくて理学とか化学とか、他には食品関係らしいぞ、興味があるのは」


「へえ、そうなんだ」


 粕谷は「なんでお前が知ってるんだ」と言う目で僕を見る。そんな目で見られても、体育祭の時に聞いたことを言ったまでで、詳しい話は僕も知らない。


「体育祭の時に言ってた」


「ああ。やっぱり俊にはそんな話をするんだ、長谷川さん」


「いやいや、もう何日前の話だよ」


 体育祭からもう十日以上も経っていて、その時以外に長谷川と込み入った話などはしていない。単にクラスメイトとしての交流が普通になっただけだ。マイナスだったものがゼロになったくらいのもので、決して交流がプラスになった訳ではない。それを言うなら粕谷の方がクラス代表として長谷川と喋る機会の方が多い。ただ、粕谷の前ではやっぱり長谷川は氷姫のままのようだけれど。


「そうだ俊、今度のボランティアのやつ、お前どこに希望出したの? 街頭募金? 献血?」


「ああ、あれ。俺は一番自分らしくないヤツに希望を出した。当ててみろよ」


 僕はニヤニヤとしながら粕谷を見た。


 ウチの高校では三年生になると年に一度ボランティアの日がある。ボランティアといいながら実質は強制。六月の学校が休みの土曜日に半日程度地域のボランティア活動に参加するのだ。街頭募金、献血の案内、福祉施設やこども園への訪問、そのほか何種類にも分かれていて、自分の希望が通るかどうかは分からない。まあだいたい訪問系は時間通りに終わるし、ボランティアといいながら生徒がお客さん扱いされるので人気が高い。


「俊らしくない? ああわかった、ゴミ拾いだ」


 僕らしくないというヒントで粕谷はすぐに当ててしまう。


「なんで俺らしくないですぐに当てるんだよ!」


「そんなのすぐにわかるさ。でもなんでゴミ拾いなの? 僕と一緒じゃん」


「ああ粕谷もゴミ拾いで出したんだ、へえ」


 ゴミ拾いのボランティアとは、近くの河川公園の清掃作業のこと。ただひたすらに数キロの河川敷のゴミを拾うボランティア活動。かなり生徒の人気が低くくて毎年参加者が少ない。


 そんなボランティアなのに僕がニヤニヤしている理由はただひとつ。去年のゴミ拾いのボランティアは雨天のため中止になったのだ。梅雨時期のこの季節、土曜日が雨になることは十分考えられる。予定通り行われれば面倒くさいけれど、雨になると行かなくてもいい河川敷のゴミ拾い。僕はそれに賭けた。


「俊と違って、僕は人数合わせに入れられたんだけどな。今年は三年生全体でたったの十五人だったらしいよ。だから各クラスからあわせてむりやり五人引っ張り出してやっと二十人。おい俊、二十人でゴミ拾いは辛いぞ」


「え……まじで、二十人しかいないの?」


「俊が期待するように、雨になったらいいのにな」


 そう言ってニヤリと笑う粕谷には、僕の考えがバレていた。


 そして当日の土曜日は最悪なことに、ゴミ拾いが中止にならない程度の小雨という、まったくの期待外れの天候になったのだった。

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