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ヤーさんのお姫様  作者: 不知火 初子
五章 ひとりでだって強くはなれるよ
319/643

参佰拾玖




あの日の思い出を振り返るのはやめよう。



もう良いよ、と言うつもりで改めて珋二さんに向き合ったら、助手席から咳払いが聞こえた。


振り向いた柳一さんはもう一度咳払いをして、次に大袈裟な溜め息をつく。



彼の視線の先にいるのは、自らの兄貴分でもある、わたしの右横にいる男だった。




「……珋二さん、この際言ったら良いんじゃあないですか?」


「そっスよ。オレもそうしたほうが良いと思うっス」




柳一さんの言葉に、悠二くんは車のハンドルを握りながら同意する。


二人に遅れて、隣からちいさく「くそっ」と呟く声が聞こえた。




「ああ…………あの時は、デカい所を貸し切れるほど、俺の名は広くなかったし弱かったんだよ。だから、せめて人の少ないところにしようと考えてだな……」


「オレらは、おやっさんの名前使えばって勧めたんスよ」


「まあ、それは違う、とか言って絶対譲ろうとはしませんでしたけれどね」


「おい、お前ら……」




低い声を出してはいるが、不機嫌な様子はない。


前でニタリと笑う2人に、珋二さんは呆れたような眼差しを向ける。



背もたれに身を預ける彼の横顔に、わたしは首を傾げつつ問いかけた。




「どうして貸し切りと人の少なさにこだわったのかは謎だけれど、きっと気遣ってくれたんだよね?」


「ん、ああ、まあな」




相手は微かに頷き、照れくさいのか後頭部をぽりぽりと掻く。



珋二さんは言葉を濁し、わたしはそこに嘘を重ねた。




本当は謎だなんて思っていない。


本当は気遣ってくれた理由に、思い当たることがある。




今なら、なんとなく分かってしまう。


自覚はないけれど、たぶん自分は男運が悪いと思い込んでいたのだ。


そうしてあの時のわたしは恋愛休止中みたいな期間を勝手に作り、人をつよく拒むことしか考えていなかった。




男性に対して臆病ながら、どこかで敵対心みたいなものも抱いていたのだろう。


そんなわたしに配慮して、彼は人の少ない場所を選んでくれた。




珋二さんはきっと、そのことをすでに見抜いていたんだ。


資料だけが全てじゃあないと、彼は言外に口にした。


紙面とは別のところにいるわたしのことまで、この人はいつも真剣に見ていたのだろうか。




それは、いつから?


たぶん、出逢ってからずっと。






昨年の春。


彼らのことを2週間近くも見かけない日が続いたのは、きっと人の少ない場所を探してくれていたからだ。


わたしのことを考えて。珋二さん自身の事情も考慮して。



理由の一部に自分のことが含まれているだけで、わたしの胸は簡単におおきく満たされる。




うっかり、嬉しくて涙が出そうになった。


あ、でもここでは、まだ早いから我慢しよう。



だって、これからまだまだ、わたしは彼のことを大切に想う。


ずっとずっと未来でだって、彼らのことを好きでいる。




「うん、まあ良かったよ。あの日行ったところもね。それに自分のためだけに貸し切られるなんて、なんだか勿体ない気分になるし。楽しいことは、みんなで楽しみたいでしょ?」


「……え? ああ、まあ、そうだな」




まさか、今から行くところは貸し切っていたりしないよね……などと考えながら、念を押すように言う。


歯切れの悪い返事をする珋二さんは、甘いものと苦いものを同時に食べたような複雑な表情をしていた。





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