参佰拾稑
「もし、肯定したら?」
運転しながら応えた声は、いっそ清々しいほどに動揺の欠片もない。
柳一さんなら、まあそういう反応だろうなと思った。
彼は、こんなことでは揺さぶられない。
わたしは一生、この人には敵わない。
たぶん、わたしでも敵う人は限りなく少ないか、皆無だろう。
出逢った人すべてに、勝てる気がしない。
「もし認めたら、怒ります」
口に出してから気付く。わたしは、怒っているのだ、と。
だけど柳一さんは、わずかにも振り向かない。
「怒る、ね。あなたのためなのに?」
「わたしのために、わたしがあなたを怒ります」
「理屈も何もないですね」
斜め後ろからでは表情なんて見えないけれど、柳一さんは微かに笑ったような気がした。
理屈で話せるようなにんげんだと、本気で思っているのだろうか。
そんな頭の良い人がすることを、わたしが出来るなんて勝手に買い被らないでほしい。
「だって変ですよ。睦美さんの感情がわたしに向くなら分かる。だけど珋二さんでも、ましてや柳一さんの勝手な判断で当たらせた男の人でも納得いかない」
「感情論ですか」
「ええ。感情ですよ。だって、これは好きとか嫌いとか、そういう話ですから」
「……彼女はあなたを好きではないでしょうね」
少し間を空けて何を言うかと思えば────。
そんなことを、相手はわざわざ口にする。
睦実さんの気持ちだ。好きな人を横取りされた人の気持ちだ。
誰だって、状況を見れば分かる。当事者なら、わかっていても不思議じゃない心だ。
わたしでも分かることを、彼がわからないわけがない。
でも柳一さんは、わたしのことをまだ分かっていない。
「はい。嫌いだと思います。……わたしは、彼女が好きです」
「それだけ?」
「そうです。他には何もないですよ。好きか嫌い以外は付属品です。今は、要らないものです」
はっきりと言い切ると、相手は肩を落としてちいさな溜め息を吐いた。
やりとりが馬鹿らしくなってきたのかもしれない。
いつの間にか通話を終えていた珋二さんは、ずっと沈黙に徹していたらしい。
10分後。柳一さんが今日の予定を訊ねたとき、チラ、とわたしの顔を窺ってきた。
今日は日曜だ。先週の続きをするなら、DVDを借りられるお店に寄ってから梓先邸に向かう。
映画を楽しめる心境じゃあないけれど。
柳一さんは正しい。
彼の判断は、いつだって誰かのためのもの。
だから正しい。
でも、それは正しくない人を救うことはない。
わたしは正しくない。
正しいと思える人と、意見や考え方が合わないと感じるから。
だからこそ、羨ましい。
でも、同じになりたいとは思わない。
理屈っぽく感情をまとめるのは苦手だ。
不鮮明さを際立たせているだけのような気がするから。
言葉をこねるほど、自分の気持ちが遠くなっていく感覚があるから。
無理に理由付けすることはない。
あとから外せる理由も、前もって付け足せる理由も、ただ目を霞ませるだけだ。
そんなもので誤魔化したいんじゃあない。
そんなもので補完できてしまえるほど、心も物事も易しくないはずだから。
今日は帰りたいと伝えたわたしに、柳一さんは今度は大きくため息を吐いた。
彼の最上は珋二さん、ただ1人。
その珋二さんが、わかったと優しく応える声を聞いて、柳一さんは車をわたしの家まで走らせた。




