参佰稑
わたしより数週遅れで帰ってきた女科さんは、「えらい、しおらしい表情になって」と、わたしの頬に手を添えた。
顔を包むように覆う彼女の両手はさらさらで柔らかくて、隠すために用意していた言葉を見失ってしまう。
「……なんでもない、大丈夫です」
どうにか首を横に振って応えると、相手はちいさく息を吐いてわたしの顔から手を離した。
「女科さん、聞いてもいいですか?」
「ん?」
「女科さんの口調、わたしは凄く好きなんですけど、女科さん本人としては直したいとか思ったことないのかなあ、って」
相手は、お国言葉やしなあ……と呟いて俯く。
もしかして、怒らせてしまっただろうか。
学食で方言の話題になっている席の隣にいたことがあって、その時何人か地方出身の人がいたらしく、「地元の言葉を直すのに苦労した」と口にするのを聞いていた。
そんな彼ら彼女たちと違って、女科さんは何か違う考えを抱いているのだろうか。
「あんな? 二人だけの秘密にするって誓える?」
「わたしと女科さんだけの?」
「そや。出来る?」
「うん。誓う」
「絶対やで? 珋二にも言うたらあかんで?」
「う……が、頑張ります……」
「あかん。絶対や。言うたら、針千本どころじゃ済まへんで」
「こわっ。わ、わかった誓います!!」
「実はな、昔直そうとしたことがあってん」
「ほうほう」
「でな、あいつの前で……律の前で使ったことがあってん。小さい頃に練習してて、それを見て欲しくってな」
「可愛い〜」
「茶化すんやないよ。で、そん時に微妙な反応やってさ」
「あちゃー」
「しょんぼりしてたんよ。そしたら……」
「うんうん」
「乙女ちゃんのお国言葉、僕好きやねんって」
「ほ、ほお」
「練習したんやろな。好きやねんだけは上手かったわ。あいつ」
「おお!?」
「当時からお互い、家柄の関係で交流があって、婚約してるのも知っててんけど。向こうがどういうつもりでそれを言ったのか、好きやねんを練習したんかは分からんけど。あたしはそん時、ああ、相手がこの人で良かったって思たんよね」
「……」
「お姫ちゃん?」
「……糖分過多です、そのお話」
「こんなん律に言うたら、あいつ調子に乗りよるやろ? だから言わんとってな? 誰にも言うたらあかんよ?」
「うん。秘密にします!」
絶対秘密にする。一生誰にも明かさないと誓える。
そして、女科さんと律さんが会話する姿を見て、一人でニヤニヤするのだ。
二人の関係性を羨ましいと思う反面、ほんの少しだけ見ているのがつらい。
わたしは、彼女みたいに自分の気持ちがはっきりしているわけじゃあない。
いまだに自分の気持ちに確信が持てない。
珋二さんに対して抱いているものは、本物か?
彼と同じ想いか? それとも悠二くんや椎名に対して抱くものか?
或いは伯父さんや伯母さん、両親に感じているものと同じか?
文さんや綾さんを想う気持ちとは、別物か?
誰のどんな想いに対しても、自信を持つことができない。
――彼女になら、ちゃんと言葉にできるかもしれない。
そう思いながら、だけど全部は口にできないだろうとも感じていた。
何もかも話すのは、まだちょっとだけ……こわい。
いつの間にか強ばった表情をしていたみたいで、それまで一度も逸らさなかった相手の視線は短い溜め息と共に外れた。
「ま、しょーもない理由やけどな」
「あ。いえ、そんなことは……すごく素敵だと思いますよ」
「いいや、しょーもない。ほんと、あいつはしょーもないんよ」
「そうなんですか?」
しょーもない。
何度もそう言うから面白くてつい悪のりすると、女科さんはつよく頷いた。
「そうそう。己以外の誰かを大切に想う言うんは、そんな、アホらしくてしょーもないことでええんや。取り繕った言葉も態度も、そういうシンプルなもんを前にしたら、霞んでしまうもんなんやで」
シンプルなこと……。
そっか、考える必要なんてないんだ。はじめから、自分でも分かる簡単なことだった。
何に悩んでいるのか知っていたみたいに、彼女はわたしの腕を優しくポンポン、と叩いた。




