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「・・・わ、きれい」

 12月も半ばを過ぎて。夜はだいぶ冷えるようになってきた。

 その分、空気は清浄で星や月がきれいに見える。

「ロンド」

 にゃあ、と返事をくれる彼女も自分の気持ちを分かってくれているはずだ。空に浮かぶ膨らみかけた月の美しさが、興奮してしまった心を癒してくれるようだった。

 

 怖かった。

 例えようもなく。本当に。

 

 そうして、そんな怖さの中で震えてしまい、電話すらうまくかけられない自分の、役の立たなさが更なる恐怖を呼んだ。あんな事で震えてしまうなら、本当に何か大事があった時に自分の身を守れないという事がはっきりしたのだ。

 この先。

 両親と離れ、一人で暮らさなければいけなくなった時には。しっかりと生活できるのだろうか。一番身近で頼りになる彼も、その内本当に好きな相手ができれば、自分の事など構えなくなるのは目に見えている。

「・・・っ」

 想像してしまった寂しさに、涙がこみ上げてきた。

 怖い。寂しい。絶えられない。

「にゃあ」

 冷たい空気に体が震えたのか、その想像に震えたのか。とにかく体を走った緊張は、黒猫の入ったケージを揺らした。聞こえてきた抗議の声に、はっとした時。道の向こうに見慣れた車が見えてほっとする。自分を迎えにきてくれた親に感謝しながら、駅の街灯を背に足を踏み出した。

 

 

 

 

 朝、出勤すると。

 晴れ晴れとした笑みを浮かべた彼が、出張土産の和菓子を配っていた。

「・・・あ、惺。ほんとごめん」

 笑顔を崩さないまま掌にそれをのせられて。先週末の土曜からずっと引きずったままだった罪悪感が、更に度合いを増した。

「は?・・・あー。いいって。良く考えたらあいつが片付けるだろうと見込んで、部屋を汚くしたままだったおれも、ある意味悪い」

 苦笑した惺は、抱えた箱の中身を空にして。それから、にやにやと笑いこちらの肩をつかんできた。そのまま自販機の並ぶスペースまで連れて行かれ、彼はようやく口を開く。

「なぁ。おれはさ」

 右肩に乗った彼の手が、ぐっと力をこめた。

「伊吹がいつまでもおれに頼ってくるのが、嬉しい反面、少々心配な訳よ」

「・・・何が心配なんだよ?」

 本音をこぼしているような様子の、彼の意図が掴めずに思わず口を挟む。

「だってさー・・・あんなんじゃずっと」

「ずっと?」

「・・・あ、ってかさ。伊吹がビビってた事、お前、すげー気にしてる?」

「そりゃ気にするって。ものすごい怯えてたんだぞ? お前、昨日ちゃんと会いに行った? フォローしとかないと、後々引きずるだろう?」

 言葉を濁して話題を変えた惺に、引っかかっていた事を伝えると。彼は目を丸くして自分を見る。肩の上の手が、首を絞める勢いで動く。

「うーん。いけると思ってたけど、ここまでとはね」

「何だよ」

「いや・・・今日さ、ロンド連れに行くから。お前も来いよ」

 にっこりと笑って紡がれた言葉に首を傾げてしまう。

「行ってどうするんだよ。邪魔したくない」

「お前が伊吹ビビらせたんだろ? もう一回くらい謝ってもいいんじゃないかなぁ~なんて思ったりして」

 笑いながら言われているのに、それに反論できない自分がいた。重くのしかかった罪悪感が体を締め付ける。

「今日、定時で上がれるように努力しろよ」

「・・・了解」

 正直、あの弱々しく震えて、自分に怯えていた彼女を。もう一度目にするのは辛かったが、謝って彼女の心が軽くなるならいくらでも謝りたいと思う。惺の腕からようやく解放された肩を回して、今日の仕事を早く終わらせる為に、オフィスに戻った。

 

 

 

 

「お帰りっ」

 惺が車を降り、道から一段高くなっている家の階段を上ろうとした時。庭の向こうの玄関が開いて、彼女が飛び出してきた。華奢な体のその後を、黒猫が追いかける。

「いい子にしてたか? ロンド」

「にゃぁ」

 猫を抱き上げて、穏やかな声を出した彼はそのまま自分を振り向いた。

「・・・あ」

 瞬間、彼女の顔が強張る。それが痛かった。

「この前はびっくりさせてごめんね」

「いえ・・・」

 暗くなった空の下でも、彼女が全身を緊張させているのが分かった。

「あのな、お前が怖かったのは分かってるよ。おれも悪かったし。でもそんな顔すんなよ。おれの会社の奴だよ?」

「う、ん。ごめんなさい」

 彼女の頭を撫で、優しく諭す惺は、自分の知らない顔だ。あまり見てはいけない気がして視線を逸らした。右手に提げた花束の包みが音を立てる。

「ああ、これはせめてものお詫び。貰ってくれるかな」

 惺の影に隠れるように立つ彼女にそれを差し出した。きょとんとした表情をする彼女がそれを腕に抱える。

「あ、りがとうございます」

 ほんのり微笑んだ、その柔らかい表情を目にして。どこか後ろめたくなる。手ぶらで訪ねるわけにはいかないと思い、花を買ったのだが。彼氏のいる前でやる事ではなかったかもしれない、と今更気付いた。

「ふふん。優しいだろう?」

 嫌な顔ひとつせずに、何故か惺は笑みを浮かべて彼女を覗き込む。そして彼女は頬を赤らめてうつむいた。訳が分からない。

「・・・あ、ちょっとごめん」

 どうすればいいか逡巡していたところに、いいのか悪いのか微妙なタイミングでポケットの携帯が鳴った。軽やかな音のその曲は、たった一人だけのもの。自然と頬に笑みが浮かぶ。

「もしもし?」

「あー、お兄ちゃん」

 可愛らしい声が耳に届いて、頬が更に緩んでいくのを抑えられなかった。

「あのね。年末はいつ帰って来るの?」

「ん、そうだなぁ、30日には帰るよ。緋天はいつから休み?」

「同じー。あ、お母さんがね、この前言ってた所のケーキ買って来てー、って」

「はいはい。緋天は何がいい?」

「んー。美味しいチョコが食べたい」

「了解。じゃあ、ちょっと出先だから切るよ?」

「え、うん。ごめんね。ばいばい」

 プツ、とあっさり電話を切ってしまった緋天に少し寂しくなる。

 

「おっまえ・・・相変わらずふざけた事してんなぁ」

 余韻に浸っていると、遠慮ない声が現実に戻してくれた。彼は自分に妹がいると知っているので、苦笑を見せる。

「何が楽しくて実の妹にそこまでアホ面できる!?」

「何言ってんだよ。可愛いんだって。お前が知らないだけで」

「・・・この変態兄貴が。言っとくがおれは違うぞ」

 シスコンだと自分でも認めてはいるが、そこまで彼に言われる筋合いもなく。反論に熱が入りかけたところで、惺が得意げな顔を見せた。

「だから、今日こうしてお前をここに呼んだのだ。さて、司月はまだ気付いてないけど。っていうかわざと黙ってたんだけど」

 

 にやりと笑った彼。

 それに目を見開く彼女。

 惺の肩の上で小さく鳴く黒猫。

 

「お前がおれの彼女だと思い込んでる伊吹は、おれの妹だ」

「は?」

 間抜けな声が出たところで、彼が一段と楽しそうに笑みを浮かべる。

「門柱見てみろ。ここはおれの家でもある」

 あまりの唐突な彼の告白に、頭が回らず。言われた通りに階段を道まで降りる。目に入ってきた、惺の名字である“藤原”の文字。

 

「シスコン司月とブラコン伊吹。君達、お似合いだよ」

 


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