第56話 終末防衛機構
世界は、滅びる瞬間だけを恐れていた。
だが本当に恐れるべきだったのは、
滅びに備え続けた者たちの、果てしない孤独だった。
終末は、今も終わっていない。
『終末防衛機構を起動する。』
第二管理者の声が響いた瞬間、記録庫の空気が一変した。
ゴォォォォ……
壁面に埋め込まれていた蒼い結晶が、一つ、また一つと消灯していく。
その代わりに、床へ巨大な紋様が浮かび上がった。
幾重にも重なった円環。
そこを黒海粒子が血流のように巡っている。
「これは……。」
澪は端末を向ける。
しかし画面は真っ白になり、数秒後、文字だけが表示された。
【SYSTEM:NOAH】
「ノア……?」
その名を見た青年――もう一人の悠真が静かに目を閉じた。
「まだ動いていたのか。」
少年が驚いたように振り返る。
「知ってるの?」
「知っている。」
青年は苦く笑った。
「私たちが最後に造った防衛機構だ。」
その一言に悠真は目を見開く。
「最後に……?」
青年は頷く。
「HYDRA計画が完成した日。」
「人類は、自分たちが敗北する未来を理解した。」
「だから勝つことは諦めた。」
「代わりに未来へ繋ぐことだけを選んだ。」
その言葉と同時に、記録庫全体へ重低音が響く。
ゴゴゴゴゴ……
床がゆっくりと左右へ開いていく。
暗闇の底から、巨大な構造物が姿を現した。
あまりにも巨大だった。
円柱状の塔。
その表面には無数の紋様が刻まれ、黒海粒子が静かに流れている。
先端には蒼白い結晶。
まるで一本の巨大な槍だった。
『対終末兵装――NOAH。』
第二管理者が告げる。
『起動率、三十一パーセント。』
『管理者不在のため、完全起動不可。』
悠真は塔を見上げる。
「兵器……なのか。」
「違う。」
青年は首を横に振った。
「これは兵器じゃない。」
「世界そのものを固定する錨だ。」
「錨?」
澪が聞き返す。
「黒海は海じゃない。」
青年は静かに答える。
「境界が壊れたことで流れ込んできた"現象"なんだ。」
「NOAHは、その境界を縫い止める最後の杭だった。」
悠真の脳裏に、榊蒼一の言葉がよぎる。
――HYDRAは時間を稼ぐための檻だ。
すべてが一本の線で繋がり始めていた。
その時だった。
バキィィィッ!!
記録庫の天井が大きく裂ける。
漆黒の海水が滝のように流れ込み、空間全体を激しく揺らした。
第一守護者が両腕を広げ、崩落を食い止める。
しかし、その身体には限界が近づいていた。
胸部結晶の亀裂は肩まで広がり、蒼い粒子が絶え間なく溢れている。
『損傷率、九十一パーセント。』
『任務……継続。』
その姿を見た悠真は拳を握り締めた。
「どうして、そこまで……。」
第一守護者は振り返らない。
ただ一言だけ、静かに告げた。
『約束……だからだ。』
短い言葉だった。
だが、その一言には数え切れない年月の重みが宿っていた。
その瞬間。
黒い海水の奥で、巨大な影が動く。
一つではない。
二つ。
三つ。
さらに、その奥にも。
無数の蒼い瞳が、ゆっくりと開かれていく。
青年の表情から笑みが消えた。
「来たか……。」
「記録の外側にいた者たちが。」
悠真は息を呑む。
「あれが……。」
青年はゆっくりと頷く。
「あれこそが。」
「榊蒼一が、人類のすべてを懸けて封じようとした存在だ。」
第56話をお読みいただき、ありがとうございました。
ついに「終末防衛機構 NOAH」が姿を現しました。
そして黒海の向こう側に潜んでいた存在も、ついに動き始めます。
第3章はいよいよクライマックスへ突入します。
ここから第60話に向けて、これまで張ってきた伏線を一つずつ回収しながら、黒海裂界編を締めくくっていきます。
次回もよろしくお願いいたします。




