第55話 もう一人の榊悠真
人は、自分自身と出会うことはない。
もし出会ったのなら。
その瞬間から、「自分」という存在は問い直される。
「……俺。」
悠真の口から、かすれた声が漏れた。
黒い球体の亀裂から現れた青年は、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
その顔立ち。
その背格好。
その歩き方。
鏡を見ているようだった。
違うのは、その瞳だけ。
青年の瞳は、深海よりも深い蒼に染まっていた。
「そんな……。」
澪は息を呑む。
計器を向ける。
反応は一つしか表示されない。
【個体識別:榊 悠真】
「嘘でしょ……。」
澪は端末を何度も確認する。
だが結果は変わらない。
目の前には二人いる。
それなのに、システムは一人しか認識していなかった。
青年は悠真の前で立ち止まる。
静かに微笑んだ。
「久しぶりだ。」
その一言に、悠真は首を振る。
「違う。」
「俺は、お前を知らない。」
青年は否定しなかった。
「そうだろうな。」
「君は、忘れることを選んだから。」
その言葉に、少年が強く反応する。
「やめろ!」
「まだ話すな!」
青年は少年へ穏やかな視線を向ける。
「時間がない。」
「封印は、もう長くは持たない。」
第一守護者の胸部結晶から蒼い粒子が漏れ続けている。
第二管理者の鼓動も、次第に大きくなっていた。
記録庫そのものが悲鳴を上げ始めている。
青年は再び悠真を見る。
「君は知りたいはずだ。」
「榊悠真とは、誰だったのか。」
悠真は拳を握る。
「……俺は榊悠真だ。」
「そう。」
青年は優しく頷く。
「だから間違ってはいない。」
「でも、それは半分だけだ。」
澪が思わず口を開く。
「半分……?」
青年は記録庫を見渡した。
無数の結晶。
砕けた記録。
倒れかけた第一守護者。
「人類は滅びを前に、一つの決断をした。」
「一人の人間を未来へ送る。」
「記憶ではない。」
「肉体でもない。」
「――可能性を。」
悠真の胸が大きく脈打つ。
ドクン。
青年は自分の胸へ手を当てる。
「私は、記憶。」
そして悠真を見る。
「君は、可能性。」
静寂が訪れる。
誰もその意味を理解できなかった。
「私は最後までここへ残った。」
「君は未来へ託された。」
「それだけの違いだ。」
悠真は一歩前へ出る。
「つまり、お前は……。」
青年は微笑む。
「榊悠真。」
「HYDRA計画以前の、本来の榊悠真。」
その瞬間だった。
記録庫全体が激しく揺れた。
ゴゴゴゴゴッ――!!
天井の見えない暗闇に巨大な亀裂が走る。
そこから黒い海水が滝のように流れ込み始めた。
第二管理者の声が初めて焦りを帯びる。
『境界崩壊。』
『記録庫、維持不能。』
『全管理個体へ通達。』
『終末防衛機構を起動する。』
第一守護者がゆっくりと立ち上がる。
砕けた胸部結晶を押さえながら、それでも悠真たちの前へ立つ。
その背中は、まるで最後の砦だった。
青年は静かに目を閉じる。
「……始まる。」
「本当の黒海が。」
第55話をお読みいただき、ありがとうございました。
ついに現れた「もう一人の榊悠真」。
彼が語った「私は記憶、君は可能性」という言葉が、HYDRA計画の核心へと繋がっていきます。
そして記録庫の崩壊により、物語は大きな転換点へ向かいます。
次回は「終末防衛機構」が始動し、第3章最大の山場へ突入します。
引き続き応援よろしくお願いいたします。




