第46話 扉の向こう側
人は未知を恐れる。
だが、本当に恐ろしいのは、
その未知が自分を知っていることなのかもしれない。
黒海は、また一つ真実への扉を開く。
ズズズズズ……
巨大な扉は、音もなく開き続けていた。
本来なら、これほど巨大な構造物が動けば激しい水流が発生するはずだった。
しかし、海水は揺れない。
黒海粒子だけが静かに流れ、扉の奥へ吸い込まれていく。
「……水が動いていない。」
澪が呟く。
計器を確認する。
流速はゼロ。
圧力にも変化はない。
目の前で起きている現象そのものが、物理法則を拒絶していた。
悠真は扉の奥を見つめる。
暗闇の中に、淡い蒼い光がゆっくりと脈打っている。
まるで誰かが呼吸をしているようだった。
『進行を許可。』
白い深海服が静かに告げる。
『継承者のみ、境界内部への侵入を認証。』
その瞬間。
悠真のスーツが一度だけ震えた。
胸部モニターに見覚えのない表示が浮かぶ。
【認証完了】
【境界コード:YUMA-SAKAKI】
「誰が認証した……?」
澪も同じ画面を見ていた。
「外部ネットワークには繋がっていない……。」
「じゃあ、どうやって……。」
答えは返ってこない。
代わりに、塔の奥から小さな足音が響いた。
コツ……
コツ……
一定の間隔。
ゆっくりと近付いてくる。
悠真はライトを向けた。
だが光は途中で吸い込まれ、何も映さない。
音だけが近付く。
そして。
暗闇の境界で、それは止まった。
小さな影。
人間ほどの大きさ。
しかし、その輪郭は黒海粒子に包まれ、はっきりとは見えない。
「子ども……?」
澪が思わず声を漏らした。
影は答えない。
ただ悠真だけを見つめている。
その瞬間、悠真の脳裏に再び映像が流れ込んだ。
白い研究施設。
無数の培養槽。
その中央で眠る、一人の少年。
年齢は十歳ほど。
眠る顔は驚くほど穏やかだった。
そして培養槽のガラスには、こう記されていた。
【Project HYDRA】
【Subject:Y-01】
映像は一瞬で途切れる。
「っ!」
悠真は頭を押さえ、膝をつく。
「悠真!」
澪が支える。
呼吸が乱れる。
鼓動が速い。
しかし苦しさとは違う。
忘れていた何かを、無理やり思い出そうとする感覚。
その時。
影が初めて口を開いた。
『遅かったね。』
幼い声だった。
男とも女とも分からない。
澄み切ったその声は、深海には似つかわしくないほど優しかった。
『ずっと待っていたよ。』
悠真はゆっくりと顔を上げる。
「……誰だ。」
影は小さく首を傾げる。
そして、どこか寂しそうに微笑んだ。
『忘れちゃったんだね。』
『……お兄ちゃん。』
その一言で、悠真の時間は止まった。
知らないはずの呼び方。
なのに胸の奥で、消えかけていた鼓動が強く脈打つ。
ドクン――
ドクン――
黒海裂界全体が、その鼓動に応えるように静かに震え始めた。
第46話をお読みいただき、ありがとうございました。
扉の向こうで悠真を待っていたのは、「最後の継承者」を知る存在でした。
しかし、その存在は新たな謎を残します。
「Project HYDRA」と「Y-01」、そして「お兄ちゃん」という言葉が意味するものとは何なのか。
物語はここから、世界の起源と悠真自身の過去へと踏み込んでいきます。
次回もよろしくお願いいたします。




