第41話 深層残響
黒海は、音を呑み込む。
それでも――
届いてしまう声がある。
静寂の底で、過去はまだ終わっていなかった。
静かだった。
深海とは思えないほど、静かだった。
悠真は呼吸を整えながら、漆黒の海を見つめる。
先ほどまで耳の奥へ響いていた"呼び声"は、完全に消えていた。
「……終わったのか?」
誰に向けた言葉でもない。
しかし返事はあった。
『違う。』
声ではない。
直接、脳へ染み込んでくる感覚。
澪も同時に顔を上げた。
「聞こえた……?」
悠真は小さく頷く。
その瞬間。
ゴ……
海底全体が震えた。
砂ではない。
岩盤でもない。
もっと巨大な何かが、ゆっくりと身じろぎしたような振動だった。
周囲に浮かぶ黒い粒子が、一斉に同じ方向へ流れ始める。
まるで風に揺れる花のように。
「粒子が……誘導されてる?」
澪が息を呑む。
計器を見る。
流速ゼロ。
海流なし。
重力変動なし。
それでも粒子だけが、一定方向へ進んでいた。
「あり得ない。」
その時だった。
黒い霧の向こう。
一本の光が現れた。
細い。
しかし人工物特有の、規則正しい白色光。
「灯台……?」
悠真が呟く。
だが海底に灯台など存在するはずがない。
光は一本。
二本。
三本。
やがて無数に増えた。
整然と並ぶ光柱。
まるで都市だった。
「……街?」
誰も動けない。
そこにある。
存在している。
だがソナーには映らない。
カメラにも映らない。
肉眼だけが、それを認識していた。
『見てはいけない。』
再び声。
今度は少し近い。
悠真は反射的に振り返る。
誰もいない。
しかし視界の端に、人影が立っていた。
深海服を着た人物。
ヘルメットは割れ、顔は見えない。
それでも確かに、こちらを見ている。
「誰だ!」
叫ぶ。
返事はない。
その姿は、黒い粒子へ溶けるように消えた。
澪の表情が青ざめる。
「今の……私も見えた。」
幻覚ではない。
二人は同じものを見ていた。
その直後。
都市の光が、一斉にこちらを向いた。
まるで無数の"目"が開いたかのように。
深海の静寂は終わりを告げる。
そして黒海は、再び呼び始めた。
第41話を読んでいただき、ありがとうございました。
黒海裂界の謎は、少しずつその輪郭を現し始めます。しかし、それは真実へ近づくことではなく、「見てはいけないもの」を知ってしまう始まりでもあります。
次回も、静かな恐怖と違和感を積み重ねながら物語は進んでいきます。
引き続き応援よろしくお願いいたします。




