第40話 深海の呼び声
海は、
何も語らない。
それでも人は、
海の声を聞こうとする。
だが――
海がこちらを呼び始めた時、
もう後戻りはできない。
HYDRA CHRYSALIS
REBIRTH
第3章 黒海裂界
第40話 深海の呼び声
『……まだ。』
その二文字だけが、
世界中へ響き渡った。
風が止む。
波が止む。
鳥の鳴き声さえ消えた。
まるで。
地球そのものが、
耳を澄ませているようだった。
玲司は黄金の瞳を見上げる。
その視線が交わった瞬間――
胸が締め付けられた。
「っ……!」
激痛。
心臓ではない。
魂を握られるような痛み。
玲司は膝をつく。
「玲司!」
EVEが駆け寄ろうとする。
しかし。
男が静かに腕を上げた。
「近づくな。」
低い声。
その一言で、
EVEは足を止めた。
「今、触れれば……。」
男は黄金の瞳を見つめたまま言う。
「継承が壊れる。」
玲司の視界が揺れる。
海が見えた。
いや。
深海だった。
光の届かない闇。
静寂。
その底で。
巨大な何かが眠っている。
鼓動。
ドクン。
ドクン。
その鼓動と、
玲司の心臓が重なっていく。
「違う……。」
玲司は苦しそうに呟く。
「これは……
俺の鼓動じゃない。」
その瞬間。
暗闇の奥で、
一筋の蒼い光が灯る。
ゆっくり。
ゆっくりと。
近づいてくる。
玲司は目を凝らす。
人影だった。
裸足。
長い白髪。
青白く輝く肌。
静かに海底を歩いている。
その姿を見た瞬間。
玲司の胸が熱くなる。
「母体……?」
女は何も答えない。
ただ。
玲司へ向かって、
そっと右手を伸ばした。
その指先が触れようとした瞬間――
バチィッ!!
蒼い稲妻が海底を走る。
女の姿が、
激しく乱れた。
ノイズ。
映像が崩れる。
まるで誰かが、
その接触を妨害しているようだった。
玲司は叫ぶ。
「待ってくれ!」
しかし。
女は悲しそうに微笑むだけだった。
そして。
唇が動く。
声は聞こえない。
だが。
玲司には分かった。
『逃げて』
そう言った。
次の瞬間。
深海が砕け散る。
玲司は現実へ引き戻された。
「はぁっ!」
荒い息。
港。
黒海裂界。
すべて元の景色だった。
しかし。
玲司の右手には、
一滴の海水が残っていた。
ぽたり。
その雫は地面へ落ちることなく、
小さな蒼い結晶へ変わる。
EVEが目を見開く。
「そんな……。」
「深海結晶……。」
男も、
初めて驚いた表情を見せる。
「裂界の中から、
持ち帰ったのか。」
玲司は結晶を見つめる。
温かい。
まるで、
誰かの体温のようだった。
その時。
港中へサイレンが鳴り響く。
『緊急報告!』
『世界各地で、
母体由来生命体が同時出現!』
『北海道海域!』
『地中海!』
『太平洋第七海溝!』
『ブラジル沖!』
次々と報告が入る。
司令官の声が震えていた。
『すべての個体が、
同じ方向を向いています!』
玲司は嫌な予感を覚える。
「どこを見てる?」
数秒の沈黙。
そして。
通信士が、
震える声で答えた。
『日本です。』
『神崎玲司のいる港を、
見ています……。』
港の全員が凍り付く。
玲司はゆっくりと周囲を見渡す。
遠い水平線。
その彼方。
暗い海の中で。
無数の蒼い光が、
次々と灯り始めていた。
一つ。
十。
百。
千――。
世界中の海が、
玲司を見つめていた。
―――続く
第40話を読んでいただき、ありがとうございました。
第3章も少しずつ核心へ近づいてきました。
今回は、玲司が初めて「母体」と思われる存在と接触しようとする場面を描いています。
ただし、その正体はまだ明かしません。
この作品では「分からない恐怖」と「少しずつ真実へ近づく感覚」を大切にしたいと考えています。
そして最後に描かれた、世界中の母体由来生命体が玲司へ視線を向ける異常現象。
それが何を意味するのか。
次回、その静かな恐怖がさらに深まります。
これからも『HYDRA CHRYSALIS ―REBIRTH―』をよろしくお願いいたします。




