第31話 鳴き声
終焉戦争の記録には、
蒼泡について奇妙な一文だけが残されている。
『決して鳴き声に応えてはならない』
その意味を知る者は、
もうほとんど残っていない。
HYDRA CHRYSALIS
REBIRTH
第31話 鳴き声
港を吹き抜ける風が止んだ。
海だけが揺れている。
ぽよん。
ぽよん。
海面を跳ねる無数の蒼泡。
朝日に照らされ、
宝石のように蒼く輝いていた。
その光景は美しい。
だからこそ異様だった。
玲司は一歩も動けない。
「数が多すぎる……」
EVEは静かに海を見つめていた。
瞳の奥で、
深海粒子が淡く揺れる。
「増殖速度が異常。」
「終焉戦争時の記録を超えている。」
玲司が息を呑む。
「そんな事があるのか。」
EVEは小さく首を振る。
「本来ならあり得ない。」
「誰かが……誘導している。」
その瞬間だった。
海の彼方から、
小さな音が聞こえた。
「……ぁ」
玲司が耳を澄ます。
風ではない。
波でもない。
歌。
いや。
子守歌のような声だった。
優しい。
懐かしい。
幼い頃、
誰かに抱きしめられていたような温もり。
港にいた隊員の一人が、
ゆっくり海へ歩き始めた。
「おい!」
仲間が腕を掴む。
しかし隊員は振り払う。
「母さんが……呼んでる。」
玲司の背筋が凍る。
隊員の目は焦点が合っていない。
夢遊病のように、
海へ近付いていく。
EVEが叫んだ。
「耳を塞いで!」
全員が慌ててヘッドセットを外す。
玲司も耳を押さえた。
それでも。
声は頭の中へ直接響いてくる。
『おかえり』
玲司は目を見開いた。
誰の声だ。
EVEではない。
母体でもない。
榊悠真でもない。
もっと優しい。
もっと古い。
海そのものが囁いているようだった。
その時。
港の岸壁へ一匹の蒼泡が跳ね上がる。
ぽよん。
玲司と目が合った。
蒼泡は嬉しそうに震える。
そして。
小さく鳴いた。
「……きゅぅ。」
静寂。
玲司は固まる。
隊員達も動けない。
蒼泡が。
鳴いた。
EVEの表情が初めて大きく崩れた。
「そんな……」
「記録にない。」
蒼泡はもう一度鳴く。
「きゅ……。」
次の瞬間。
沖合にいた無数の蒼泡が、
一斉に鳴き始めた。
「きゅぅ。」
「きゅぅ。」
「きゅぅ。」
「きゅぅ。」
その声は重なり、
まるで一つの歌になっていく。
海全体が歌っている。
玲司は胸を押さえた。
鼓動が速い。
原初因子が暴走しかけている。
深海粒子が身体の表面へ浮かび上がる。
EVEが玲司の肩を掴む。
「聞いては駄目!」
だが。
玲司は聞いてしまった。
歌の奥に。
別の声を。
『助けて』
その一言だけが、
はっきり聞こえた。
玲司は息を呑む。
助けを求めている。
蒼泡が?
兵器が?
あり得ない。
その瞬間。
玲司の脳裏へ、
終焉戦争の記憶が流れ込む。
暗い研究施設。
白衣の研究者。
ガラス容器。
その中で揺れる、
一匹の小さな蒼泡。
研究者は微笑んでいた。
「成功だ。」
「この子は命令を理解する。」
「感情まで学習している。」
別の研究者が震える声で答える。
「違う……。」
「学習じゃない。」
「この子は……」
そこで映像が途切れた。
玲司は膝をつく。
荒い呼吸。
「今のは……。」
EVEは玲司を見つめる。
「何を見た?」
玲司は震える声で答えた。
「蒼泡は……」
言葉が出ない。
信じたくなかった。
禁忌兵器。
存在崩壊兵器。
そう教えられてきた。
だが。
もし。
あれが最初から兵器ではなかったとしたら。
海風が吹く。
無数の蒼泡が、
一斉に玲司を見つめる。
そして。
全く同じ方向へ向きを変えた。
沖合。
誰もいないはずの海。
そこに。
白い人影が立っていた。
波の上に。
静かに。
長い白髪を揺らしながら。
玲司はその姿を見て息を止める。
夢で見た。
白い海の女性。
その姿が。
現実の海に立っていた。
―――続く
第31話でした。
今回は蒼泡の新たな一面が描かれました。
ただの禁忌兵器ではなく、
まるで感情を持つ生命のような存在。
そして終盤には、
白い海で玲司が出会った謎の女性が現実世界へ姿を現しました。
ここからREBIRTH編は、
「兵器」と「生命」の境界が揺らぎ始めます。
次回、その白い女性と蒼泡の意外な関係が明らかになります。




