第27話 裂界の向こう側
観測者は恐怖を持たない。
少なくとも、
そう考えられていた。
感情を持たず。
怒りもなく。
悲しみもない。
ただ観測するだけの存在。
だが。
もしそんな存在が、
何かを警戒したとしたら。
それは一体、
何を意味するのだろうか。
HYDRA CHRYSALIS
REBIRTH
第27話 裂界の向こう側
黒海裂界が震えていた。
蒼海区上空。
夜空を覆う巨大な裂け目。
その奥には闇しかない。
だが。
今は違った。
何かがいる。
誰もがそう理解していた。
観測者が見上げている。
それだけで十分だった。
玲司は息を呑む。
目の前の光景が信じられない。
終焉存在ですら脅威。
観測者ですら異常。
その観測者が。
さらに奥を見ている。
榊悠真も表情を消していた。
珍しい事だった。
彼は静かに呟く。
「……なるほどな」
玲司が振り返る。
「何が分かった」
榊は苦笑した。
だが。
その笑顔には余裕がない。
「嫌な予感が当たった」
海が揺れる。
深海色の波紋が広がる。
母体が膝をついた。
少女の姿のまま。
苦しそうに胸を押さえている。
EVEが駆け寄る。
「母体!」
母体は震えていた。
恐怖ではない。
もっと根源的な何か。
記憶。
本能。
生命そのものへ刻まれた警告。
「思い出した……」
小さな声。
玲司が聞く。
「何を」
母体の瞳から涙が零れた。
「最初の終わりを」
空気が凍る。
管理体が目を見開く。
「まさか……」
母体は空を見上げた。
裂界の向こう。
誰も知らない場所。
生命誕生以前。
文明誕生以前。
宇宙誕生以前。
そんな途方もない昔。
海は一度だけ、
滅びを見た。
母体はその記憶を持っていた。
「私達は逃げた」
震える声。
「隠れた」
「眠った」
「忘れた」
海風が吹く。
母体は続ける。
「でも」
「向こうは忘れていなかった」
その瞬間。
黒海裂界が脈動する。
一度。
二度。
三度。
そして。
世界中の海が静かになった。
波が消える。
風も止まる。
魚も動かない。
深海も沈黙する。
地球全体が息を止めたようだった。
玲司は寒気を覚える。
これは異常だ。
静かすぎる。
あまりにも。
その時。
裂界の奥で光が灯った。
小さい。
本当に小さい光。
星のようにも見える。
だが。
観測者が後退した。
初めてだった。
絶対存在に見えた観測者が。
明確に距離を取った。
管理体の顔から血の気が引く。
「ありえない……」
EVEも言葉を失う。
母体はただ震えていた。
玲司だけが分からない。
何が起きているのか。
だが。
本能が叫んでいた。
見てはいけない。
近づいてはいけない。
理解してはいけない。
その光は。
生命の側にあるものではない。
榊が小さく舌打ちした。
玲司は初めて聞いた。
榊悠真の舌打ちを。
それほど異常な状況だった。
「最悪だな」
静かな声。
玲司が聞く。
「何なんだよ」
榊は少し黙った。
そして答える。
「まだ分からん」
「でも」
視線を裂界へ向ける。
「多分」
「全部の始まりだ」
沈黙。
世界中の海が震える。
母体が顔を上げる。
涙を流しながら。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「創海者……」
玲司の耳だけが反応した。
「何だそれ」
母体は答えない。
いや。
答えられなかった。
その瞬間。
裂界の奥の光が少しだけ大きくなる。
世界が軋む。
空間が悲鳴を上げる。
海が沸騰する。
深海粒子が暴走する。
そして。
世界中の人々が同時に見た。
夢の中で。
海の中で。
記憶の中で。
誰も知らない白い海。
その中心に立つ。
一つの影を。
顔は見えない。
姿も分からない。
ただ。
その存在だけが分かる。
あれは。
海より古い。
生命より古い。
そして。
あまりにも孤独だった。
玲司の視界が揺れる。
意識が遠のく。
最後に聞こえたのは。
榊悠真の声だった。
「玲司」
珍しく真剣な声。
「次からは」
「本当に覚悟しろ」
その言葉と同時に。
裂界の向こう側から。
誰かがこちらを見た。
―――続く
第27話でした。
今回からREBIRTH編は新たな段階へ入ります。
母体生命体。
終焉存在。
観測者。
これまでの謎のさらに奥に存在する、
新たな存在の名前が初めて示されました。
「創海者」
まだ正体は語られません。
ですが、
HYDRA CHRYSALIS全体の根幹へ関わる存在になります。
次回は、
世界中で発生する異常な夢と、
玲司が見る“白い海”の正体へ迫っていきます。




