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芸術祭の準備と変容するパリ

1792年。八月。


パリが歌い始めた。


それはセーヌ川の左岸から始まった。朝五時、魚市場の荷揚げ場で鯖の木箱を担ぐ男たちが口ずさんでいたメロディ。パン屋の竈の前で生地をこねる女がハミングしていた旋律。鍛冶屋の鉄床を叩くリズムに自然と重なっていった拍子。


一つの歌がパリの街路を水のように満たしていった。


ラ・マルセイエーズ。


だが、この世界線のラ・マルセイエーズはどこかが違っていた。


* * *


歌が生まれたのは六月のことだった。


ストラスブール駐屯の工兵大尉クロード=ジョゼフ・ルージェ・ド・リールがストラスブール市長の依頼で作曲した行進曲。史実ではオーストリアへの宣戦布告の夜に出征する部隊を鼓舞するために一晩で書き上げた軍歌だった。「ゆけ祖国の民よ……敵は血に飢えたり……立て国民よいざ武器を取れ……あだなす敵の汚れた血で我らの畑を潤せ」血と暴力に満ちた歌詞。


だが、この時間軸では戦争が起きていなかった。


オーストリアへの宣戦布告はなかった。ピルニッツ宣言はタレーランとアントワネットの外交工作で無力化されプロイセンはポーランドの方を向いていた。フランス国境を脅かす軍靴の音は聞こえず、義勇兵を募る必要もなく、出征を鼓舞する軍歌を書く理由は存在しなかった。


ではルージェ・ド・リール大尉はなぜ歌を書いたのか。


答えは万国最高芸術祭だった。


ストラスブール市長は、パリで開催される芸術祭に合わせて、地方の音楽的才能をパリに送り出したいと考えていた。そして駐屯地で「少し音楽の才がある」と評判だったリール大尉にフランス共和国を讃える行進曲の作曲を依頼したのだ。


リールは一晩で曲を書いた。


メロディは同じだった。あの勇壮な旋律。心臓の鼓動を加速させ、背筋を伸ばし、足を前に踏み出させるあの不滅のメロディ。五年後の未来でも、百年後でも二百年後でも人々の心を揺さぶり続ける、あの旋律。


だが、歌詞が根本から違っていた。


戦争を知らない時間軸のリール大尉は血を歌わなかった。敵を歌わなかった。武器を歌わなかった。代わりに


---


行こう祖国の子らよ

栄光の日が訪れた

我らの畑に黄金の穀物が実り

我らの工房に鉄と火の歌が響く


聞こえるか街道を行く

車輪の力強い響きが

フランの手から手へ渡る

自由と誇りの証を


進め市民よ

隊列を組め

進め進め

労働の汗で

我らの畑を潤せ


---


「汚れた血」は「労働の汗」に変わっていた。「武器を取れ」は「隊列を組め」に変わっていた。敵を殺す歌は大地を耕す歌になっていた。


メロディの力は歌詞の内容に関係なく人間の体を動かす。あの勇壮な旋律に乗せれば、どんな歌詞でも人の足を前に踏み出させる力を持つ。リール大尉は無自覚にそれを証明していた。戦争の歌であろうと、労働の歌であろうと、ラ・マルセイエーズの旋律が鳴り響けば人間は立ち上がる。


マルセイユから来た商人たちがこの歌をパリに持ち込むと、芸術祭の準備のためにパリに集まった地方の職人や農民たちの間で瞬く間に広まった。彼らは荷車を引きながら、歌い石畳を敷きながら歌い、コンサートホールの梁を組み上げながら歌った。


ロベスピエールはこの歌が街に広がっていく速度を執務室の窓から観察していた。


音楽の伝染力。


法律は読まなければ伝わらない。通貨は使わなければ広まらない。だが歌は聴くだけで伝染する。一度耳にしたメロディが脳に刻まれ、無意識に口ずさまれ、隣の者が聴き取り、その者がまた口ずさむ。ウイルスのように。


球戯場の日、ロベスピエールは議員たちの熱狂を「感情のウイルス」と呼んだ。あの怒りのウイルスは暴力を増殖させた。


だが、もしウイルスの中身を入れ替えたら?


怒りの代わりに誇りを。暴力の代わりに労働を。血の代わりに汗を。


同じ感染力で、まったく異なるものを広める。


ラ・マルセイエーズは、この時間軸ではそのようなウイルスになっていた。労働と進歩のアンセム。共和国の国民であることの誇りをメロディに乗せて全国に感染させる装置。


美しき洗脳。


ロベスピエールはその言葉を脳の中で静かに転がした。


* * *


八月。パリ・オペラ座。


赤いビロードの幕が上がった。


客席を埋めているのは、かつてのオペラ座では見られなかった光景だった。最上階のバルコニー席には旧貴族の夫人たちが扇子を揺らしている。一階の桟敷席には銀行家と商人の家族が座っている。そして平土間の最も安い立ち見席には、パン屋の主人と鍛冶屋の親方と洗濯女と印刷工の少年とセーヌ川の船頭の娘が、押し合いへし合いしながら立っている。


身分の異なる人間たちが同じ空間で同じ音楽を聴いている。


これはフランス革命の歴史において、いや、ヨーロッパの歴史において初めてのことだった。


今夜の演目はモーツァルトの『魔笛』だった。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。前年1791年十二月に三十五歳で夭折した天才。ウィーンの貧民墓地に埋葬された、あの不世出の作曲家。彼の最後のオペラが、彼が死んだ国ではなく、彼が訪れたことのない新しい国で、初めてあらゆる階級の観客に向けて上演される。


序曲が始まった。


三つの和音。荘厳で神秘的でしかし人間的な響き。フリーメイソンの象徴を込めた三つの和音がオペラ座の空間を満たした。


立ち見席の洗濯女が息を呑んだ。


彼女はこれまでの人生でオーケストラの生の音を聴いたことがなかった。教会のオルガンは知っている。酒場のフィドルは知っている。だが、四十人のオーケストラが一斉に奏でる音の壁は彼女の体を物理的に揺さぶった。空気が振動し胸骨が共鳴し涙腺が不意に開いた。なぜ泣いているのか分からないまま、洗濯女のマリーは『魔笛』の序曲を頬を濡らしながら聴いた。


隣に立っていた印刷工の少年が彼女に手拭いを差し出した。少年もまた目が赤くなっていた。


舞台では鳥刺しパパゲーノが陽気に歌い始めた。客席から笑いが起きた。桟敷席の銀行家の妻も、立ち見席のパン屋の主人も同じ場面で同じように笑った。モーツァルトの音楽は身分を溶かした。音楽の前では貴族の耳も平民の耳も同じ構造をしている。同じ周波数に反応し同じメロディに心を動かされる。


休憩時間ロビーで、かつてなら絶対に交わされなかったであろう会話が生まれた。


「あのパパゲーノ、面白かったですわね」


バルコニー席から降りてきた旧侯爵夫人が、立ち見席の洗濯女マリーに話しかけた。侯爵夫人は「アントワネット・スタイル」に影響されて質素な麻のドレスを着ていたが、言葉遣いと所作はまだ完全に旧体制のままだった。


「ええ。あの鳥の男がとても」


マリーは恐縮しながら答えた。侯爵夫人に話しかけられることなど、彼女の人生で一度もなかった。


「鳥の男。そう鳥の男ですわね。モーツァルトはあの役を庶民の視点で書いたのだと聞きましたわ。王子や王女ではなく鳥を捕まえて売る男が主人公。新しい時代にふさわしい」


「でも、あの夜の女王の歌もすごかったです。あんな高い声が出るなんて」


「ええ。あれはコロラトゥーラといって」


会話は五分続いた。


侯爵夫人が席に戻った後、マリーは自分が旧侯爵夫人とオペラについて語り合ったという事実にしばらく呆然としていた。


これがロベスピエールが設計したシステムの最も微細な、しかし最も深い効果だった。通貨でも法律でも度量衡でもない。オペラの休憩時間のロビーで、異なる階級の人間が同じ芸術について語り合う。それが「平等」の本当の意味だった。法律の条文に書かれた平等ではなく、体験された平等。


ロベスピエールはその夜、バルコニー席の最奥ほとんど闇に溶けるような位置で客席を観察していた。舞台ではなく客席を。洗濯女の涙を。印刷工の少年の赤い目を。侯爵夫人との会話を。帳簿の数字では測れないものがこの空間で生まれている。


ラファイエットが正しかった。


感動は計算できない。


だが、感動を生む環境は設計できる。


* * *


オペラ座では毎晩異なる演目が上演された。


モーツァルトの『皇帝ティートの慈悲』。許しと寛容を主題にしたオペラはロベスピエールが自ら上演を指定した作品だった。暴君の処刑ではなく、暴君の赦免を描く物語。ティート帝が反逆者を処刑する代わりに赦す場面で、客席から拍手ではなく深い溜息が漏れた。それは血を流さなかった革命を成し遂げた民衆だけが発することのできる溜息だった。


イタリアの喜劇オペラ・パイジエッロの新作は立ち見席の市民たちを爆笑させた。貴族を茶化し、聖職者を皮肉り、恋する若者たちのドタバタを描く軽妙な音楽劇。笑いは怒りの最良の解毒剤だった。怒りを笑いに変換すれば暴動は起きない。不満は拳ではなく拍手で発散される。


ケルビーニは毎夜の上演の合間に新作の作曲に没頭していた。万国最高芸術祭のオープニングを飾る序曲。彼はフランスの新しい精神を一つの旋律に凝縮しようとしていた。


そしてベートーヴェン。


二十二歳の青年はオペラ座の片隅で毎夜すべての演目を聴いた。モーツァルトの天才に圧倒され、ハイドンの構築力に学び、ケルビーニの新しさに刺激を受けた。彼は言葉少なく不愛想で、楽屋ではほとんど誰とも口をきかなかった。だが音楽が鳴っている間、彼の目は世界のすべてを吸い込もうとする灰色の瞳は、客席の闇の中で異常な光を放っていた。


ある夜、モーツァルトの『魔笛』の終幕後、ベートーヴェンは楽屋裏でケルビーニを捕まえた。


「ケルビーニ。一つ聞きたい」


「何だ、ベートーヴェン」


「あのオペラ『魔笛』の最後で光が闇に勝つ場面。あの和声進行はなぜあれほど聴く者の胸を打つのだ。技術的に分析すれば、ごく単純な長調への解決に過ぎない。だがあの瞬間、客席の全員が呼吸を止めた。私も止めた。なぜだ」


ケルビーニは若い同業者の目を見た。その目に途方もない渇望が燃えていた。


「それは」


ケルビーニは言いかけて止まった。考えた。そして正直に答えた。


「わからない。モーツァルトがなぜあの効果を生み出せたのか、私にもわからない。分析はできる。和声の構造オーケストレーションの配置声部の導き方、すべて説明できる。だが、それを知ってもあの効果は再現できない。モーツァルトだけが到達した場所がある。我々は近づくことしかできない」


「近づくだけか」


「近づくだけだ。だが、ベートーヴェン。お前には近づく力がある。いや、もしかすると」


ケルビーニは言葉を切った。


「もしかすると、お前はモーツァルトとは別の場所に、モーツァルトが行かなかった場所に到達するかもしれない。お前の音楽にはモーツァルトにはない何かがある。暴力的で荒々しくて、だが、嘘がない」


ベートーヴェンは何も答えなかった。


ただ踵を返して楽屋を出た。不愛想に。礼の一つも言わずに。


だが、ケルビーニは知っていた。あの若者の背中がわずかに震えていたことを。


* * *


九月。


旧王立絵画彫刻アカデミーの建物で第一回「新・共和国絵画展」が開幕した。


旧アカデミーは革命以前は厳格な階層制度で運営されていた。会員は男性のみ。女性画家の入会は原則禁止。展示の機会はアカデミーが認めた画家にだけ与えられた。


新しい絵画展はそのすべてを覆した。


出展資格に性別の制限はなかった。身分の制限もなかった。唯一の基準は「作品の質」だけだった。審査はダヴィドを委員長とする五名の選考委員が行ったが、ダヴィドの方針は明確だった。


「新しいフランスには新しい目が必要だ。古い目で描かれた古い絵は博物館に飾ればいい。この展示には今のフランスを今の目で見た絵だけを並べる」


展示室に入った観客が最初に目にしたのはエリザベート・ヴィジェ=ルブランの大作だった。


プチ・トリアノンの菜園で麻のエプロンをかけ、トマトを手にした市民アントワネットの肖像。かつて宮廷のきらびやかな衣装の中に描かれた王妃が、今は土の匂いのする農婦として微笑んでいる。画面の背景には菜園の向こうにヴェルサイユ宮殿のシルエットが小さく見える。宮殿は遠い。もはやアントワネットの居場所ではない。彼女の居場所はこの菜園だ。この大地だ。


ヴィジェ=ルブラン自身が展示室の片隅に立っていた。三十七歳。かつて王妃の肖像画で名を馳せた女性画家が、今は共和国の画家として自分の作品が公的な展示場に飾られるのを見ている。


「素晴らしい光だ」


ダヴィドがヴィジェ=ルブランの隣に立って言った。


「ありがとう、ダヴィド殿。しかし、あなたが私の作品を展示の冒頭に置いてくださったのは政治的な理由もあるのでしょう?」


ヴィジェ=ルブランの目は聡明だった。画家の目。人間の表面ではなく表面の裏にある構造を見抜く目。


「政治的な理由?」


「女性画家の作品を冒頭に置くことで、この展示が、そして、この共和国が性別による差別を克服したことを宣言する。それが目的でしょう」


ダヴィドは数秒間沈黙した。それから苦笑した。


「……否定はしない。だが、それだけではない。正直に言おう、ヴィジェ=ルブラン。この展示の中で政治的な意味を抜きにして、最も美しい光を描いているのは、あなたの絵だ。ゴヤは残酷すぎる。ターナーは実験的すぎる。私の絵は構成が堅すぎる。あなたの絵だけが観る者の心を柔らかくする光を持っている」


「お世辞を」


「事実だ。そして、この展示の冒頭には観る者の心を柔らかくする絵が必要だった。硬い心で展示室に入った観客はゴヤの残酷さに拒絶反応を起こす。だが、あなたの絵で心が柔らかくなった後なら、ゴヤの残酷さを受け止められる」


ヴィジェ=ルブランは微笑んだ。画家の微笑み。自分の仕事が正しく理解されたときの、あの静かな喜び。


* * *


展示室の奥にはもう一人の女性画家の作品が並んでいた。


アンゲリカ・カウフマン。五十一歳。スイス生まれローマ在住の新古典主義の画家。ロンドンの王立芸術院の創設メンバーに選ばれたヨーロッパで最も成功した女性画家の一人。


カウフマンの作品は古代ローマの美徳を主題にした歴史画だった。共和政ローマの英雄たちが祖国のために自己犠牲を捧げる場面。だが、この作品では、その英雄たちの中に女性の姿が堂々と描き込まれていた。戦場の男たちの背後で家庭と経済を支える女性たち。武器を持たないが、武器を作る材料を運び、負傷者を看護し、子供を育てる女性たち。


サン=ジュストがカウフマンの絵の前で足を止めた。


「これは美徳だ」


美青年の目に、あの光が戻っていた。議場で「低俗だ」と叫んだときの怒りは消え、代わりに純粋な感動が二十五歳の顔を照らしていた。


「ロベスピエール。これを見てくれ」


サン=ジュストが偶然居合わせたロベスピエールを呼んだ。


「この絵は最高存在の祭典で私がやりたかったことを絵画で実現している。美徳の可視化だ。共和政の精神を教条ではなく美として提示している。……ラファイエットの言う通りだったのかもしれない。芸術は教条よりも深く人の心に届く」


ロベスピエールはサン=ジュストの横顔を見た。


この青年が変わりつつあった。理想主義の純粋さはそのままに、しかし、その純粋さを表現する方法が教条から芸術に移行しつつあった。ギロチンで美徳を押し付ける代わりに絵画で美徳を見せる。処刑で不道徳を罰する代わりに音楽で道徳を歌う。


同じ純粋さ。同じ忠誠。だがまったく異なる結果。


ロベスピエールはカウフマンの絵を見上げた。古代ローマの英雄たちと彼らを支える女性たち。強さと柔らかさの共存。


「サン=ジュスト。この展示の、ここまでの感想は」


「……低俗ではなかった」


「ああ」


「ラファイエットには負けたくはなかったが。認めざるを得ない」


ロベスピエールはかすかに唇の端を上げた。


* * *


展示室を巡る観客たちの中に外国からの来賓も混じっていた。


ゴヤが自分の作品の前に立っていた。四十六歳のスペイン宮廷画家は聴覚をほぼ失った耳で周囲の雑踏の音をほとんど聞いていなかった。だが、あの容赦ない目は自分の絵を見つめる観客たちの顔を一人一人読み取っていた。


ゴヤの出展作は三点。スペイン宮廷の肖像画二点と新作一点。新作はパリに来てから描いたもので、セーヌ川の橋の上でトリコロールの旗が風に翻る光景だった。ゴヤ特有の暗い背景の中で、三色の旗だけが異様なほど鮮明に光を放っている。


ダヴィドがゴヤの隣に立った。


「マエストロ。パリはいかがですか」


「実に騒がしい」


ゴヤが聴覚障害のために大きな声で答えた。


「パリは騒がしい。だが、面白い。血の臭いが消えた国で何が描けるかと聞かれてここに来た。答えが見つかった」


「何を描けますか」


「希望だ」


ダヴィドが驚いた顔をした。ゴヤの作品は残酷さと暗部を暴くことで知られる。希望を描くゴヤなど、ヨーロッパの美術界の誰も想像していなかった。


「驚くことはない。残酷さを描くのは残酷な世界に対する抗議だからだ。世界が残酷でなくなれば、描く必要がなくなる。今のフランスには、少なくとも私が抗議すべきものがない。だから代わりに希望を描く」


ゴヤは自分の新作トリコロールの旗を見上げた。


「ただし、希望は残酷さよりも描くのが難しい。残酷さには形がある。血には色がある。だが希望には形がない。色がない。この旗の三色は希望の色だ。だがその色を本当の希望として描くためにはまだ足りないものがある」


「何が足りない?」


「時間だ。この国がこのまま血を流さずに百年続いたとき。そのとき初めて、この旗の三色は本物の希望の色になる」


ダヴィドは黙った。


ゴヤの言葉は画家の言葉であると同時に予言者の言葉でもあった。


* * *


展示室の出口でロベスピエールは一人の若い画家とすれ違った。


十七歳のターナー。ロンドンからノアイエ子爵に連れてこられた少年画家。小柄で、髪は乱れ、服は安物で、パリの華やかさに明らかに圧倒されている。だが目だけが、あの光と水を捉える目だけが展示室の絵を一枚一枚貪るように吸い込んでいた。


「ターナー君」


ロベスピエールが声をかけた。


少年が振り向いた。フランス語はほとんど話せない。通訳がいたが、今は別の場所にいた。


「Your paintings」


ロベスピエールは覚束ない英語で話しかけた。


「are the future.」


ターナーはフランス議長の顔を見上げた。この痩身の男が何者であるか少年は正確には知らなかった。だが、その目にあまりにも多くの時間が詰まった目に何かを感じた。


「Thank you, sir.」


少年は一礼し展示室に戻った。光を追いかけに。


ロベスピエールはターナーの背中を見送った。


十七歳。あの少年の目に映る光はまだ誰も見たことのない光だ。テムズ川の霧を溶かし、海の波を炎に変える、あの途方もない光の画家。ロベスピエールは知っていた。五年後の未来から持ち帰ったデータにターナーの名はなかったが、この少年が描く光の質が、この時代のどの画家とも異なることを一目で見抜いていた。


万国最高芸術祭はパリをヨーロッパの芸術の首都に変えつつあった。


音楽ではハイドンとベートーヴェンとケルビーニが。


絵画ではゴヤとターナーとヴィジェ=ルブランとカウフマンが。


オペラではモーツァルトの遺作とイタリアの喜劇が。


すべてがトリコロールの下で共鳴し、交差し、新しいものを生み出そうとしている。


パリの街は歌い、踊り、描き、演じていた。ラ・マルセイエーズの旋律が朝の市場に響き、『魔笛』の余韻が夜のセーヌ川に漂い、ゴヤの暗い目とターナーの明るい光が同じ展示室の壁に並んでいる。


美しき洗脳。


ロベスピエールは知っていた。これが洗脳であることを。芸術という名の自発的に受け入れられる最も効率的な思想統制であることを。民衆は強制されていない。入場料を払い、自分の意志で劇場に入り、自分の意志で泣き、笑い、感動している。だが、その感動の方向は設計されている。オペラの選曲。絵画の配置。歌の歌詞。すべてが共和国への忠誠と新しい秩序への帰属意識を強化する方向に精密に設計されている。


だがロベスピエールはもう一つのことも知っていた。


洗脳された者の中から必ず洗脳に気づく者が現れることを。


そして気づいた者は反逆する。


その反逆がどのような形を取るか。ロベスピエールはまだ知らなかった。

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