華やかなる囮作戦と貴族院の二極化
左院(貴族院)の議場は、ヴェルサイユ宮殿の旧接見室を改装したものだった。
天井には十七世紀の寓意画が残り、壁面には金箔のモールディングが光っている。かつて国王が外国大使を謁見した部屋が、今は旧特権階級の実務議場になっている。皮肉ではあったが、貴族たちはこの内装を気に入っていた。少なくとも壁と天井だけは、まだ自分たちの時代の名残を留めている。
だが、机の上に積まれた書類は——徹底的に新時代のものだった。
1792年五月。
左院の議場に、ナポレオンが立案し、右院(民衆院)を通過した法案の束が、また届いた。
* * *
「第七十三号法案。フランス中央銀行設立法」
書記官が読み上げた。議場の百二十名の貴族院議員——旧侯爵、旧伯爵、旧子爵、旧男爵——が、うんざりした顔で書類を見下ろした。
「フラン経済圏における通貨発行権を一元化し、中央準備基金を改組して『フランス中央銀行』を設立する。中央銀行は、フランの発行量を国内総生産に連動させて管理し、インフレーションおよびデフレーションを自動的に抑制する……」
「また数字か」
最前列に座った老侯爵——モンモランシー家の当主、七十二歳——が、溜息をついた。白いかつらが傾き、しわだらけの手が書類を持ち上げ、老眼で活字を追おうとして、すぐに諦めた。
「インフレーション?デフレーション?私の祖父の時代には、そんな言葉は存在しなかった。金は金だ。銀は銀だ。なぜ、こんな——こんな——」
「会計報告書のような法律を作らねばならんのだ」
隣に座った老伯爵——ラ・ロシュフコー家の分家、六十八歳——が、同意するように頷いた。
「私は三十年間、領地の農民から地代を徴収し、パリのサロンで詩を詠み、ヴェルサイユの舞踏会でメヌエットを踊ってきた。それが貴族の仕事だった。帳簿を読むのは執事の仕事であって、侯爵の仕事ではない」
「だが、帳簿を読まなければ——」
後方の席から、若い声が割り込んだ。
「——ペナルティだ。閣下」
声の主は、三十歳のラメット伯爵だった。黒い髪を短く刈り込み、目の下に隈を作り、指先にはインクの染みがこびりついている。かつて優美だった貴族の手が、帳簿仕事で職人の手に変わりつつあった。
「第四十七条。国内総生産が前月比で閾値を下回れば、我々の個人資産から自動的に天引きされる。中央銀行の設立が遅れれば、通貨管理が不安定になり、経済指標が悪化し——我々の懐が痛む。数字が面白くないのは私も同感だが、数字を無視すれば——」
「財産が消える。わかっているとも」
モンモランシー侯爵が、杖を床に突いた。
「わかっているから、ここに座っている。だが——理解することと楽しむことは違う。私は法案を通す。通すが——面白くはない。断じて」
議場に、くすくすと笑いが漏れた。老貴族たちの間から。笑いの中には自嘲があった。かつてフランスを支配した名門家の当主たちが、帳簿の数字と格闘して疲弊している自分たちの姿を、自分たちで笑っている。
だが、笑いは長く続かなかった。
「第七十四号法案。全国統一税制法」
書記官が、次の法案を読み上げた。
「全国の税率をフラン建てで統一し、地域間の税率格差を撤廃する。旧封建領主権に基づく一切の徴税慣行を廃止し、中央銀行の管轄する統一的な税務システムに移行する……」
モンモランシー侯爵の溜息が、さらに深くなった。
「第七十五号法案。国有地管理法」
「第七十六号法案。農業信用基金設立法」
「第七十七号法案。度量衡施行細則改正法」
法案の束は、底が見えなかった。ナポレオンが設計し、右院の職能代表たちが承認した、国家の「バックエンド」を構築するための法案が、容赦なく、次々と左院に流れ込んでくる。一つ一つが数十ページの分量で、すべてに数字と図表と計算式が詰め込まれている。
老貴族たちの顔が、曇っていく。
彼らは確かに法案を通す。第四十七条のペナルティが怖いからだ。だが、その作業は——サロンで詩を詠み、舞踏会でメヌエットを踊り、狩猟の後にブルゴーニュの赤ワインを傾けてきた彼らにとって——苦痛以外の何物でもなかった。
そのとき、議場の扉が開いた。
* * *
入ってきたのは、右院からの使者だった。
若い書記官が、にこやかな顔で、一通の封書を持っている。封書には赤いリボンがかけられ、蝋で封印されている。公式文書の体裁だったが、書類の束とは明らかに雰囲気が違った。
「左院の議員諸侯に、右院からの要請書をお届けいたします」
モンモランシー侯爵が、老眼鏡をかけ直して封書を受け取った。封を切り、中の文面を読んだ。
老侯爵の顔が、変わった。
曇りが消えた。代わりに——少年のような輝きが、七十二歳の目に灯った。
「諸君」
モンモランシー侯爵が立ち上がった。杖を突きながらだったが、その声には——法案審議の間にはなかった力が漲っていた。
「右院から、要請が来た。万国最高芸術祭の準備にあたり、ヨーロッパ各国の宮廷に芸術家の招聘特使を派遣したい。その特使として、左院の議員——すなわち我々旧貴族に、ヨーロッパの宮廷への外交使節を務めてほしい、と」
議場が、一瞬で活気づいた。
「宮廷への使節!」
「ウィーンか?ベルリンか?マドリードか?」
「それこそ我々の仕事だ!」
老貴族たちが、次々と身を乗り出した。帳簿の数字に疲れ果てていた目が、一斉に光を取り戻した。
宮廷外交。それは——旧貴族たちの最も得意とする分野だった。血筋の良さ。作法の洗練。言語の能力。ヨーロッパの名門家同士の人脈。——帳簿を読む能力は皆無でも、ウィーンのハプスブルク宮廷でワルツを踊りながら、ハイドンの居場所を聞き出す能力なら、彼らの右に出る者はいない。
「モンモランシー侯爵にはウィーンをお願いしたい。ハプスブルク家との縁戚関係を活かし、ハイドン翁の招聘を」
「ラ・ロシュフコー伯爵にはマドリードを。スペイン宮廷の画家ゴヤの招聘を」
「ノアイエ子爵にはロンドンを。若き風景画家ターナーの所在を確認し——」
要請書には、各貴族の家門が持つヨーロッパの宮廷人脈を正確に把握した上で、最適な派遣先が指定されていた。誰がどの宮廷に顔が利くか、誰がどの言語を話せるか、誰がどの王族と縁戚関係にあるか——すべてが計算されていた。
モンモランシー侯爵は、要請書の署名欄を見た。
「右院議長ラファイエット」の名が書かれていた。
だが、侯爵は知らなかった。この要請書の真の起草者が、ラファイエットではなく、ロベスピエールであることを。
* * *
翌日。
左院の議場から、老貴族たちが消えた。
モンモランシー侯爵はウィーンに発った。ラ・ロシュフコー伯爵はマドリードに発った。ノアイエ子爵はロンドンに発った。他にも——ローアン家の当主がローマに、コンデ家の分家がベルリンに、ブーヨン家の老公がアムステルダムに——フランスの名門貴族たちが、ヨーロッパ中の宮廷に向けて、華やかに出発していった。
彼らの馬車は新規格の車輪を履き、ナポレオンの整備した街道を快適に走り、各宮廷への到着は従来の半分の日数で済んだ。旅費はフランで支給され、旅先での交際費も潤沢に用意された。
老貴族たちは嬉々として馬車に乗り込んだ。帳簿と数字の地獄から解放され、自分たちの本来の仕事——宮廷外交と社交——に戻れるのだ。モンモランシー侯爵は出発前に、若いラメット伯爵の肩を叩いた。
「ラメット、留守の間の議場は頼んだぞ。法案の審議は——まあ、君たち若い者の方が得意だろう。数字が読めるのは若さの特権だ」
「お任せください、侯爵。良い旅を」
ラメット伯爵は、恭しく頭を下げた。
だが、頭を下げた瞬間、彼の目は——老侯爵には見えない角度で鋭く光った。
* * *
老貴族たちの馬車がヴェルサイユの門を出た三時間後、ロベスピエールの執務室に、ナポレオンが現れた。
「出て行ったか」
「全員出発した。モンモランシー以下、主要な老貴族二十四名」
「残ったのは」
「若い連中だ。ラメット、シャルル・ド・ラメス、デュポール、バルナーヴ——三十代から四十代前半の、数字が読める連中」
ナポレオンが机の上に書類を広げた。
「これが本番だ」
書類の表紙には、赤い太字で「最優先法案パッケージ」と書かれていた。
「第七十八号から第九十二号。全十五法案。中央銀行の詳細運用規則。税務署の全国配置計画。農業信用基金の貸付条件。国有鉄道構想の予備調査予算。港湾の管理権移管。度量衡の強制施行に伴う罰則規定。——いずれも、老貴族がいたら三か月かかる法案だ」
「老貴族がいなければ?」
「二週間で通す」
ナポレオンの目が、獰猛に光った。
「ラメットたちは有能だ。帳簿が読める。数字を理解する。そして何より——ペナルティを恐れている。老貴族は家門の名誉で生きている連中だが、若い連中は違う。彼らは資産で生きている。資産が天引きされることの恐怖は、老人より若者の方が切実だ。老人は『まあ、あと何年の命だ』と開き直れるが、若者は——あと四十年、五十年、資産を守り続けなければならない」
「だから、速く動く」
「そうだ。恐怖は、人間を速くする」
ロベスピエールは、ナポレオンの言葉を聞きながら、窓の外を見た。
老貴族たちの馬車は、もうヴェルサイユの丘の向こうに消えただろう。彼らは今頃、馬車の中で上機嫌にシャンパーニュを開け、ウィーンの宮廷で着る衣装の相談をしているに違いない。ハイドン翁にどう声をかけるか。ゴヤの機嫌をどう取るか。ターナーという若い画家はどこに住んでいるのか。——華やかで、楽しく、彼らの自尊心を満たす任務。
豪華なデコイ。
客寄せパンダ。
ルイ・カペーを時計職人にしたときと同じ構造だった。無害で、政治に関心がなく、自分の得意分野でだけ輝ける人間を——システムの外に送り出し、システムの内部を自由にする。
ルイ・カペーは外国の宮廷で時計を披露している間に、タレーランが裏で不可侵条約を結んだ。
老貴族たちが外国の宮廷で芸術家をスカウトしている間に、若い貴族たちが議場で——
「ロベスピエール」
ナポレオンが、声をかけた。
「何だ」
「あんたは——こういう手をよく思いつくな」
「どういう手だ」
「人間を、正しい場所に配置する手だ。老貴族を議場に置けば、無能な障害物だ。だが、宮廷に置けば、最高の外交官になる。——同じ人間が、場所を変えるだけで、負債から資産に変わる」
「ラヴォアジエの言葉だ」
「何?」
「質量保存の法則。エネルギーは消えも増えもしない。ただ形を変える。——人間も同じだ。無能な人間などいない。配置が間違っているだけだ」
ナポレオンは、数秒間、ロベスピエールを見つめた。
それから、鼻を鳴らした。
「きれいごとだな」
「きれいごとだ。だが、機能する」
「……違いない」
ナポレオンは書類を掴み、扉に向かった。扉の前で振り向いた。
「二週間後に結果を出す。十五法案、全部通す」
「任せた」
ナポレオンが去った。
* * *
ナポレオンの予告は、正確だった。
老貴族たちが不在の左院議場で、若い貴族たちは血走った目で法案を審議し、可決し、実装していった。
議場の光景は、異様だった。
金箔の天井と寓意画の壁に囲まれた旧接見室で、三十代の伯爵たちがシャツの袖をまくり、机の上に帳簿と計算板を広げ、数字を読み上げ、反論し、修正し、採決する。かつてメヌエットを踊った足が、今は書記官の机まで駆け足で往復する。かつてソネットを詠んだ唇が、今は税率の端数を議論する。
ラメット伯爵が、議長席で采配を振るった。
「第八十一号法案。港湾管理権移管法。右院からの要件定義は——マルセイユ港とナント港の管理権を、旧領主から中央銀行直轄に移管。目的は関税の統一と密輸の排除。——反対意見は」
「なし」
「賛成多数で可決。次」
「第八十二号法案。度量衡強制施行罰則規定——」
法案は矢継ぎ早に可決されていった。審議時間は最小限に絞られた。反対意見がなければ即採決。反対意見があれば三分間の討論の後に採決。修正が必要な場合は、その場で条文を書き換え、再採決。
このスピードを可能にしていたのは、二つの力だった。
第一の力は、恐怖。第四十七条のペナルティ。法案の可決が遅れれば、経済指標の改善が遅れる。改善が遅れれば、閾値を下回る。下回れば——自分たちの資産が削られる。若い貴族たちにとって、この恐怖はリアルだった。老貴族と違い、彼らにはまだ人生がある。守るべき資産がある。子供の教育費がある。妻の生活がある。——帳簿の数字は、彼らの人生そのものだった。
第二の力は、不在。老貴族たちがいないこと。彼らがいれば、すべての法案に「昔は良かった」式の長々しい演説がつき、採決の前に三十分の茶話会が挟まり、午後の審議は「疲れた」の一言で延期される。——そのすべてが、消えた。議場には数字を読める人間しかいない。雑音がない。ノイズがない。信号だけが走っている。
純度の高い立法機関。
それが、老貴族を「除去」した後の左院だった。
* * *
一週間が過ぎた。
十五法案のうち、十一が可決された。残り四つも修正作業が進行中で、翌週には可決の見通しが立っていた。
ナポレオンが、進捗報告のためにロベスピエールの執務室に来た。
「予定より早い。十日で十一法案だ」
「ラメットが有能だな」
「有能だ。あの男は——旧体制でも新体制でも出世するタイプだ。数字が読め、人を動かせ、自分の利益と公益の一致点を瞬時に見つけられる。——ああいう人間が貴族の中にいたことは、我々にとって幸運だ」
「幸運ではない。設計だ」
ロベスピエールが、静かに言った。
「第四十七条は、ラメットのような人間を炙り出すための装置だ。ペナルティの圧力がかかれば、無能な者は逃げるか凍りつく。有能な者は——動く。動いて、結果を出す。結果を出した者が、左院の中で自然に指導的立場に上がる。——選抜試験を実施する必要はない。システムが自動的に選抜する」
ナポレオンが、腕を組んだ。
「あんたの頭の中では、すべてが——」
「設計だ」
「設計だとして——一つ聞いていいか」
「何だ」
「老貴族たちは——いつ帰ってくる」
「芸術祭の直前だ。招聘した芸術家たちを連れて、華々しく凱旋する。彼らは英雄だ。ハイドンを連れてきた男。ゴヤを説得した男。ターナーを発掘した男。——その功績は、新聞に載り、民衆に称えられ、彼ら自身の自尊心を満たす」
「そして、議場に戻ったときには——」
「法案はすべて可決済みだ。彼らが審議する必要はない。帰ってきた老貴族たちは、自分たちが不在の間に何が起きたかを帳簿を読めないので正確には把握できない。把握できたとしても、法案はすでに施行されている。覆す手続きは——憲法上、右院の三分の二の同意が必要で、事実上不可能だ」
ナポレオンが、口笛を吹きかけて、やめた。
「あんたは——恐ろしい男だな」
「何度も言われた」
「タレーランにも?」
「タレーランにも。ネッケルにも。ラヴォアジエにも。——そして君にも、今」
ナポレオンの口元が歪んだ。あの獰猛な笑みだった。
「だが——俺は恐ろしいとは思わない。合理的だと思う。合理的で、効率的で、そして——」
「そして?」
「——残酷だ」
沈黙。
「老貴族たちは、自分たちが囮だと気づいていない。華やかな任務を与えられ、自尊心を満たされ、感謝さえしている。——だが実態は、邪魔者として体よく追い出されただけだ」
「追い出したのではない。最適な場所に配置したのだ」
「同じことだ」
「同じではない。追い出すのは排除だ。配置するのは活用だ。——彼らは宮廷外交という仕事をしている。実際に芸術家を連れてくる。その功績は本物だ。囮であると同時に、本物の仕事をしている」
「だが、彼らは選んでいない。自分が囮であることを知らない。知らないまま、あんたの設計図の上で動かされている」
ロベスピエールは、答えなかった。
ナポレオンが正しかった。
老貴族たちは、自分たちがシステムの部品であることを知らない。ルイ・カペーが時計職人として幸福に暮らしながら、タレーランの外交戦略のデコイであることを知らないように。アントワネットがプチ・トリアノンで菜園を楽しみながら、フランスの貿易赤字改善のプロパガンダ装置であることを知らないように。
知らないまま、幸福に、機能している。
それは——善いことなのか。
ラファイエットなら「人間は数式ではない」と言うだろう。人間を、知らないまま部品として使うことは、人権宣言の精神に反するのではないかと。
だが、ロベスピエールは知っていた。知らせれば——彼らは機能しなくなる。自分が囮であると知った老貴族は、屈辱で任務を放棄するだろう。自分がデコイであると知ったルイ・カペーは、工房に籠もって時計を作る気力を失うだろう。
知らないことが、幸福の条件になっている。
知ることが、不幸の始まりになる。
これは——正しいシステムなのか。
ロベスピエールは、その問いを——また、脳の隅に押し込んだ。
今は、芸術祭の準備が先だ。
* * *
一方、ヨーロッパ各地の宮廷では、フランスの老貴族たちが実に見事に自分たちの仕事をこなしていた。
ウィーンでは、モンモランシー侯爵がハイドン翁の自宅を訪問した。七十二歳の侯爵と六十歳の作曲家は、互いの老いた体を労わりながら、紅茶を飲み、音楽について語り合った。侯爵は音楽に造詣が深く——旧体制のサロンで培った教養は本物だった——ハイドンの最新の交響曲について、的確な感想を述べた。ハイドンは侯爵の教養に感銘を受け、パリへの招聘を快諾した。
「パリか。若い頃に一度行ったきりだが——今のパリは、ずいぶん変わったと聞く」
「変わりましたとも、マエストロ。道路は整備され、街灯は明るく、何より——音楽を愛する民衆がいます。王侯貴族だけでなく、パン屋の娘も、鍛冶屋の息子も、あなたの音楽を聴きたがっている」
「パン屋の娘が、私の交響曲を?」
「フランスは変わったのです、マエストロ」
ハイドンの目に、好奇心の光が灯った。そして——小さな対抗心も。
侯爵は知らなかっただろうが、ハイドンはフランスの義勇兵が口ずさむ愛国歌の力に感銘を受け、祖国オーストリアにも同様の国歌が必要だと考えていた。パリの芸術祭を見れば——その規模と情熱を目の当たりにすれば、ハイドンの創作意欲に、さらなる火がつくだろう。
マドリードでは、ラ・ロシュフコー伯爵がゴヤのアトリエを訪れた。スペイン宮廷画家フランシスコ・ゴヤは四十六歳。聴覚をほぼ失いつつあったが、その眼は——世界のあらゆる醜さと美しさを同時に見通す眼は——衰えていなかった。
伯爵は、ゴヤの最新作を見せてもらった。宮廷の華やかさの裏に潜む残酷さを暴く、あの容赦ない筆致。伯爵は旧体制の貴族として、その残酷さに心臓を抉られるような痛みを感じたが、同時に——芸術の力に圧倒された。
「パリに来てくれるか、マエストロ」
「パリか。革命の国か」
ゴヤの声は、聴覚障害のためにやや大きかった。
「革命は終わりました。今のパリは芸術の都です」
「芸術の都。——面白い。血の臭いが消えた国で、何が描けるか。見てみたい」
ロンドンでは、ノアイエ子爵が十七歳の若き画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーを探し出した。テムズ川沿いの薄暗いアトリエで、少年のような細身の画家が、光と水の習作を描いていた。子爵はターナーの才能に一目で気づいた。——この若者の描く光は、他の誰のものとも違う。光そのものが呼吸しているかのような、あの異様な輝き。
「パリに来ないか。万国最高芸術祭に出展しないか」
「パリ?フランス語は話せませんが」
「通訳をつける。旅費も宿泊費もすべて負担する。——君の絵を、ヨーロッパ中の人間に見せたい」
ターナーの目が光った。十七歳の野心が、その目の奥で静かに燃えた。
* * *
老貴族たちがヨーロッパ中で芸術家をスカウトしている間に、パリの左院では——十五法案のすべてが可決された。
ナポレオンの予告通り、二週間。
中央銀行設立法。全国統一税制法。港湾管理権移管法。農業信用基金設立法。度量衡強制施行罰則規定。——国家のバックエンドを構成する、最も地味で、最も重要で、最も退屈な法律の束が、金箔の天井の下で、若い貴族たちの血走った目によって、一つ一つ、冷静に、正確に、可決されていった。
ラメット伯爵は、最後の法案が可決された夜、議場の椅子に座ったまま動けなかった。疲労で目が霞み、指先のインクが乾いて固まっている。隣に座ったデュポール子爵が、ブランデーのグラスを差し出した。
「終わったな」
「終わった。——だが、始まったのだ」
ラメットが、グラスを受け取り、一口飲んだ。
「これで、フランスの経済基盤は盤石になる。中央銀行がフランの発行を管理し、統一税制が歳入を安定させ、農業信用基金が農民に投資資金を供給する。——我々の資産は、この基盤の上に乗っている。基盤が強固になれば、資産も安全になる」
「つまり——我々は、自分の財産を守るために、国を豊かにした」
「そうだ。利己心が公益になった。——ロベスピエールの設計通りに」
デュポールが苦笑した。
「我々は、ロベスピエールの掌の上で踊っているのか」
「踊っている。だが——踊りながら、国を豊かにしている。踊りながら、自分の財産を守っている。——悪い踊りではない」
ラメットはグラスを傾け、金箔の天井を見上げた。
寓意画の中で、古代の神々が雲の上から見下ろしている。かつてこの部屋で、ルイ十四世が外国大使を威圧した。今、この部屋で、旧貴族の若者たちが——帝国の残照の中で——新しい国家の土台を組み上げている。
その土台の上に、まもなく——万国最高芸術祭という、ヨーロッパが見たことのない巨大な祝祭が建設されることになる。
老貴族たちが連れてくる芸術家という宝石を飾るための——若い貴族たちが組み上げた、数字と法律の台座。
華やかな囮と、地味な実務部隊。
ロベスピエールの設計図は、その両方を同時に回転させていた。




