【83話】血の呪縛 6
12月14日、土曜日。
その日、極導は土曜補習を休み、道場でイメージトレーニングをしながら昼まで過ごした。
果し合いがおこなわれるのは午後5時。
昼食のあと、体力回復のために仮眠を取り、4時前に屋敷を出た。
見送りは花子だけに来てもらった。
「夜、冷えるみたいだからさ。帰ってきたら、野菜がいっぱい入った鶏塩ちゃんこ鍋をつくってくれよ」
「りょーかい」
「じゃあ、行ってくる」
花子に手を振ると、極導は自転車にまたがった。
* * * * *
午後4時50分。
柴霊園にはすでに涼雅がいた。
彼のそばには手をうしろに縛られたおたまと富丸もいる。
「若!」
「極導さま!」
極導を見て、ふたりがさけんだ。
「約束どおり来たぞ」
「待ってろ。いま人質を返してやる」
涼雅は縄をほどき、ふたりを解放した。
おたまと富丸は極導の元へ来ると、
「すみません、若。わたしたちのせいでこんなことに」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
なみだを流して謝った。
「ふたりが謝る必要なんてない。これ、タクシー代だから、先に屋敷にもどっててくれ」
「しかし――」
「だいじょうぶ。おれは勝つから」
「……わかりました」
おたまは富丸を連れて、その場を去った。
ふたりがいなくなると、極導は筵をかけた。
ふたりだけの戦場――だれも立ち入ることのできない聖域が展開される。
灰色の空はいまにも雪が降りそうで、陽の光はほとんどない。
極導は影で黒影刀を、そして常夜灯の灯りで白明刀をつくり、両手にかまえた。
対する涼雅の武器は匕首(短刀)。懐に隠していたものだ。
「いざ尋常に――」
「勝負」
ついに戦いの火蓋が切られた。
* * * * *
開始直後はにらみ合いがつづいた。
武器のリーチは極導に分がある。
だが涼雅に焦りはない。
間合いを保ったまま、極導の一挙一足に目を凝らし、攻撃の機会をうかがっている。
20秒……30秒……。
両者に大きな動きはない。
40秒……50秒……そして1分。
ここで涼雅が動いた。
それは極導の呼吸がかすかに乱れた瞬間だった。
そのわずかな隙をつくように、
「うおぉぉ」
すばやく踏みこんだ。
極導は即座に涼雅の攻撃を回避した。
だが横に跳んだ瞬間、涼雅のすがたは極導の視界から消えていた。
* * * * *
涼雅は透明になったのではない。
彼は潜ったのだ。影のなかに。
涼雅の正体は影鰐。
あらゆる影に潜ることのできる魚の妖怪である。
通常、妖怪は育った環境や心の持ちようによって進化するが、影鰐はちがう。
影鰐は、生まれたばかりの浪小僧(女性の場合は浜姫)に呪いをかけて強制進化させた特殊な妖怪なのだ。
(潜ったぞ、おまえの影に)
いま涼雅がいるのは極導の影のなか。
間合いを詰めた際に一瞬で潜りこんだのだ。
一度、影に潜りこめば、地上に出たあとも数秒間は気配や殺気を消すことができる。
涼雅は極導の背後に出現すると、首筋を匕首で斬ろうとした。
(おわりだ、御手洗極導)
そのときだった。
不意に極導がこちらを振りむき、
「たあぁっ!」
白明刀で涼雅を袈裟懸けに斬った。
* * * * *
飛び散る血しぶき。
痛みは一瞬遅れて、ほとばしった。
胸を斬られ、涼雅はよろめきながら、仰向けにたおれた。
「なぜ……わかった」
痛みのなかでたずねた。
「おれの――影鰐の能力が、なぜ、わかった」
「わかったわけじゃねえよ。頭のなかで、あんたと1万回戦って、あらゆる対処法を考えた。そのうちのひとつを実行しただけだ」
「そうか……」
涼雅は胸に手を当てた。
流れ出る血が、てのひらを命の色に染めあげる。
(そうだ。もっと流れろ)
うれしかった。
影鰐の血が、からだから出ていくのがうれしかった。
(流れろ。出ていけ。こんな血など……一滴……のこらず……)
死を間際にして、涼雅の心にはふたつの感情が渦巻いていた。
ひとつは血の呪縛から解き放たれたよろこび。
もうひとつは――。
(すまない、凛)
愛する女との約束を守れなかった後悔だった。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。
影鰐は海面に映った人影を飲みこんで、相手を死に至らしめる恐ろしい魚の妖怪です。
また影鰐のほかに、磯撫でというサメに似た妖怪も存在し、こちらは水面を撫でるように静かに船に近づき、船に乗っている人間を尾びれの針に引っかけて、海中に引きずりこむと言われています。




