【82話】血の呪縛 5
気配などなかった。
部屋にいるのは秀一郎ひとりのはずだった。
なのに、そいつは部屋にいた。
いつから? わからない。
そいつの正体を知らぬまま、秀一郎は背後から首の骨を折られ、絶命した。
* * * * *
午後11時40分。
暗殺をおえ、寺にもどった涼雅は、
「先に風呂に入ってくる。夜食の用意をしておいてくれ」
女中の凛にそう告げて、風呂場へ向かった。
涼雅が暗殺したのは金土蔵秀一郎という外科医。
依頼主は彼の医療ミスにより娘を亡くした若い夫婦だった。
(ここでからだを洗うのも、きょうが最後か)
風呂場の黒ずんだ天井を見つめた。
果し合いとはいえ、御手洗の者を殺したとなれば、追株町どころか東京中の魔廻りが動くことになるだろう。
人質のおたまと富丸は、この寺があの世とこの世の狭間にあることを知っているし、涼雅と凛の顔も憶えている。ここを去ることは以前から決めていたことだった。
行くあてなどない。
だからこそ、どこへでも行ける気がした。
「日本を出て、異国へ行こう」
凛にはそう話していた。
* * * * *
本堂にもどると、凛が夜食を用意してくれていた。
膳に載せられていたのは塩昆布のおむすびと大根のすまし汁。
遅い時間の食事ゆえ、胃に負担のかからないものを頼んでおいたのだ。
すまし汁をすすりながら、
「○○国へ行こうと思うが、どうだ?」
さりげなく訊いてみた。
「あなたとなら、どこへでも」
「そうか」
うれしくて、おもわず目頭が熱くなった。
「だから、かならず勝ってください」
「ああ」
涼雅はうつむきながら応えたのだが、
「わたしの目を見て、言ってください」
大きくはないが、まっすぐな声だった。
「なぜ御手洗極導なのですか?」
「以前にも話したはずだ。あいつとおれは――」
「似た境遇の者なら、ほかにもいます。あなたが極導と戦うのは、彼が自分を殺してくれるかもしれない存在だから。そうでしょう?」
凛の言うとおりだった。
極導と殺り合うのは、やつを殺して、血の呪縛から解放されるため。
だが、同時に涼雅は極導に殺されることも望んでいた。
死をもって、一族の呪いから解き放たれたかったのだ。
だからこそ、魔廻りとして成長した現在の極導に果し合いを申しこんだのである。
「涼雅、約束してください。わたしの元へ帰ってくると」
涼雅のそばへ行くと、凛は彼の胸に顔をうずめた。
「わたしをひとりにしないで」
「凛……」
「ひとりは嫌。さびしすぎる」
「ひとりになどさせるものか」
涼雅は凛を抱き、口を吸った。
「おまえが好きだ。愛している」
「その言葉を、ずっと聞きたかった」
たがいに強く抱き合った。
凛の首筋に顔を押しつけると、理性が溶けそうになった。
肌の弾力。女体の芳香。たまらなかった。
「凛、抱かせてくれ」
耳元でささやいた。
「おまえを知りたい。そうすれば、どんなに離れていても、おまえの元へ帰ってこられる気がするのだ」
そう言って、彼女の目を見つめた。
「凛。おれに生きる力をあたえてくれ」
「拒む理由がどこにありましょう」
肩を震わせ、凛がうれしそうに目を潤ませた。
(つづく)
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