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 俺は今、激しく後悔している。あの時のことはすべて本当だったのだ。

 あの時現れた女神様は本物で、本当に異世界に送るつもりで、本当に俺は選ばれたわけで。

 つまるところ、あの時俺は……何をしてでも帰してもらうべきだったんだ。

 後悔先に立たず。そうさ、後悔しているんだ。いつだって後悔は後に来やがるんだ。

 俺の気持ちなんて無視して、俺にだって家族がいるんだぞ、恋人がいたんだぞ。こういうのって本当は何も持たざる者が受けるべきじゃないのかよ。


「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 息が切れる。心臓が鳴動する。足は千切れんばかりに動いている。

 走るのは苦手ではない。むしろ得意の方だった。学生時代には学年でも上位に位置していた。

 でも今ばかりはそんなものは役には立たない。所詮人間の枠の中での話だったのだと。


 背後には巨大な獣。おおよそ地球には存在しないであろう肉食獣。

 黒い体毛にネコ科の生物を思わせるような体型。肉食獣らしい鋭い犬歯を鈍く光らせる姿は正に狩人。

 ゾウ並に大きな体からは考えられない速さで追い迫るその肉食獣は、今か今かと俺を食らおうと疾走する。


 幸いにもここは鬱蒼と生い茂るジャングルのような場所。さすがに直進は出来ないので地形を利用してどうにか逃げている。

 地の利としては走り慣れているはずの向こうに理があるはずなのだが、道を変えたりジグザグに走ったりと自分でも何故出来ているか分からない機転を利かせて逃げおおせているのだ。


 願わくば朝日を拝めん事を。


「うぉお!」


 その時だ。ここは地面から出ていた木の根に足を引っかけてしまい、そのまま空に体を投げ出されてしまった。そしてその先は道が途切れていた。

 それがどういうことなのか理解する前に、崖から身を投じる形で落ちて行ってしまった。

 無論、俺は意識を手放したのであった。




◆  ◆




 生きているって素晴らしい。


「生きているって素晴らしい!!!」


 崖から投げ出されてしまった俺はどうやら木の枝に引っかかったようで、生まれて二十数年で生きていることに最大に感謝をしていた。お父さん、お母さん、息子はまだ生きています。


 引っかかっていた木から慎重に降りて、大きな植物の影に隠れるように腰を下ろした。

 とても一息つける状況ではないが、己の体が休憩を欲していた。気が抜けたせいかもう脚に力が入らない。

 体中汗だくで着ている服は貼りついて気持ちが悪い。いっそのこと脱いでしまいたかったが、そうしてはいけないような気がして脱がないでいる。


「……どういうことだよ」


 今どこにいるのかは分からない。けれども、今どうしてここ似るのかだけは分かる。

 超常現象だなんて信じてはいないが、とてもじゃないが説明がつかない。

 だけど、だけどこれだけは分かる。俺がこんな目に遭っているのも、あの自称女神のせいだ。


「ぶっ殺してやる……」


 絞り出される様に出てきた言葉はおおよそ自分の言葉とは思えず、しかし大きな覚悟とともに出た言葉だった。

 誰かのせいにしなければ到底やっていけない。これは現実なんだ、悲しいことに。俺は今ここで生きているんだ。


 と、その時自称女神のことを思いだすと同時にとあることを思いだした。

 それはメニュー画面である。俺の意思で念じると目の前に現れる不可思議な画面は俺のステータスを表していると言う。

 色々と現実逃避をしたくなった俺は念じてメニュー画面を開く。そこにはここに来る前に見たような透明のホログラムが浮かんでいた。


「あ?」


 ふと、全体を眺めていると右上の方に別枠で括ってあるスペースがあることに気が付いた。

 そこには『五』という数字と『残りポイント』という文字が書かれてあった。

 普通に受け取るならば、この数字は使える残りのポイントとなる。あの自称女神はゲームとかと似ていると言っていたはずだ。

 ゲームは最近てんでご無沙汰だったが、小さい頃の記憶が確かならばこのポイントをステータスに振り分けることが出来るのではなかろうか。


 試しに“素早さ”の枠をタッチする。元の数字は『十三』であったが、タッチすると『十四』に変わって、残りポイントは『四』となる。

 ということは俺は一ポイントだけ早くなったと言うこととなる。あの自称女神の言うことを信じるのであれば。


「……」


 俺は全てのポイントを『素早さ』に注ぎ込んだ。




◆ ◆ ◆




 街の中でも一等地。建っている屋敷も立派なもので、一目でその持ち主の財力があると見せつけられる。

 敷地の入口にある門を潜ってから屋敷に辿り着くまでもかなりの時間を有するが、それを不便と思わないのが貴族というものなのだろう。

 そんな場所に訪れる者が一人。この場には似つかわしくない格好をした、一言で言えば冒険者のような身なりをした女性だ。

 短く乱雑に切られた黒い髪に黄色い瞳。あまり豊かとは言えない胸に小さなお尻。

 どちらかというと露出面の広い装備で身を固めた少女――名をシュルという――が屋敷に歩を進める。


 彼女が呼ばれた理由は一つ。それは彼女が生業とする仕事の依頼だった。

 職業はバウンティハンター。この世界では珍しくはない職業ではあるが、あまり人気の職業とは言えなかった。

 主に賞金の掛けられたモンスターを討伐する冒険者とは違い、珍しいモンスターの角や毛皮などを剥ぎ取って高く売ったりする者たちの総称である。


 彼女はそれなりに腕の立つバウンティハンターとして名が売れてきたところに舞い込んできた依頼。

 その依頼に彼女は正直に言ってしまえば、きな臭さを感じていた。彼女は依頼されることはあるが、それはよくある商人からがほとんどだった。

 しかし、今回の依頼は貴族で侯爵だ。かつてのモンスターの大侵略の時に兵を多く出兵したことで功績が認められた英雄とされている。

 そんな雲上の世界の存在が、一バウンティハンターであるシュルに何の用だと言うのか。警戒するのも無理はない。


 しかし、しかしだ。シュルはここまで来てしまった。

 門を潜り、屋敷の敷地内にまで来てしまったのだ。ここまで来たのなら帰ると言う選択肢は無い。

 今更ながらシュルは後悔する。けれども進まなければならない。


「うぅ……」


 屋敷に入り、執事と思しき老人に応接間まで通されたシュルは緊張から来る腹痛に襲われていた。

 シュルは元々プレッシャーに強い方ではない。ここ一番というところで大きな失敗はなかったが、大事な日に忘れ物をしてしまったと言うことなら多々ある。

 それでもそろそろ中堅と言っても良いランクまでは来たつもりではある。弱虫な自分とは卒業だ……と思い続けて幾星霜。まだまだお付き合い願うしかあるまい。


「お待たせしたね」


「は、はいぃ!」


 やがて依頼主の侯爵ベリルがやってきた。

 ほっそりとした体躯でオールバックで纏めている茶髪が決まっている。歳は五十というところであろう。

 それまで出されたお茶は緊張をほぐすために手を付けていたが、お菓子には手を付けてはいなかったため、侯爵にお気に召さなかったのかと聞かれて飛び上がりそうになる。

 そう、彼女はプレッシャーに弱いのだ。貴族と世間話が出来るほど胆力は座ってはいない。


「早速だが本題に入りたい」


「……はい」


 人払いがされた応接間の中。人がいないと言うことは誰にも聞かれたくないと言う証拠。

 今からでも帰れないかと模索するシュルであったが、その答えは決して出てこなかった。

 ならばと、腹に力を入れて商談に臨むしかないのであった。


 己の鼓動がやけに大きく聞こえる。相手に聞こえてしまうのではないかというくらいに。

 おそらくシュルは額だけでなく背中も汗で濡らしていただろう。そのせいか少し肌寒く感じる。

 緊張に肌寒さ。そこへ加えて飲みまくったお茶。

 そうなれば一つ。


(トイレに行きたい!!!)


 もはやこれまでであった。

 こうなってしまったら違う意味の緊張をしてしまう。貴族の前で失禁など処刑されてもおかしくはない。

 それが他に伝わってしまえばシュルはお笑い草になってしまうことであろう。それだけは何としてでも避けねばなるまい。

 そこでシュルに残された道は一つ。どうなろうとこの商談を一刻も早く終わらせることであった。


「実はだな“ゴブリンキングの錫杖”を手に入れてほしいのだ」


「しゃ、錫杖ですぅ……か?」


「あ、あぁ、そうだ。境界面上の大森林にいるゴブリンキングから手に入れてほしいのだ。もちろん――」


「や、やります!!!」


「や、やってくれるのかね? 知っての通りゴブリンキングはとても強い。盗むにしても難易度は高いだろう。もし、失敗してもペナルティは付けないつもりだ。では、たのんだよ」


「が、頑張りますぅ!」


「そ、そうか。そこまでやる気があるのならば良し。君以外にも実は頼んでいるが……期待しているよ」


「ハイ! ありがとうございました! では失礼します!」


「あ、ちょっと。依頼金の……行ってしまったか」


 まるで風の様だったとベリルは先ほどのバウンティハンターを思う。

 今回の依頼内容である“ゴブリンキングの錫杖”を持つゴブリンキングはピンキリではあるが、その昔竜をも屠ったと言われるモンスターである。

 シュルに依頼した理由は特には無い。手あたり次第に執事が集めて来たそれなりに腕が立つバウンティハンターのリストに乗っていたから依頼したのであって、正直彼女が依頼を成し遂げることは無いと思っている。

 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。彼女が死のうが死なないがベリルには痛くも痒くもない。

 本当ならば冒険者に依頼したかったが、冒険者ならば討伐しても持っていなかったと言ってくすねてしまうかも知れない。貴族間の冒険者の信頼はその程度のものだった。


 要は目的の物が手に入りさえすればよい。そうすればベリルの勝ちなのだから。

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