一
「目覚めなさい」
目を開ける。眩い光に照らされているかのように明るい空間。
慣れていない目を半ば無理やり開くと、そこには一人の女性がいた。かなりの美人さんだ。
燕尾服を着ているが、一目で女性だと分かるボディライン。男装の麗人と言う言葉が似合うだろう。
そんな美人さんがこちらを見て微笑んでいる。なぜ?
「目覚めたのですね。まずは自己紹介を……私はルナ・ラドゥリエル・メタトロンと申します。これでも女神をやっているんですよ」
「め、がみ?」
「えぇ、女神ですよ」
そう言ってにこやかな笑顔を見せる自称女神様。人間離れをした美貌を持っているのでかなりの説得力……はさすがにない。美人でも虚言癖は痛い痛い。
かなり訝しげな表情で見ていると、少しだけ困ったような表情をする自称女神様だったが、それも少しのこと。気を取り直して本題へと入る。
「貴方は選ばれたのです。そう、くじ引きによって」
「……は?」
「あ、くじ引きと言ってもちゃんと選んでますから。人間の中でも優秀な人を一億人に絞ってからくじ引きしてますので完全な運任せではありません」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いったい何の話をしているんだ? それに、俺はこんなところ……」
そう言って辺りを見渡してみる。
一言で言えば白い部屋である。大体学校の教室くらいの広さで窓が無く、天上も壁も全て真っ白なのだ。
唯一の光源である天上の光はどこから降り注いでいるのやら。最近の科学の進歩は凄い。
そして、俺がこんなところにいる謂れが無かった。なにせ、俺は職場から自宅へと向かう途中だったのだから。
頭に誘拐の二文字がよぎるが、そもそもどうしてこうなったのかすらわからない。誰にも襲われた記憶が無いのだ。
そんな心中を察したのか、自称女神様は待ってましたとばかりに口を開いた。
「ここは神代、神が住まう居城です」
「いやいや、帰してくれよ。いや、帰す気はないんだろうけどさ」
「呑み込みが早いですね。えぇ、そうです。貴方を帰すつもりはありません」
その言葉に頭を抱える。何の意図があって俺をさらったのか分からないが、さらったならさらったなりの目的があると言うもの。そんなところで帰してくれと喚いても帰してくれるはずがない。
つまりはそういうことである。俺はここにいる時点でどうすることも出来ないのだ。
「貴方の名前は武者和平。学生時代は成績優秀。大学も国立を卒業。習い事の空手ではその国で大きな大会に入賞するほど。現在は大手会社に就職して婚約中の彼女もいる。なるほど、一億人の中ではあまりパッとしないですが充分に勝ち組ですね」
「……そこまで知っているってことは計画的犯行って訳か」
「はいっ、女神ですから」
どうやら俺個人を狙った犯行で間違いはない様だ。
俺に一体何の価値があるのかと考えてみるが、そんなのはどこにも無かった。俺は確かに他と比べれば高給取りだが貯金だってそこまであるわけではない。固定資産もあるにはあるが、そんなもの探せば五万とある。
それに計画的犯行ってことはこの女性以外にも共犯者がいるに違いない。ここで襲い掛かっても直ぐに取り押さえられてしまうのが落ちだろう。
というか何で俺はこんなにも落ち着けるのだろうか。現実味が無いかも知れないが、どうにも現実に起きているようには思えない。
どこか絵空事の……奇想の存在を相手にしているような感じだ。俺はこれはこれで貴重な体験をしているのかも知れない。
ともかく俺が無暗に暴れたりしなければ命が危険に晒されることは無いだろう。
今はこの女性を刺激しないようにしなければ。
「ええっと、選ばれたって、何に?」
顔色を窺いながら話しかけてみる。こういう時は話しかけて仲良くなり、同情を誘うのが一番と誰かが言っていた気がするからだ。
今与えられている中で共通する話題をとりあえず振ってみると、どうやら当たりのようで上機嫌にそれを離して来た。
「いやぁ、ここに来る人たちは理解が早くて良いですね。そうです、貴方は今から世直しに行ってもらいます」
「世直し?」
「はい、ここではない世界に行っていただき、世界を救っていただきたいのです。最近、どこの天界でもはやっているそうなので、これはあやからないとと思いまして」
「…………」
どうやら本当にこの女性は狂っているようで、妄想を垂れ流し始めた様子。
真面目に付き合っていると頭がどうにかなりそうだ。こういう時は素直に話しに乗っかっておけばいいのだろうか。いきなり機嫌を損ねて襲い掛かられても困る。
だが、本人からしてみれば嘘や冗談を言っている様子はなく、さも本当のことを言っているかのような表情である。ここは適当に相槌を打って様子を見るのが得策のようだ。
眉間に皺を寄せて頭を抱えているこちらを見てニコニコとしている女性。確かルナ……さんっていったか。他にも何だか設定を練って付けた長ったらしい名前があった気がするが、思い出せない。
だめだ、なんか泣けて来た。家に帰りたい。俺何でこんなところにいるんだろう。
「ええと、じゃあ簡単な説明をしましょう。メニュー画面の開き方を教えます」
「……」
「開けって心の中で念じてもらえます?」
「……お」
もう考えることを止めることにした俺は女性の言うことに従うことにした。
なんだか心の中で念じろと言われたので、念じてみるとこれが何と驚き。目の前に半透明の画面が出てきたではないか。
その半透明な画面は空に浮いており、そこには“力”やら“守”やらの文字の隣に数値が書かれている。他にも色々書いてあるが、これをじっくりと読むとなるとかなりの時間を要するだろう。
俺はこんなものを他でも見たことがある。そう、ゲームでのメニュー画面だ。特にステータス表示に似ているようで、それはまるで俺のステータスを表示しているかのようだった。
いつのまにホログラム技術がこんなに進んでいるのだと感心していると、どこか誇らしげな表情でルナさんが声を上げた。
「そうです、良くできました。それは何を隠そう、貴方のステータスを数値化した物です」
「……へぇ」
「反応が薄いですね……。まぁ、良いです。貴方の世界にもゲームがあるかと思いますが、それと似たようなものと思ってください。レベルみたいな概念もありますし、なにより鍛えれば鍛えるほど強くなりますよ!」
「…………というかこんなの見たことが無いな。こんなのが販売されていたらネットでもなんでも話題になっているよな」
「もう! 話を聞いているんですか!」
おっと、いけないいけない。ルナさんの機嫌を損ねてはいけないのだったな。
どうやら俺があんまりにも生返事だったようで可愛らしく頬を膨らましている。もしかしたら周りからもてはやされた末路なのかもしれない。願わくば、自分の彼女がそうならない様に祈ろう。
メニュー画面とやらを眺めるのを一旦後にしてルナさんの方を注視する。この人の裁量で俺の今後が係っているんだ、それを忘れてはいけない。
「すいません。それで……なんでしたっけ?」
「うーん……というかもう行っちゃいましょうか」
「はい?」
行く?
いったいどこへ……ってもしやここから他のところへ移動するのか?
帰してくれるわけではないだろう。でもなんだろうか、どこか嫌な予感がする。
そんな俺の不安を余所にルナさんが何やら胸の前で祈るように手を組み、聞いたことも無い言語で何かを呟き始めた。
それになにか不気味な何かを感じ取った俺は背中に嫌なものが伝うのを感じる。
けれども、もう遅い。全てが遅いのだ。
俺の周囲に円形の幾何学的模様が浮かび上がり、それが光を発する。突然のことに動きが取ることが出来ない今、何かにすがるようにルナさんを見ることしか出来なかった。
そんなルナさんはとびっきりの笑顔を見せてこう言った。
「それでは、いってらっしゃいませ」
「は? なにを――」
言うが早いか遅いか、俺の意識は光の中へ消えていった。
◆ ◆ ◆
選ばれし一人の勇敢な者が異世界へと旅立った後、残された女性は人仕事を終えたかのように息をホッと吐きだす。
額には汗が浮かんでいるようで、どうやら彼女なりに緊張していたようだ。事実、今まで彼女が迷える子羊を導いたことはあれど、異世界に勇者を送り出した経験はなかったからだ。
慣れないことをしたせいか、体のあちこちが硬直しているのを彼女は感じた。それを解すように体を伸ばすと、直ぐ傍で見守ってもらっていた人物へと話しかける。
「どうです神様。上手くできたでしょうか」
何も無い空間へ声を掛けたかと思うと、そこに突然現れた……否、最初からそこにいたかのようにとある男性が姿を現した。
中肉中背。黒い髪に黒い瞳。特に人目を引くような容姿でもなく、着ているものはジーンズにワイシャツととラフなものだった。
声を掛けられた男性は女性に対してどこか呆れたかのような表情で睨み、そして嘆息にも似た溜息を吐いた。
その反応に女性の体がビクリと跳ねる。
「点数を付けるなら五点だ。いや、本当は点数すらつけたくない」
「ええ!? そんなにですか!?」
「そんなにも何も、多分アイツ何も分からずに送られていったぞ。お前が女神だってのも最後まで信じていなかったようだし」
「そ、そんなぁ……」
男性にそこまで言われてようやく気が付いたのか、肩を落として先ほどまで己が送った者がいたであろう場所を眺める。その表情には反省の色があるところを見ると、彼女もわざとではなかったらしい。
それでももう遅い。送ってしまったものは仕方がない。これから早くしなければ元々彼が暮らしていた世界で行方不明扱いされてしまう。早く何とかしなければいけない。
だが、どうしても気になってしまうと言うのが罪悪感故か、どうにも踏み出せないでいる様子。そうなればすがる先は一つしかない。
「ど、どうしましょう……」
「どうするもなにも……ところでどこに送ったんだ?」
「これで確認できます。えっと、第七世界の経験が浅い冒険者が集まるところの……」
彼女が己の目の前に鏡のようなものを出現させて覗きこんだ時だった。
そこまで言ったところで彼女の動きが止まる。額には先ほどまでの緊張から来るようなそれではなく、まるで何か大きな失敗をしてしまったかのような冷や汗を掻いていた。それも大量に。
男性はゆっくりと、しかしどこか見たくはないと言う気持ちが入り混じった動きで同様に鏡を覗き込むと……思わず目を手で覆ってしまった。
それもそのはず、彼を送るはずであった比較的平和な街は鏡に映っておらず、その代わりに映っていたのはその横に隣接するように広がっている大森林のほぼ中心であった。
男性の記憶が正しければそこは凶悪なモンスターが生息している場所である。これは酷い。
もはや涙目で訴えてくる女性に頭が痛くなりつつある男性。これでも彼女は女神であり、男性の付き人なのだ。
付き人の失敗は主人の失敗……と言われればおしまいである。
「うぅ……神様ぁ……」
「はぁ、仕方がない。とりあえず俺の知り合いを送っておく。お前はコイツに女神の加護でも与えてろ」
「例えばどんなのですかぁ……」
「それくらい自分で考えろ! ともかく、バランスを崩さない程度のだ!」
「は、はいぃ!」
部下のせいで増えてしまった仕事に胃を痛めてしまいそうになる男性。
後で胃腸薬を貰おうとメイド長を連想させるが……もうここにはメイド長がいないことを忘れてしまっていたのだった。




