十四
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彼女は道なき道を歩いていた。
獣道とすらも呼べないような悪路を、まるでそこを住処にしている獣のような足取りで彼女――シュルは歩いていた。
苦節幾星霜。試行錯誤の末、ようやく境界面上の大森林へと入ることが出来たシュルは、己が依頼された“ゴブリンキングの錫杖”を求めてゴブリンの集落を目指しているのだ。
具体的には境界面上の大森林にて消息を絶った先遣隊を捜索する部隊……の荷物を運ぶべく用意されていた馬車に潜り込むことで入ることが出来たのだ。
彼女は決して小柄な体型ではないが、雑多に詰まれた冒険者たちの武具に紛れるのは雑作もないことだったと彼女は思う。
いけないことではない。これは目的を達成するために必要なことに過ぎない。そうだと言ったらそうなのだ。
「それにしたって……何か静かね」
バウンティハンターとして経験を積んだ彼女は周りの索敵を行えるスキル《エネミーサーチ》を取得している。そのため逸早くモンスターの接近に気が付くことが出来る。
モンスターとの無駄な会敵はなるべく避けることは生き残る上で当たり前の知識だ。だから先ほどから件のスキルを発動させているのだが、どういうわけかスキルには何も引っかからない。
そんなはずはないと彼女はより一層周囲を警戒する。境界面上の大森林は独自な進化を遂げたモンスターの楽園だと言うことは周知の事実。
それなのにも拘らず、モンスターどころか生物の気配すらしないのは異常なのだ。まるで、意図してこの場から居なくなったかのように。
「っ」
そのことに気が付いた彼女の背筋に悪寒が走る。
もしモンスターたちが自らこの場から離れたのだとしたら、このことにどんな意味があるのか。
それは知恵の回らない彼女にだって理解できた。それは何かから逃げているのではないか、と。
そうだとしたら合点がいく。
なにかとてつもない存在が近くにいるために、周囲の生物がいない。
スキルの範囲外にすらその存在感を振りまく驚異的な何かが、いる。
その可能性に気が付いた彼女は咄嗟に身を低くしていた。
今更こんなことをしたって何かが変わるわけでもない。しかし、彼女が積んできた経験がそうするべきだと言っているのだ。
彼女はそれなりに場数を踏んできた。死線を潜ったことは一度や二度ではない。その結果、彼女は目も眩む様な珍しいアイテムも手に入れたこともある。
そうだ。これはいつものピンチに変わりはない。いつも通り、死に物狂いで生きるのだ。
バウンティハンターとして生きてきた彼女の戦闘能力はあまり高くは無い。
レベルも中堅どまりのどこにでもいる冒険者と変わりはない。けれども彼女がこれまでに何度も生き残ってきたのには、しっかりとした理由がそこにはあった。
彼女は先ず何よりも情報を最優先とする。狙うお宝の情報。お宝のあるダンジョンの情報。そのお宝を狙う他の同業者の情報。
それらの情報を手に入れるのに金は惜しまないようしている。そのため、せっかく手に入れた大金が湯水のごとく消えていくのは、仕方のないことだと思う様にしているそうだ。
もちろん、この境界面上の大森林に入るの当たっての情報は出来る限り集めて来た彼女。そんな彼女が手に入れた情報の中で一番可能性の高いものを瞬時に選択する。
その中には間違った情報だってあるかも知れない。しかし、彼女がすがれるのは己が集めた情報しかない。そのため、彼女は自分が集めた情報は出来る限り信用している。
そして、彼女が選択した情報は――
「っ!?」
鳥の囀りさえ聞こえない森の中に甲高い音が響き渡る。その音に彼女は心当たりがあった。
それは彼女がここに至るまでに仕掛けて来た罠の一つである、踏んだら大きな音が鳴る木の実だった。
非常に薄く、割れやすいその木の実は掌より少し小さな大きさで、衝撃を与えると甲高い音がなることで冒険者たちに重宝されているアイテムだ。
その音が鳴ったと言うことならば、何者かがそれを踏んで割ったと言うこと。そして、生き物の気配がしないこの空間でそれを出来る者は限られる。
そう、厳しい環境で育った屈強な生物たちが尻尾を巻いて逃げだすほどの圧倒的な覇者。
音がした方向を見据え、近くの大木に身を隠す彼女。
しかし、彼女の居場所が分かっているのかその覇者は周囲の小さな木々をなぎ倒しながら進んできている。それもかなりの速さで。
この悪路を平然と疾走する生物に対して彼女は鳥肌を立てる。それは獣であり、一目散にこちらに向かって来ている。
彼女の心臓が鐘を鳴らす。息は次第に乱れ、眼は血走る。
しかし、それはいつもの死線のことであり、彼女は取り乱したりはしない。
彼女は腕利きのバウンティハンター。貴族にすら名指しで依頼される名の売れたバウンティハンター。
そんな者がこんな場所で、このくらいの危機で、絶望なんてするわけがなかった。
「隠れて怯えているだけが、女じゃないんだよ!」
決起し、大木の影から身を躍り出る。
腰の小さなポーチから細く頑丈なワイヤーを取り出し、近くの木々へと結びつける。
彼女の強みは空間把握能力に優れているところだ。どこにどんな物があるのか、それらを瞬時に把握する能力に長けている彼女が得意とするのは罠を設置することであった。
ワイヤー、ベア、スネア、ブービー、クローンズライン、なんでもござれ。その中でも彼女が最も得意とするのはワイヤーである。
魔力を含んだ鉄を用いた柔くしなやかで頑丈なワイヤーは、彼女が戦場で回収した大事な相棒だ。売ろうと思えば目が飛び出るほどの値が付くであろう。
更に地面へ仕掛けるベア、丈夫な枝などで作る対象の腕や足を掠めとるスネア、矢などを用いたブービー、飛行生物などに対して絶大な威力を誇るクローンズラインなどを次々と仕掛けていく。
それらは一見、適当な配置で仕掛けているように見えるが、実のところ全て連鎖するように仕掛けてある。それが彼女の戦い方なのだ。
かつて気持ちが良いほどに全ての罠が掛かった時は絶頂を覚えるほどであったと彼女は思う。
さぁ、やってこい。ここから先は地獄だぞ。彼女は不安どころか嬉々として敵を迎い入れる。
そして現れた。体高三メートルに届こうかと言う巨体。黒くしなやかな体。艶やかなまでに黒い艶を持つ毛は好事家にさぞや高く売れるであろう。
そんな特徴を持つ化物を彼女は知っていた。否、それに当てはまる情報を持っていた。
これこそが彼女が選択した情報であり、その情報をもとに罠を製作したのだ。相手は“森の番人”と呼ばれるモンスター。
彼女の目論見は当たっていた。すなわちここから始まるのは怒濤の罠地獄。
鬼さんこちら、罠のある方へ。
彼女は微笑んだ。
「――え?」
少なくとも、彼女が絶対な信頼を置いていたワイヤーが引き千切られるまでは。
「え、ちょ」
ベアとして仕掛けたトラバサミは踏み潰される。
「ひぇ……」
スネアとして仕掛けた枝の輪は化物の足輪となってアクセサリーになる。
「に、逃げ……!」
ブービーとして仕掛けた矢は艶を持つ毛に弾かれて足元に落ちる。
「ひ、ひいぃぃ!!!」
クローンズラインとして仕掛けた縄は化物の首輪としてオシャレになった。
「いやぁああああああああああああああああああああああああ!!!???」
全ての罠を物理的に突破され一目散に逃げだすシュル。
そこには先ほどまでの勝利への自信はどこにも無く、あるのは生へ対しての渇望のみ。
どうして罠が掛からなかったのかなど考えている暇などない。否、考えなくても分かっていた。
化物は罠の耐久地をはるかに超えるレベルを所有していたか、罠を無効化するスキルを持っていた他にないのだから。
結局のところ、彼女は未だ未熟であり、“森の番人”は彼女が相手をするには格が違い過ぎる相手だったに過ぎない。
慢心、執着、強欲、いずれにせよ彼女が勝てる未来などどこにも存在しなかった。
モンスターの走る速さは驚異的であった、このままでは一分としない内に彼女は追いつかれて喰らわれてしまうであろう。
その未来が彼女の脳裏にもよぎったのか、見る見るうちに顔色が悪くなっていく。
幾度となく繰り返したピンチ。そんな中、彼女は『今までのピンチもこんな感じだったな』と走馬燈のようによぎる思い出に感想を述べる。
もはや現実逃避と言えよう。そうもしたくなるものだ。
そして最後が訪れた。
「あっ!」
地面から顔を出していた大木の根に脚を取られてしまい、その体が宙へと投げ出されてしまったのだ。
普通ならばそのまま地面へと倒れ込んでしまう。しかし、彼女が飛び込んだ先は崖。
地に脚が付く場所なんてどこにも無く、悲しいかな彼女は崖から身を投じる形となり――
「きゃぁああああああああああああああ!!!???」
――哀れ悲鳴と共に暗闇へと消えていった。




