十二
平和都市エルム。
その中の一角、冒険者組合と呼ばれる大きな建物の中でガルムは小さく唸った。
普段通り騒がしい冒険者たちを眺め、書類にハンコを押す業務をこなしていた時のことである。
半ば作業になりつつある業務の手を止めて窓の外を見る彼の表情は、非常に複雑なものであった。
彼は冒険者ではなく、組合内で働く職員だ。役職は最高位の組合長。
冒険者をすでに引退してから久しいが、その腕は並いる者たちを圧倒するほど。服の上からでも分かる屈強な肉体は歴戦の勇士を彷彿させる。
そのようなものが久方ぶりに“悪寒”を感じたのだ。
そんな彼の様子に、近くで同じように書類に目を通していた職員が何事かと声を掛ける。
彼ほどの者が突然様子を変えれば何かあったと思うのは不思議なことではない。もしかしたら一大事かもしれない。
そんな職員の心配を、彼は心で感謝しつつこう述べた。
「都市長を呼んでくれ。……あぁ、いい。やっぱり俺が行く。お前たちは騎士団に連絡を取ってくれ。俺は少し出かける」
そう言われれば何かあったと言っているようなものだ。
早々に身支度を整え、組合を後にするガルム。残された職員は何か不穏な者を感じ取ったのか、静かに他の職員に伝える。
組合長自らが出向く問題が起きている、と。そうとなれば話は早い。組合の職員は冒険者たちに悟られないよう努めていつも通りに接し、裏では各所へ連絡を取り出したのであった。
冒険者組合を後にしたガルムが向かった先は平和都市エルムの都市長が住まう邸宅だった。
都市長パーパズールは貴族であり、ここら一帯の領主である。このエルムが平和都市と謳われるのも彼の手腕がなせる業なのは周知の事実。故に民に慕われており、領主もまた民を愛しているのだ。
ガルムの突然の訪問だと言うのにパーパズールは快く迎い入れてくれた。パーパズールの元へガルムが来ることはほとんど無い。それ故にパーパズールも火急の用事と察してのことだ。
邸宅のメイドに私室まで通されるガルム。
応接間ではなく防音や対魔法防壁が施されたパーパズールの私室へと通されることに、ガルムは深く感謝した。パーパズールもまた深く用心してとのことだろう。
私室の戸をノックし、入るとそこには既にパーパズールがお茶の用意をして待っていた。メイドを使わない辺り徹底していると言える。
すぐさまガルムは挨拶をする。
「友よ、良い天気だ」
「ガルムよ、まずは座ってくれないか。波が高くては船は進まんからなぁ」
言われるがままに座るガルム。するとパーパズールは手慣れた手付きで紅茶を温めておいたであろうカップへと注ぐ。
その良い香りにガルムは少しながらも落ち着きを取り戻すことが出来た。歴戦の勇士も焦る時は焦る。
「それで……折り入って相談したいことがある」
「何でも言ってくれ、友よ」
「実はな、大森林の方からとてつもない者が出ようとしている」
落ち着きを取り戻したところでガルムは話を切り出した。
相談の内容は先ほど感じた悪寒である。そして、その悪寒の正体をガルムは気付いていた。
それは強者を前にした時に感じる威圧感に似た悪寒であると。
強者は同党の強者と相対する時、それだけの強さを持つ者と戦えることに喜び震えることがある。
しかし、ガルムほどの者となれば同等の強者と会い見えることは珍しい。けれどもガルムが感じたのは威圧感などではなく、己よりも強い者を前にした時の悪寒である。
ガルムは《上位》を超える《超位》のスキルを持っている。そんなガルムが威圧感を感じるとなればそれ以上に強い者しかいない。
そして、それを分からないパーパズールではない。
パーパズールはガルムと知り合って長い。それこそ友と呼べる間柄で、ガルムが冒険者の時代からの付き合いである。
そんな彼もガルムの強さを知っているのだ。故に、先ほどの言葉がどれだけ重いことも、理解した。
「……それは《森の番人》か?」
「いや、違う。もっと、大きな……それこそ同じ《超位》かそれ以上の奴だ」
「ふぅむ……」
それを聞いたパーパズールは深く椅子に腰かけ、こめかみをカリカリと掻く。それは彼が考え事をするときの癖であるとガルムは知っている。
悩んでいるのであろう。都市長としてか、ガルムの友としてか。しかし、その間は長くは続かなかった。
「……僕は無駄な混乱は避けたい。もちろん、ここで民たちに大々的に告知をして逃げてもらうことも出来る。けど、そうもいかないんだ」
「そうだとも。そうもいかない。皆、ここでの暮らしがあるのだから」
都市を捨てて逃げるのは簡単なことではない。
それまでの安定と地位を捨てて他の地へと逃げようものなら混乱が生じる。
ここで築いた地位。ここで培った絆。ここで就いた職。ここで誓った夫婦。それぞれのことを全て捨ててまた一からやり直すのは現実的ではない。
もしそうなれば路頭に迷う民であふれてしまうことだろう。それでなくとも、他の都市が受け入れてくれるとも限らない。
復興にも時間がかかることであろう。莫大な金も掛かることであろう。
命あっての物種とは、簡単には言えないのだ。命だけ救っても、意味がないこともあるのだ。
だから、パーパズールが民のことを思うのであれば、ここはこうする他は無い。
「ガルムよ。我が友ガルムよ。猛き者ガルムよ。君にお願いしたい。君の冒険者組合に依頼を出すよ。内容はそのとてつもない者の偵察だ。依頼金も僕の財布からだそう」
そう、パーパズールが最も信頼しているガルムへ頼むことであった。
それを聞いたガルムは分かっていたとばかりに口角を上げて立ち上がり、口を開く。
「承知した我が友パーパズールよ。賢き者パーパズールよ。俺の全てを持って立ち向かおうぞ」
「頼んだよ。僕の方からも王都へ騎士団の要請をしておくよ。きっと君もしていることだろうから、すっ飛んで来ると思うよ」
「違いない」
そう言ってお互いはがっしりと男臭い握手を交わしたのであった。
◆ ◆ ◆
いよいよこのジャングルから出られるかもしれないと分かったところからは早かった。
予てからの願いであるジャングルの外に出られるかもしれないのだ。これで舞い上がらないわけがない。
そして、それに必要な手続き……もとい赦しを得るために俺はランスさんの元を訪れていた。
俺が《王位》を使ってからと言うものの更に忠誠心が強くなったような気もするランスさんだが、果たしてジャングルの外に出ることを赦してくれるだろうか。
ランスさんのことだから供回りを連れて行くことを条件に赦してくれそうな気もするが、逆に王が危険なところに行くことは赦さないと言いそうで怖い気もする。
どちらにせよ、何も言わないで出るのは不味い。何故ならば、俺はゴブリンの王なのだから。
……なんか自覚が無いなぁ。
外を歩いていたゴブリンにランスさんの所在を訊ねると、ランスさんは会館にて他のホフゴブリンたちといるとのことで早速向かうことに。
そして当然のように跪くゴブリンたち。俺がゴブリンたちの王だと分かってから集落を歩いてみると、なるほどどうして全てが違って見えてくる。
全てが俺を気遣っての行動だと言うことが手に取るようにわかる。どうして今までの俺は気が付かなかったのだろうか。不思議でならない。
それと同時に、やはり俺では王と言う地位は重すぎるものだと再確認した。余所者である俺がどうしてゴブリンたちの王となれたのは未だに疑問ではあるが、間違っていることだけははっきり言える。
会館の近くまで来ると、ちょうど会議が終わったのかホフゴブリンたちが会館から出てくるのが見えた。
すると当然のごとく俺の姿もホフゴブリン側からも見えることで、ホフゴブリンたちは皆一様に嬉しそうに駆け寄ってくる。その中にはもちろんランスさんの姿もある。
そんな彼らの姿を見て、少しだけ頑張ってみようと思えるのであった。




