父、クラディエ公爵
夕食の時間、私は食事を取るためにダイニングルームの席についていた。
スープをすくって口に運ぶと、すぐに体の内側まで温まっていった。
じゃがいもの入ったクリームスープはよく口にするものだったけれど、今日に限って、いつもよりおいしく感じられた。
「お嬢様、スープをおかわりになさいますか」
侍女のルーシーにそう言われて皿へ目を落とすと、いつの間にか空になっていた。
私は少し迷ったが、首を横に振った。
「いいえ。スープはこれで十分です」
スープばかりをいただきすぎると、ほかの料理をいただけなくなる。
そうなれば食事全体のバランスが崩れてしまう。
食べたいからといって、好きなだけ口にしたことなどなかった。
だから私は、習慣のように、もう少し欲しいという気持ちを抑え込んだ。
次に出されたステーキにナイフを入れながら、私は今日、財務局であったことを思い出していた。
『正確で、無駄がない。財務局としては、申し分のない申請書です』
最初に彼の執務室へ入ったときには冷たい印象だった顔が、ふっと和らぎ、微笑んだ瞬間まで、妙にはっきりと思い出された。
ほかでもない、厳しいことで有名な財務卿補佐、カイス・アデルに認められたのだと思うと、素直に嬉しかった。
補助金の件もうまく運びそうで、心もいくらか軽くなった。
もちろん、帰り道では、エドガーがまたしても私の神経を逆撫でしたけれど。
財務局を出たあと、エドガーは私の誕生日の夜会で使うコサージュを買ってあげると言い出した。
『ルア、誕生日に着るドレスは何色にしたの?』
『空色ですけれど』
『それなら、薔薇のコサージュがぴったりだね。ルアは薔薇が好きだっただろう?』
好きではありません。
そう言う代わりに、私は丁重に断った。
それにコサージュは、すでにドレスに合わせて特注してあったので必要なかった。
そもそも空色のドレスに赤い薔薇のコサージュが合うのかも疑問だった。
いつもながら、エドガーは贈り物選びの感覚が少しずれている。
数日後には、アデル公爵夫人のサロンを訪ねる予定もある。
そのときもエドガーが同行するのだと思うと、少し気が重くなった。
私がステーキを口に運ぶ速度が遅くなったせいか、ルーシーの顔に焦りが浮かんだ。
料理が口に合わなかったのではないかと、心配しているのだろう。
私は彼女に余計な心配をさせないよう、もう一切れステーキを切り、口に運んだ。
「ステーキ、とてもいい焼き加減ですね」
「ありがとうございます、お嬢様。料理長も喜びます。お嬢様にお出しするものだからと、肉をずいぶん吟味しておりました」
ルーシーがほっとしたように微笑んだ。
私も微笑み返し、さらに言葉を添えた。
「そう。先ほどのじゃがいものクリームスープも、とてもよかったです」
そんなやり取りをしていると、ロイドが足早にこちらへやって来るのが見えた。
「お嬢様」
「ロイド、どうしましたか」
「ご当主様がお戻りになりました」
ロイドのその報告を聞いた瞬間、私はナイフとフォークを持つ手を止めた。
指先に、わずかに力が入った。
父は領地の屋敷と王都の屋敷を、必要に応じて行き来していた。
そして父が王都の屋敷へ戻るのは、たいてい国王陛下に謁見するか、高位貴族と会う用件があるときだった。
数日以内に父が王都に到着するという知らせは受けていた。
けれど、それでも予定より早い到着だった。
私はナイフとフォークを置き、静かに席を立った。
控えていた使用人たちの顔にも、緊張の色が浮かんでいた。
急いでエントランスホールへ向かうと、ちょうど父が中へ入ってくるところだった。
襟元まできっちりと留めた黒の外套姿の父は、長旅のあとだというのに、少しの乱れも見せていない。
父は私に視線を向けた。
けれど、その顔から感情を読み取ることは、いつものようにできなかった。
私は姿勢を正し、丁寧に一礼した。
「お帰りなさいませ、お父様。長旅でお疲れではございませんか」
父は無言のまま、ほんの短くうなずいた。
それから、ゆっくりと私のほうへ歩いてきた。
父は私の横を通り過ぎざま、短く言った。
「変わりはないな」
「はい、お父様」
私は間を置かずに答えた。
父の背が完全に遠ざかるまで、私はその場で息を詰めていた。
そして自室へ戻ろうと、向きを変えた。
「お食事は、もうよろしいのですか」
ロイドの問いに、私は小さくうなずいた。
「ええ。今日はこれで十分です」
もう、ダイニングルームへ戻る気にはなれなかった。
◇
翌朝、朝食を終えて自室へ戻ると、ほどなくして扉が叩かれた。
「入りなさい」
私がそう言うと、ロイドが入ってきた。
「お嬢様。ご当主様よりお言葉を預かっております」
その一言だけで、自然と背筋が伸びた。
「これまでお嬢様が処理なさった業務に関する報告書をすべてお持ちのうえ、一時間後に執務室へ来るように、とのことです」
「……分かりました」
残された時間は、一時間。
父はいつだって、十分な時間を与えてはくれない。
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