許されたエドガー
エドガーはその足で伯爵夫人の部屋の前まで行き、彼女が戻るのを待った。
しばらくすると、廊下の向こうから歩いてくる伯爵夫人の姿が見えた。
「エドガー」
目を赤くした伯爵夫人が、エドガーを見つめた。
彼女は自分のために泣き、悲しんでくれていた。
そんな母なら、自分のために何でもしてくれるはずだ。
エドガーはそう思った。
「大丈夫? さあ、中へお入りなさい」
彼女は温かい声でそう言ってくれた。
二つのティーカップが置かれたテーブルを挟んで、伯爵夫人と向かい合ったエドガーは、彼女の手をそっと握った。
そして、すがるような目で彼女を見上げた。
「母上、母上」
「ええ。私のかわいい息子、エドガー」
彼女はまだ、彼を息子と呼んでくれていた。
一刀両断に自分を切り捨てた父とは違う。
やはり母は違う。
母はいつだって慈悲深い。
幼いころから見てきた母の姿は、この世のあらゆる命を哀れむ、聖女のようなものだった。
病気の動物を見れば連れて帰って保護し、道端で物乞いをしている者を見れば、金貨を取り出して与えていた。
そんな母が、実の子に慈悲を向けないはずがない。
「母上は、僕を許してくださいますよね?」
エドガーの問いに、彼を優しく見つめていた伯爵夫人は、ほんの一瞬も迷うことなく答えた。
「もちろんよ、エドガー。お父様がどう思おうと、母はいつだってあなたを許すわ」
「ありがとうございます、母上」
エドガーは少しだけ安堵した。
母に頼れば、この家を出ていかずに済むかもしれない。
少なくとも、彼の知る母は、息子を無情に追い出すような人ではなかった。
エドガーは伯爵夫人の手をぎゅっと握りしめ、必死に訴えた。
「母上。母上から父上に言ってください。僕は何も悪くないのだと」
彼女は赤くなった目元を、何度もハンカチで押さえていた。
「本当にかわいそうに、エドガー」
哀れむような顔で涙を流す姿は、この上なく美しかった。
彼女はいつものように、同情に満ちた表情をしていた。
「エドガー、こんなに苦しんでいるあなたがかわいそう。エドガーも、クラディエ嬢も、あの人も、みんな傷ついたのね。みんなかわいそう……」
その言葉に、エドガーは少し不安になった。
「母上、それでも僕が一番かわいそうですよね?」
「……」
「父上に言ってくださいますよね? 僕をこの家から追い出さないでほしいと」
伯爵夫人は何も言わず、優雅な仕草で涙をぬぐった。
その無言の涙が続けば続くほど、エドガーはどんどん落ち着かなくなっていった。
「母上?」
伯爵夫人が、エドガーの手をぎゅっと握った。
彼女の目元が、美しく揺れた。
「エドガー。覚えておいて。母は決してあなたを憎まないわ。いつだって許しているし、愛しているわ」
「はい、母上。わかっています。それで……父上には、いつお話ししてくださるのですか?」
「かわいそうなエドガー……あの人は今、とても深く傷ついているの」
「……父上が、ですか?」
「ええ。さっきも見たでしょう? 家のことを思って、あの人の心は引き裂かれているはずよ。あまりにもかわいそうで……母は、とても言い出せないの」
エドガーは呆然とした目で母を見つめた。
「どうして人は、こんなにも互いを傷つけなければならないのかしら……みんなで幸せになることはできないのかしら」
母はぽろぽろと涙をこぼし続けた。
その涙は、相変わらず美しかった。
「エドガー、私たちはここでお別れだけれど、どうか幸せにおなりなさい。この母は、とても悲しいわ」
「母上、母上。僕が、母上の大切な息子が、追い出されようとしているんですよ? 今すぐ父上のところへ行って、話してくださらないと」
「エドガー、愛しい私の息子。あなたも、あの人も、クラディエ嬢も、みんな大切な人なの」
「みんな、ですか?」
しばらく言葉を失っていたエドガーは、慌てて言った。
「母上、よく考えてください。僕が出ていけば、母上はとても悲しくて、苦しくなるはずです」
「ええ。あなたのいない余生を過ごすことも、きっと母に与えられた罰なのでしょうね。本当に、胸が痛むほど悲しいわ」
「……?」
――おかしい。
幼いころから、母が涙を流しながら大丈夫だと、許すと言ってくれるたびに、救われたような気持ちになっていた。
それなのに、どうして。
母の美しい涙を見ても、少しも救われた気がしないのだろう。
母は僕を許すと言ってくれた。
それなのに、どうして僕は救われないのだろう。
どうして今、僕は一人になっているのだろう。
エドガーは肩を震わせ、いつまでも泣き続ける母を見つめながら、頭の中が真っ白になっていった。
結局、エドガーは一文無しに近い状態で、行くあてもないまま家を追い出されることになった。
部屋にこもって粘ろうとしたが、父が送ってきた使用人たちによって、強引に外へ出されたのだ。
最後に母の侍女が、宝石の入った小袋を渡してくれたが、たいした慰めにはならなかった。
これからどうすればいい。
どこへ行けばいい。
この宝石を使い切ったら、道端で倒れて死ぬことになるのか。
伯爵邸の前で不安げに視線をさまよわせていたエドガーは、知人たちの顔を一人ずつ思い浮かべた。
優しく親切な自分を、いつも尊敬の目で見ていた貴族たち。
その中の一部は、自分の親切を偽善だの、称賛目当てだのと陰で囁いていた。
だが、全員がそう思っているわけではないはずだ。
そうだ……誰かが僕を受け入れてくれる。
僕が今まで向けてきた善意が、すべて無駄だったはずがない。
家族も、ルアも、みんな愚かで何も理解できなかっただけだ。
誰かはきっと、僕の善意を分かってくれるはずだ。
エドガーは、そう信じるしかなかった。
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