信頼を失った者たち
誕生日の夜会から数日後。
父は私の予想よりも早く事を進めてくれた。
父が正式な婚約解消の理由として、ナルシアン家に示した項目はこうだった。
クラディエ公爵家の後継者である私の権威と評判を損なう言動を繰り返したこと。
まだ家門の一員でもないにもかかわらず、使用人に対して権限を越えた振る舞いをし、家の秩序を乱したこと。
客人たちの厚意と贈り物を、自分の善行を誇示するための道具にし、社交上の非礼を働いて、クラディエ公爵家の名を傷つけたこと。
したがって、クラディエ公爵家の後継者に婿入りする者として不適格であること。
婚約を解消するには、十分すぎる理由だった。
さらにナルシアン伯爵家は、クラディエ公爵家に対して多額の賠償金まで支払わなければならなくなった。
もちろん、ナルシアン家は昔から交通の要衝として得た通行税を蓄えている。
その程度の賠償金で家が傾くことはないだろう。
けれど、それでもかなりこたえる金額であることは間違いない。
何より、ナルシアン家は今回、エドガーのせいで社交界で大きく評判を落とした。
公爵家に婿入りする予定だった息子の過ちによって、婚約を解消された。
その事実がもたらす不名誉は、かなり大きいはずだった。
そしてある日、私はすべての使用人をエントランスホールに集めた。
緊張した面持ちの使用人たちが集まる中、私は静かに口を開いた。
「これから、重要な発表をします」
皆を見回すと、何事かと気にしている顔もあれば、私と目を合わせられずに視線をそらしている者もいた。
今日、私が彼らを呼んだ理由を察している者も少なくないのだろう。
「ロイド」
私が呼ぶと、ロイドが前へ進み出た。
「名前を呼ばれた者は、前へ出なさい」
ロイドが一人ずつ名前を呼んでいく。
名を呼ばれた数名の使用人が、青ざめた顔で前へ出た。
その中には、サラとトムも含まれていた。
私は彼らに向かって、短く告げた。
「あなたたちは、本日付で解雇します」
ある程度は予想していたのだろう。
大きく驚く者はいなかった。
ただ、その表情は一様に暗かった。
トムは諦めたような顔で頭を下げ、サラは赤くなった目元を手で拭っていた。
私はさらに続けた。
「あなたたちはこれまで、ナルシアン伯爵令息に同調し、繰り返し一線を越えました」
エントランスホールは、水を打ったように静まり返っていた。
「詳しい解雇理由については、ロイドから一人ずつ説明させます」
そのとき、一人の使用人が前へ出た。
トムだった。
彼は私の前で深く頭を下げ、力のない声で口を開いた。
「お嬢様、これまで申し訳ございませんでした。許可なくナルシアン伯爵令息を屋敷の中へお通しするなど、私は何度も一線を越えました。解雇される理由は十分にあると、自分でも分かっております」
「……」
「ただ一つ、最後にお願いしてもよろしいでしょうか」
「言ってみなさい」
「この屋敷を出たあとも、ほかの貴族家で働いて生きていけるよう、どうかクラディエ公爵家の名で推薦状を一通、いただけないでしょうか」
私はしばらく、トムとサラ、そしてほかの使用人たちを見つめた。
皆、不安げな顔をしていた。
これからどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れているのだろう。
少しだけ、気の毒だとは思った。
私は少し考えた。
そして、答えはすぐに出た。
「できません」
私のきっぱりとした返答に、トムたちの顔が絶望に染まった。
「推薦状は、信頼を保証するものです。私はすでに、あなたたちへの信頼を失いました。ですから、推薦状を書くことはできません」
「……そう、でございますか」
私を見ていたトムは、力なく深くうなだれた。
「お嬢様、どうか……このままでは、あまりにも先が見えません」
「推薦状がなければ、私たちには行く場所がありません。どうか、お慈悲を……」
何人かの懇願する声が聞こえた。
けれど、私の考えは変わらなかった。
クラディエ公爵家の名で出す書類を、偽って発行することはできない。
無責任に推薦状を書いた結果、もし彼らがほかの家でまた同じような問題を起こしたなら、その責任はクラディエ公爵家にも返ってくる。
「ロイド、あとの処理は任せます」
「はい、お嬢様」
私はそのまま、使用人たちに背を向けた。
◇
その頃、エドガーは父であるナルシアン伯爵の前で膝をついていた。
その隣から、母が静かにすすり泣く声が聞こえてくる。
膝に染みる床の冷たさを感じながら、エドガーは考えていた。
どうして、こんなことになってしまったのか。
あっという間にルアとの婚約を解消されてしまった自分の身の上が、信じられなかった。
――どうして、僕が。
なぜ僕が、こんな目に遭わなければならないんだ。
ルアにとって、優しい婚約者だったはずだ。
時間があれば、何度もルアに会いに行き、外出のたびにエスコートしようとした。
良い品や美味しいものを見つければ、いつも彼女に贈ってあげた。
悪い虫がつかないように、守ってあげるとも言った。
そこまでしてあげた僕を、なぜルアは人前であんなふうに傷つけたのだろう。
ルアは、僕のことを少しも好きではなかったのだろうか。
これほど優しく、繊細で、思いやり深い僕を。
彼女を正しいほうへ導こうとしてあげたのに。
クラディエ家の使用人たちにも、親切にしてあげただけなのに。
優しいことが、親切なことが、なぜ悪い。
貴族たちもまた、僕のことを、自分に酔っている男などと勝手に決めつける。
誰も、本当の僕を分かってくれない。
もちろん、ルアの誕生日の贈り物の件では、少し言い間違いがあった。
でも、それほど大きな過ちでもないのに……。
僕ほど人の痛みが分かる男が、ほかにいるはずもないのに……。
クラディエ家は、なぜ僕を手放すというのか。
エドガーには、どうしても理解できなかった。
正直に言えば、理不尽だと思った。
窓のほうを向いていたナルシアン伯爵が、拳を強く握りしめた。
そして、身にまとっていた上着が揺れるほど荒々しく振り返ると、声を張り上げた。
「……エドガー! この愚か者め!」
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