第七十一話「国王ライオネル十二世」
国王ライオネル十二世が天幕を去った後も、レイは重傷者の治療を続けていた。六人目の重傷者に治癒魔法を掛け終わったところで、魔力が底を着く。
(三時間、いや、二時間くらい休みたいな。でも、重傷の人がまだ大勢いるし……三十分くらい、どこかで横にならせて貰おう……)
彼は負傷者たちのいる天幕の端の方に行くと、倒れこむように地面に転がった。
(腹が減ったな。そう言えば、朝食を食べたっきり何も食べていないや。でも、食べに行くのが億劫だ……)
彼が横になり、ウトウトし始めたところで、一人の騎士が乱暴に声を掛けてきた。
「陛下がお呼びだ。付いて参れ」
レイは何のことか判らず、困惑していると、その騎士は「グズグズするな」と、更に高圧的な態度に出る。
「人違いです。ただの傭兵の治癒師なんですから……」
「ええい、陛下をお待たせする気か! 早く付いて参れ!」
偶然、その光景を目にした元第三大隊副隊長のナイジェス・リーランドが割って入る。
「この者は丸二日間戦闘に参加した上、倒れるまで治癒魔法を掛け続けているのだ。言葉を慎め!」
近衛騎士は相手が護泉騎士団の副大隊長であることに気付き、一瞬怯むが、
「陛下の勅命です。この者の手が空き次第、陛下の下に連れて行かねばならぬのです」
レイは、尚も庇おうとするリーランドを押し留め、「判りました。案内をお願いします」と、頭を下げる。
彼らの話し声は、負傷者たちの耳にも入っていた。
負傷者たちにとってレイは、彼らの英雄であるハミッシュが信頼し、奇策を献じて勝利に貢献しただけでなく、共に前線に立って戦い、更には疲れた体に鞭打って治療を施してくれた戦友だった。
彼らはレイに同情し、国王の命令を受けた近衛騎士を睨みつけていた。
リーランドはそのことに気付き、憂慮する。
(愚かなことだ。この者はマーカット殿に匹敵する働きをしたと聞いた。それなのに、陛下は……何を考えておられるのだ……)
リーランドは近衛騎士に連れて行かれるレイを心配し、彼らの後を追っていった。
国王の天幕の前に到着したが、国王は騎士団長らと協議しており、レイは天幕の前で待たされることになる。
リーランドは協議が終わるまで、休ませてやるように頼むが、近衛騎士は取り合おうとしない。
「陛下をお待たせするわけにはいかぬ。平民如きが陛下のお召しを受けたのだ。これ以上の名誉はない」
ここで言葉を切ったあと、侮蔑の表情を隠そうともせず、
「貴公に忠告させてもらうが、護泉騎士団の副大隊長の任にあるとはいえ、爵位も持たぬ一介の騎士風情が調子に乗らぬことだ」
その言葉にリーランドの怒りが爆発する。
「貴官はこの状況を理解しているのか! 戦場で爵位など役に立たぬ!」
「私はキルガーロッホ公爵家に連なるムーアヘッド子爵家のセオドア・ムーアヘッドだ。戦場と言うが、ここは陛下の御前。我ら近衛の指示に従って貰おう」
その様子は騎士を始め、義勇兵たちの目にも入っていた。
レイはムーアヘッドと名乗る近衛騎士の、狭量さと視野の狭さに呆れ果てていた。
(オークの死体を見ても気付かないのか。ここを守ったのが、義勇兵たち、平民の傭兵であることに……この国は駄目だ。上級貴族も、そして国王も……)
午後六時。
レイたちが天幕の外で、三十分ほど待たされていると、騎士団長のヴィクター・ロックレッターが出てきた。
そして、天幕の外で所在なげに立つレイの姿を見付ける。
彼はレイが何か思いつき、自分に進言しに来たのかと思い、声を掛ける。
「どうしたのだ? 何か具申すべきことを思い付いたのか?」
レイは苦笑し、「いいえ、実は……」と言い掛けるが、横にいるムーアヘッドが割り込む。
「陛下がこの者をお召しになりましたので、ここで待機させておったのです。平民の傭兵風情が、陛下をお待たせするなどあってはならぬこと」
ヴィクターは、ムーアヘッドの言葉に強い怒りを覚えた。そして、彼は拳を固め、その肩は小刻みに震えていた。
「貴様はこの者がどのような働きをしたのか、知っているのか! この者がどれだけ我らのために尽力したかを……」
ムーアヘッドはヴィクターの怒りにたじろぐが、すぐに慇懃な態度に戻る。
「平民が我らに尽くすのは当然の義務。まして、傭兵が契約に従って戦うことは当たり前のこと。何をおっしゃっているのやら? それでは急ぎますので、失礼いたします」
ムーアヘッドはそれだけ言うと、国王の天幕に逃げるように入っていく。
残された形のヴィクターは、ムーアヘッドとそれを命じた国王に絶望しそうになっていた。
(レイがどれほど我が祖国のために貢献したのか判っておられぬ。ここは俺が諫言せねば……)
ムーアヘッドが戻り、レイが中に呼ばれると、ヴィクターもそれに続く。
国王は協議を終えた直後に騎士団長が入ってきたことに驚いていた。
「ヴィクターよ。何か言い忘れたことでもあったのかな?」
「いいえ、陛下がこのレイ・アークライトをお召しと伺い、理由をお尋ねしようと戻って参りました」
国王は、騎士団長であるヴィクターが、一介の傭兵であるレイのことを知っていることに疑問を持ったが、そのことはすぐに頭から消えていった。
「ああ、この者が優秀な治癒師である上、その鎧がルークスの聖騎士の物に似ていると思ってな。少し気になったので、話を聞こうと思ったのだ」
ヴィクターはその言葉に呆れるが、すぐに片膝を着き、真剣な表情で語り始める。
「陛下に申し上げます。このレイ・アークライトは、あのハミッシュ・マーカットとともに、二日間にも及ぶ激戦を戦い抜いたのです。この若さで、あの死臭漂う戦場で最後まで……それだけでありませぬ。戦いで疲れ、立っていることすら辛いであろうこの状況で、戦友たちの治療のため、歯を食いしばって治癒魔法を掛け続けていたのです。その者を、ただ……ただ、それだけの理由で呼び出し、労いの言葉もなく、外に立たせておくとは……」
ヴィクターは、主君のあまりの情けなさに、言葉を失いそうになる。
「陛下、戦をするのは兵たちなのです。その兵たちが信頼し、命を預けた若者を、粗略に扱うのはお止めください。小官は騎士団長の印綬を賭して、陛下に言上致します」
騎士団長が職を賭すと聞き、国王は慌てる。
「余はその者を粗略に扱うつもりなど毛頭ないぞ」
「ならば、この者に休息をお与え下さい。ここを守った、王国の危機を救った勇者に、せめて……せめてその程度のお慈悲で結構です。それをかの者にお与えください」
ヴィクターの何時にない辛辣なもの言いに、国王はたじろぐ。
(ヴィクターは何を怒っているのだ? 余は言葉を授けようとしただけではないか。それともセオドアが何かしでかしたのか……)
「セオドア。そなた、何をしたのだ」
セオドア・ムーアヘッドは頭を深く垂れ、
「陛下のお命じになった通り、このアークライトなる者の手が空いたことを確認し、直ちに連れて参りました。平民が、それも戦うことしか能の無い傭兵が、陛下の御前で直にお言葉を授かるのです。正に望外の恩賞。心より感謝するように諭しておきました。何ら問題はござ……」
その言葉にヴィクターが怒りを抑えて、口を挟む。
「この者が語ったことは、騎士団の兵たちのみならず、義勇兵たちも聞いておりました。その結果は、明日の朝、陛下がお姿をお見せになった時に判るでしょう。そして、王都に戻られた時、今日のことを後悔なさるでしょう」
国王はヴィクターが言わんとすることを理解した。
(折角、余が兵たちを労ったのに、この者が、キルガーロッホ一門が台無しにしたということか……)
「アークライトよ。済まぬことをした。余の想いを理解できぬ者が、そなたに迷惑をかけたようだ。ヴィクター、余はどうすればよいと思う?」
「判りませぬ。小官はただの武人に過ぎませぬ。では、この者を休ませてもよろしいでしょうか」
ヴィクターは無表情を貫き、レイを立たせて退出していった。
残された国王は、忠臣であったはずの騎士団長の信頼を失ったと感じ、椅子にへたり込む。
「余のどこが悪かったのだ……ヴィクターを失えば、ブレイブバーン公の支持も失う。恐らく、民たちの支持も失うだろう。余はどうすれば……」
彼の問いに答えるものは誰もいなかった。
レイは目の前で繰り広げられた一幕を他人事のように見ていた。
(騎士団長は国王を見限ったのかな? それにしても、国王の周りには、まともな人材がいないのかな?)
そして、自分の存在が政争の原因の一つになりそうだと気付く。
(騎士団長が国王を見限った原因が僕だとすると、この国にいるのは危険かも……国のごたごたに巻き込まれるのは嫌だな。キルガーロッホ家も何かしてきそうだし……)
そして、王都に本拠を持つハミッシュたちのことを考える。
(ハミッシュさんの活躍は、義勇兵たちが広めるはず。元々、人気が高いハミッシュさんだから、詳しい話が広まるだろう。その時に、あの近衛騎士の話が広まれば……僕がいると、ハミッシュさんにも迷惑が掛かる。マーカット傭兵団は居心地が良かったけど、この国から逃げ出すしかないかな……)
疲れて麻痺した頭は、それ以上考えることを拒否していた。
(今はどうでもいいや。それよりステラのことの方が気になるな……)
国王の天幕から出た後、済まなさそうにするヴィクターに礼を言い、レイは負傷者たちがいる天幕に戻ろうとした。
途中、彼を心配したハミッシュやアシュレイらが声を掛け、一旦、義勇兵たちの天幕に連れて行かれた。
団長であるハミッシュは何も言わなかったが、彼の部下である隊長たち、特に五番隊のヴァレリア・ハーヴェイは憤りを隠すことなく、声を荒げていた。
「あのクソ騎士は何を考えているんだい! こいつが、レイが、どれだけのことをやったと思っているんだ……団長、この国を出て、フォルティス――傭兵たちの国、傭兵ギルドの本部がある――に本拠を移そうよ。この国は駄目だよ」
その言葉に若手の多くが同調する。
それに対し、ハミッシュは硬い表情を崩さず、
「今する話ではないな。今は休め」
その言葉に反発するように、ヴァレリアが尚も言い募ろうとした時、三番隊隊長のラザレス・ダウェルが帰還したという報告が入る。
「ラザレスさんが! 隊長が帰ってきました!」
三番隊の若手らしき傭兵が転がり込むように、天幕に駆け込んでくると、全員が立ち上がる。
ラザレスは疲れた体を引き摺りながら、ステラと共にハミッシュの前に跪く。
二人の激戦を物語るかのように、ラザレスの革鎧も、緑色に輝いていたステラの革鎧も、オークたちの血を浴び、どす黒く汚れていた。
「三番隊隊長、ラザレス・ダウェル、敵指揮官の襲撃及び後方撹乱の任務を終え、帰還いたしました」
ハミッシュは、「ご苦労!」と声を掛けると、跪くラザレスを立たせ、肩を抱く。
「ゆっくり休め。報告は明日聞く。今はゆっくり休め」
ラザレスは頷いたあと、アルベリックの姿を見付け、ホッとした表情になる。
「アルさんも無事でしたか。さすがですね……俺の方はレンツィを失いましたよ」
アルベリックは静かに彼の肩に手を置き、
「全滅してもおかしくなかったんだ。君とステラちゃんが無事だっただけでも奇跡だよ」
レイはラザレスの後ろに控えるステラに近づき、
「お疲れ様。ケガはない? あるなら治すよ」
ステラはすぐに跪いて彼に赦しを請う。
「お許しを得ずに勝手に出撃しました。それに……レンツィ様をお守りすることが出来ませんでした……」
「出撃したことは仕方が無いよ。それに自分で考えたことなんだろう? それならいいよ。レンツィさんのことは……」
そこまで話したところで、ラザレスが、
「レンツィのことは、俺の責任だ。レンツィは俺を助けるために敵に突っ込んでいったんだ。ステラはレンツィの命令で俺を守ることを選んだ。だから、こいつに責任はない。判ってやってくれ」
「……はい。でも、レンツィさんには、もう逢えないんですね。他のみんなとも……」
レンツィの死を聞き、レイの中で死が現実のものとして認識されるようになる。
(今までは必死だったから、生き残ることに必死だったから、みんなの死が現実だと感じていなかった……五番隊のノーマさんもトロイさんも死んだって聞いた。他にも……まだ、生きていたかったはずなのに、こんなところで……)
アシュレイはレイの様子が変わったことに気付く。
(このままでは潰れてしまうかもしれぬ……)
「レイ、ゆっくり休め。ステラ、ご苦労だった。団長、レイとステラを連れていきますが、よろしいですか?」
アシュレイの言葉にハミッシュは大きく頷き、
「皆、良くやってくれた。今日はゆっくり休んでくれ。酒を飲んでも構わん。護泉騎士団の護衛で酒を飲むなど、滅多に出来ん経験だ。他の兵たちにも、好きなだけ飲ませてやれ」
ハミッシュは陽気な声に聞こえるよう、少しおどけるような口調でそういった。周りの傭兵たちは、戦場で油断することを最も嫌う団長が、野営地での飲酒を許可したことに驚いていた。
「ハミッシュの許しが出たんだ。動ける人は輜重隊にいって酒樽を奪ってきてよ!」
アルベリックがハミッシュをフォローするようにそう言うと、場の空気が一気に和んでいった。
アシュレイはその輪に加わらず、レイを静かな天幕に連れて行く。
「私は生きている。ステラも生きている。それに、レイ、お前も生きているのだ。今は何も考えるな。ゆっくりと眠れ……」
彼女は彼を後ろから抱えるように抱きしめ、耳元で何度もそう囁いていた。
彼はその言葉だけを聞き、静かに目を瞑る。
すぐに睡魔が現れ、彼を眠りに誘っていった。
ステラはアシュレイとレイの横に座り、二人を見つめていた。
(この方たちの間には入れない。でも、離れることができない。ラザレス様が言っていたことは本当なのかしら。私はこの人たちに必要な者になれるの? でも……)
ステラも昨夜からの戦闘の疲労で、彼女にしては珍しく、すぐに意識を手放していった。




