第六十七話「ミリース谷の戦い:その七」
お待たせしました。
今日から平常運転に戻ります。
奇襲部隊のステラたちが、オークたちと死闘を繰り広げていた頃、レイたちのいる隘路の入口は、不気味なほど静まり返っていた。
聞こえてくるのは、死に掛けたオークの呻き声と、遠くで吠えるオークの鳴き声、そして、時折聞こえる何かが転がる硬い音だけで、二日間の戦闘が嘘のように思えてくる。
ハミッシュは仮眠を取りながら、時折、戦場の様子を確かめていた。
(既に三時間も仕掛ける様子が無い。アルの矢が敵の指揮官を殺したのかも知れんな。今のうちに休んでおけば、まだ、勝機はある……)
レイは三時間という短い時間ではあったが、熟睡することができ、魔力をかなり回復させていた。
目覚めた彼は、花火の魔法で威嚇すべきか悩むが、戦場は静まり返り、ハミッシュからも不要との指示を受けたため、けが人の治療に魔力を使っていった。
既に先遣隊の半数近い八十人が負傷していた。
当然、レイ一人では治療しきれない。そのため、彼は生死に関わる重傷者から治療しようと考えていた。
そして、マーカット傭兵団の重傷者の一人に治癒魔法を掛けようと近づく。その傭兵は右足に添え木がされ、更に肋骨を折られたのか、時折苦しげに咳込み、血を吐き出していた。
「今から治癒魔法を掛けます。楽にしてください」
レイがそう言うと、その傭兵は苦しげに首を横に振り、治療を断る。
「俺を治すより、戦場に戻れる奴を治してやってくれ……ゲボ……まだ、二日は戦わないと……ゴボ……いけないんだろ?……それなら、少しでも戦力が回復するよう魔力を使ってくれ……ゴボッ」
彼はその途切れ途切れに語られる言葉に絶句し、動くことが出来ない。
「なあに、まだ死なねぇよ……増援が来たら、その時は一番に治療してくれ。だから、他の奴を……」
薄眼を開けてそれだけ言うと、力尽きたかのように気を失ってしまった。
(確かにそうだけど、これだけ苦しんでいるのに……少しだけ治療して、他の人のところに回ろう。こんな人たちが国を守っているって、王様たちは知らないんだろうな……)
レイは言われたとおり、すぐに復帰できそうな、腕や脚を骨折している兵を優先的に治療していく。
心の中では苦しんでいる仲間を早く助けたいと思っているが、ここを突破されれば、けが人を逃がす時間もないと、心を鬼にして戦力回復を優先した。
そして、再び魔力が尽き、後方に下がって倒れこむ。
アシュレイはその様子を一部始終を見ていた。
(レイには辛いのだろうな。平和な国から、そう、病気や不慮の事故でしか死ぬことがない平和な国から来た者にとっては、ここは地獄なのだろう。今は良く耐えているが、終わった後も元のままでいられるのだろうか?)
そして、彼の横に座り、優しく髪を撫でていく。
(私は優しいお前が好きだ。だが、この戦いでお前は変わるかもしれない……それでも、お前に生きていて欲しい。頼む、生きる努力をしてくれ……)
魔族軍の将、ユルキ・バインドラーは、肩に負ったケガを押して、指揮を執り続けていた。
「刺客は生きて帰すな! 前線は敵の動向を見るだけでいい。他は俺たちの周りを固めろ!」
彼は自分の消極的な策に歯噛みし、何か有効な策はないか、痛みで飛びそうになる意識の中、必死に考えていた。
(朝になれば、昨日と同じ戦いでも勝てるだろう。いや、奴らに休息時間を与えてしまった分、戦力を回復させているかもしれん。闇雲に突っ込んでもこちらの戦力を削られる……こちらが手をこまねいていれば、逃げていった騎士たちが戻ってくるかもしれん)
そして、翼魔族、大鬼族に助けを求めるか、迷っていた。
(既に二日もここで停滞している。そろそろ、アスラ殿――アスラ・ヴォルティ、翼魔族の呪術師――も、バルタザル殿――バルタザル・オウォモエラ、大鬼族の操り手――も、こちらの様子を見に来るはずだ。頭を下げざるを得ぬのか……我らに飛び道具があれば……)
彼はふと足元に視線を落とした。その視線の先には、この辺りの地面を覆っている角ばった石があった。
(石か……不器用なオークどもでは、使うことは難しいか……うん? 敵の矢は尽きたはずだ。棍棒で殴れるほどの距離に近づければ、オークどもの投げる石でもダメージは与えられる。周りを囲んで投げ続ければ……敵の盾もかなり損傷しているはず。これに賭けてみるか……)
彼は部下のテイマーたちを呼び、手ごろな石を集めるよう指示を出す。
(幸い石は腐るほどある。ある程度夜のうちに集めておけば、昼頃まで投げ続けることができるだろう。敵がダメージを負ったところで、突撃する。これで勝てなければ、今日の夕方にも二人に援助を求めよう……)
彼は必要な指示を出した後、簡易の寝台に横になった。
十月八日、午前六時。
討伐軍先遣隊は、二回目の朝を迎えた。
周囲は朝霧に包まれ、視界が遮られ、静寂が草原を支配している。
昨夜はアルベリックらの襲撃以降、敵の攻撃はなく、先遣隊は久しぶりに十分な休息を取ることが出来た。
治癒師たちの魔力の回復もあり、最大八十人いた負傷者も三十人程度にまで減っている。
先遣隊の損害は、未だ戻らぬアルベリックらを除き、四十二人の死者、三十三人の重傷者であり、この場所にたどり着いた十月六日時点に比べ、戦力は三分の二にまで低下していた。
更に矢もほとんど底をつき、弓術士たちも剣を握っている。
主力の槍もあと三十本を残すのみで、次の攻撃が終わった頃には、戦列すべてに行き渡らないところまで減っていた。
義勇軍指揮官のハミッシュ・マーカットは、三日目の朝を迎えられたことが、信じられなかった。
(昨夜の奇襲が効を奏したのだろうが、まさか、二度目の朝を迎えられるとは思わなかった。だが、味方は明日の昼過ぎ以降にしか来ない。まだ、一日以上戦い続けなくてはならんのだ……)
アシュレイが彼に声を掛ける。ハミッシュが後ろを振り向くと、干し肉で作ったスープに固パンが入った簡単な食事を持っていた。
「父上の分です。皆は既に食べております。敵の監視は私がしますので、ゆっくりと召し上がってください」
彼女は微笑みながら、そういうと戦場が見渡せる場所に移動する。
(アッシュも大人になったな。悔しいがレイのおかげだろう。アビー、アッシュはもう独り立ちさせてもいいよな……)
ハミッシュは亡き妻の顔を思い浮かべながら、食事をかき込んでいった。
午前七時。
オークたちが、霧の中をゆっくりと進軍していく。
討伐軍先遣隊側も、昨日同様、剣と槍を構え、迎え撃つ準備を始める。
先遣隊義勇軍指揮官のハミッシュ・マーカットは、近づくオークの姿に違和感を覚えていた。
(一昨日とも昨日とも違う。どこが違うのだ?)
そして、オークたちの姿がはっきりしてくると、彼らが棍棒を持たず、大きな石を抱えるように持っていることに気付く。
(何をする気だ? 投石……拙いぞ。我らには既に矢は無い。向こうは無限に補給できる石を武器にするつもりだ……盾で防ぐしかない……)
「敵は石を投げてくるぞ! 負傷者を後方に下げろ! 盾を持っている者は全員、前衛に回れ!」
ハミッシュは大声で指示を出していくが、傭兵たちは想定外の敵の動きに混乱していった。
各所で隊長たちの指示が飛び交うが、狭い隘路で生じた混乱は容易には収まらなかった。
レイはこの状況に対処する方法がないか考えるが、いいアイディアが思い付かない。
(どうすればいい? 敵の持っている石は、大きなもので人の頭くらいある。盾で受けようにも何百もの石が飛んで来れば、すぐに壊れてしまう。斬り込みを掛けるにしても、石飛礫の雨の中を突破しなくちゃいけない……もう下がるしかないのか?)
数百匹のオークたちが三方から囲むように先遣隊に近づいていく。
前衛との距離が十mくらいになったところで、すべてのオークの足が止まった。
オークたちは一瞬、静まった後、操り手の指示を受けたのか、咆哮を上げながら、不器用な構えで石を投げ始めた。
先遣隊に向かって大小様々な石が向かっていく。
速度はまちまちで、手前に行ったり、明後日の方向に飛んで行ったりで、半数以上が先遣隊には届かなかったが、それでも二百近い数の石が兵士たちに降り注いでいた。
密集隊形で迎え撃つ兵士たちは、構えた盾で石を受け止めるため、戦場には木の板に石を打ち付けるガンガンという音が響いていた。
兵士たちは、ほとんどの石を盾で受け止めていくが、それでもいくつかは盾をすり抜け、味方に当たっていく。
マーカット傭兵団五番隊のハル・ランクルは、ボロボロになった盾で石を防いでいた。
(オークの棍棒ほどじゃないけど、結構きついよ。それに前だけじゃなく、横からも飛んでくるし……頭に当らなけりゃ、ケガはしないだろうけど、盾がいつまでもつかな?……うっ、拙い。盾が割れる音がしている……盾が割れたら……)
その直後、彼の盾の一部が割れ、金属製の留め金が外れて、使い物にならなくなる。
それでもハルは、盾の残骸を頭に振りかざし、飛んでくる石を防いでいた。
ハミッシュはその光景に、隘路の中に撤退すべきか、迷っていた。
(隘路の中に逃げ込めば、大きな岩を盾にできる。近づいてくれば、斬り殺せるが、ここまで来て、この場を明け渡すは癪だ。何かいい知恵はないものか……)
投石の第一波が終わると、先遣隊の損害が明らかになっていく。
戦死者こそ出さなかったが、盾を十枚以上破壊され、更に打撲、骨折を負う者が続出していた。
ハミッシュは負傷者たちを撤退させた上で、尚もここを死守することに決めた。
「ヴァレリア! 負傷者の搬送を指揮しろ! ガレス! ゼンガ! エリアス! ここを死守するぞ!」
彼の叫びに隊長たちが「「オウ!」」と応える。
五番隊隊長のヴァレリア・ハーヴェイは、自らの部下の他に、若い騎士や傭兵を集め、負傷者たちを後方に運ぶ指揮を執っていた。
「とりあえず、百m以上下がるんだ! 焦る必要はないが急げ! 二人一組で負傷者を運べ!」
彼女の命令と五番隊の面々の指示により、三十人を超える重傷者たちは順調に後方に搬送されていく。
(どこまで下げればいいのかしら? いっその事、ミリース村まで運んだ方が……でも、それじゃ、ここが半分以下になってしまう……)
彼女の苦悩を感じ取ったのか、ハミッシュからの命令が届いた。
「負傷者は石の届かないところに退避させろ! レイ! 何かいい知恵は無いか!」
レイはその言葉が掛かる前から、必死に考えを巡らせていた。
(石を投げてきたけど、混乱さえしなければ、大きなダメージは受けない。盾が壊されるのが、問題なだけだ……)
彼は敵の投石の威力が思ったより小さいと考えていた。
(盾で受けると衝撃で壊れる……衝撃を吸収すればいいんじゃないか? マントとか毛布とかで盾の表面を覆えば……)
「盾の表面をマントとか毛布で覆って下さい! 盾の表面にクッションを作るんです!」
義勇兵たちはレイの意図が判らず、混乱していた。だが、指揮官のハミッシュは、すぐにその意図に気付き、部下たちに実行するよう命じていた。
「レイの言うとおりにしろ! 多少壊れた盾も同じように補強するんだ! それでも十分に使えるぞ!」
オークの第二陣が迫ってきた。
ヴァレリアたちの奮闘により、負傷者たちは後方に下げられ、更に盾の補強も完全ではないが、とりあえず完了していた。
「よし、負傷者は下がったな。石が飛んできたら、落ち着いて盾で受け止めろ! 後ろに逃すんじゃないぞ!」
ハミッシュの声が合図になったかのように、敵から投石の雨が降り注ぐ。補強された盾を持った剣術士たちは、前回より遥かに衝撃が少ないことに安心し、落ち着きを取り戻していた。
投石の第二波が止むと、ハミッシュは鬱憤を晴らすかのように下がるオークたちに攻撃を掛ける。
「敵は武器を持っていないぞ! 前に出れる者は全員、攻撃に加われ! よし、叩きのめしてやれ!」
その声に一番隊隊長のガレスと二番隊隊長のゼンガが呼応し、下がるオークに追撃を掛けていく。
レイとアシュレイの二人もオークの死体で作った土塁を乗り越え、オークたちに追い縋っていった。
逆襲されるとは思っていなかった中鬼族のテイマーたちは、自らが遠く離れていることもあり、的確な指示が出せない。
前線のオークたちの中には、一方的に殺されるものかと、素手で対抗する者もいたが、ハミッシュ自らが率いる義勇兵たちは強く、多くの損害を出しながら後退していった。
その様子を遠くから見つめる中鬼族の将、ユルキ・バインドラーは、想定通りとはいえ、あまりに素早い対応に敗北を考え始めていた。
(やはり敵の対応は早いか。だが、このままでは押し返される。恥を忍んでアスラ殿、バルタザル殿に援軍を頼むしかないか……)
十月八日午前八時。
魔族側の将、ユルキ・バインドラーは二十km先のチュロック砦で戦う翼魔族、大鬼族に支援を要請した。




