第六十八話「ミリース谷の戦い:その八」
護泉騎士団団長ヴィクター・ロックレッターは、配下の七個大隊を従え、夜明け前にボグビー村を出発した。
「付いて来れぬ者はミリース村を目指せ! 今は一刻を争う、付いて来れる者だけでよい! 我に続け!」
彼は一刻も早く戦場に向かうため、落後者はそのまま放置することに決めた。
また、馬もミリース村から先では使えないと判断し、酷使するつもりでいた。
(ミリース村まで四十km。夜が明けるまでに数kmしか進めないが、それでも三十分以上は稼げるはずだ。馬を限界まで酷使したとしても、村まで六時間以上、戦場までは徒歩になるだろうから、更に二時間以上……夕方までに何とか辿り着けるといったところか……間に合うのか?)
彼は暗闇の中、灯りの魔道具の光を頼りに、馬を引きながら早足で街道を東に向かった。
正午過ぎ、護泉騎士団の半数がミリース村に到着した。
馬たちの息は荒く、目を大きく見開き、今にも倒れそうな馬もいた。
「隘路に入るぞ! 疲れて動けぬ者は休んでからでいい! 戦える自信のある者だけ、俺についてこい!」
ヴィクターがそう叫ぶと、第一大隊の精鋭たちは拳を天に突き上げ、「「オウ!」」と叫ぶ。
(第一大隊だけでも十分だな。後続はシーヴァーに任せ、俺は前に進むとするか)
彼は副団長のシーヴァー・グラッドストーンに後続をまとめさせ、自ら先頭に立ち騎士たちを率いていく。
「この先は狭く滑りやすい。馬から降りて徒歩で向かう。一刻を争う。戦いに不要な荷物はここに置いていけ! 第三大隊の不始末は我らで取り返すぞ! 行くぞ!」
ヴィクターの大音声に再び応えた第一大隊の面々は、騎士団長に続いて隘路を走り始めていた。
十月八日、午前十時。
隘路の出口で戦うオークたちは、既に投石を十回以上行い、敵に少なからぬダメージを与えていた。
投石は敵にダメージを蓄積していっているが、石を投げ終わった直後の無防備なところに、敵兵が縦横無尽に突撃してくるため、多くの死者を出していた。
四度目の攻撃から、棍棒を持ったオークを護衛に付けたが、前線では投石を行ったオークと棍棒を持ったオークの交替がうまくいかず、混乱を助長していくだけだった。
オークが投石を行うたびに、盾の下で耐え忍んだ後、義勇兵たちは鬱憤を晴らすかのように突撃を掛けていく。
特に団長のハミッシュ・マーカット、一番隊隊長のガレス・エイリング、二番隊隊長のゼンガ・オルミガの三人はその卓越した技量を生かし、多くの敵を葬っていった。
ハミッシュとガレスは、自慢の剛剣で次々とオークの首を刎ね飛ばしていく。その横では、ゼンガが剛力を生かして斧槍を振るい、敵の頭を叩き潰していく。
彼らは時折軽口を飛ばし、笑い声さえ上げていた。
その姿に義勇兵たちは不利な戦況を忘れ、勝利に近づいていると感じ始めていた。彼らの姿が先遣隊の士気を徐々にだが、上げていった。
レイは彼らとともに戦いながら、その卓越した技量と、疲れを知らぬスタミナに呆れていた。
(しかし、この三人って、本当に“人”なのか?……三人で五十匹以上は、殺しているよ。剣だって血糊で切れ味が落ちているはずなのに、全く関係なく斬り飛ばしているし……素振りだけでも、これだけ続ければ息が上がるのに、冗談を言いながら戦えるなんて……)
そう思っているレイも、隣にいるアシュレイとフォローしあい、既に二十匹以上倒していた。
ろくに休息も取れず、レイは疲労で時間感覚がマヒしていた。
(敵の動きが単調過ぎて、時間感覚がマヒする。太陽を見る限り十時頃のはず。敵は何を考えているんだろう……)
既に投石の効果がないことは誰の目にも明らかであり、それを続ける魔族側の考えが読めなかった。
(敵の指揮官が負傷して、指揮命令系が混乱しているのかな? 単調な攻撃でもダメージは少しずつ溜まっているから、有効といえば有効なんだけど……)
先遣隊の指揮官、ハミッシュ・マーカットは傍から見るより、余裕はなかった。彼は冗談を言いながら戦っているように見せ、味方の士気を上げることに腐心していた。
(朝からの攻撃で我らの被害は三十人以上。戦力と言える兵は百人を割り込んだはずだ。撤退の時期を誤ると、全滅する……)
夜明けの段階で、死者四十二人、重傷者三十三人だったが、既に死者が八人、重傷者が二十三人増え、死者五十人、重傷者五十六人と損害は百を超えていた。
重傷者の中には自力で歩けないものが多く、撤退時に補助が必要になるため、今いる戦力を更に減らすことになる。
(昼頃が山だな。敵もその辺りで動きを見せるはず……)
彼の予想は裏切られることになる。それもいい方向で。
魔族側の将、ユルキ・バインドラーは、午前八時に翼魔族、大鬼族に支援を要請した後、肩に受けた傷のため、徐々に意識が混濁していく。
(痛み止めが効かぬ。敵のように治癒士がおれば……翼魔族の手を借りなかった俺への天罰かもしれんな……まあいい、あと数時間のうちに味方が来る……)
彼は何度も意識を手放し、その間の指揮を部下のテイマーに任せるしかなかった。
だが、援軍を要請しにテイマーが一人戦場を去ったため、三人のテイマーで敵に対抗することになる。
このため、テイマーたちの疲労が溜まっていき、単調な戦闘を繰り返すことになった。
十月八日、正午。
翼魔族の呪術師、アスラ・ヴォルティは、中鬼族のテイマーからの連絡を受ける。
「……要するに、僅か二百の敵に十倍の戦力が押されているってことね……判ったわ。バルタザルと協議するわ」
彼女は呆れながら、チュロック砦に攻めかかる大鬼族のテイマーのバルタザル・オウォモエラを探す。
(十倍の戦力で押し切れないなんて。いくら凄腕の魔術師がいても、たった一人よ。まあ、考えようによっては、良かったかも。この戦いで中鬼族の発言力は小さくできたし。しかし、ユルキも我を張らなければ、もう少しやりようはあったのに……)
バルタザルはチュロック村の中で指揮を執っていた。
その彼のもとに、アスラと中鬼族のテイマーが訪れる。
彼は中鬼族の表情を見て、追撃戦がうまくいっていないと直感した。
「三日も経ったのに、僅か二百の敵を殲滅できずにいるそうよ。それだけじゃなく、ユルキが負傷したって」
バルタザルが中鬼族を見ながら、「戦況はどうなのだ?」と確認する。
テイマーは、片膝を着き、頭を垂れて報告していく。
「はい、徐々に敵の戦力を減らしているのですが、われらのオークも既に半数を失い、膠着状態に陥っております」
バルタザルの顔が一瞬歪み、アスラを見下ろしていた。
「翼魔はどうするつもりだ? ユルキを失うわけにはいかぬぞ」
「そうね。私たちだけの方が早いし、様子を見てくるわ。最悪、撤退も視野に入れないといけないわね……」
「そうだな。こちらにいる中鬼族の兵力は五百、我らが五十。力押しで砦を落としてもよいが、そろそろ敵の援軍が来るだろう。そうなれば、引くしかあるまい」
アスラもその言葉に頷き、彼女は翼魔と小魔を引き連れ、西に向かって飛んでいった。
残されたバルタザルは、この軍を編成したときのことを思い出していた。
(だから言ったのだ。将を決めねば混乱すると。ユルキのような若い者を戦場に送るなら、老練な者が全体を取り仕切らねば、戦い自体が崩壊する。今日は十月八日。あと三ヶ月弱か。あと半月はここで粘りたかったが、止むを得まい……)
彼は撤退のことを考えながら、指揮下の中鬼族のテイマーに戦場を任せると、オーガを引き連れ、西に向かっていった。
翼魔族の呪術師、アスラ・ヴォルティは、配下の翼魔三体と小魔二十匹を引き連れ、西に飛んでいく。チュロック砦には、配下の呪術師見習い、キリシ・ヴェンツェルと小魔五十を残してきたが、若いキリシに指揮を任すことに不安を感じていた。
(翼魔族も、もう一人くらい呪術師を派遣してくれれば楽だったのに……まあ、陽動作戦に、これ以上の戦力を割けないのは判るんだけどね。キリシに、戦場を任すのは不安なんだけど……)
そして、この事態を招いた中鬼族の将、ユルキ・バインドラーと、彼を推挙した中鬼族の長老たちに対して、怒りを覚え始めていた。
(一人で勝手に空回りして作戦を台無しにする……私たちの目的は敵の撃破じゃなくて、陽動なのよ。それを理解できないような者を将に推した中鬼族の長老たちは、何を考えているのかしら? これで”神子”の奪還が失敗したら、どう責任を取るつもりなのよ! ああ、このままだと、私とバルタザルが叱責されるのよね。ユルキには、生き残ってもらって、きっちりと責任を取ってもらわないといけないわ……)
一時間ほど飛ぶと、戦場に近づいていく。
彼女の眼下には、うろうろと歩くオークたちの姿が目に入っていた。
(何をしているのかしら? ああ、襲撃者の捜索ね……何人で奇襲を掛けたのか知らないけど、そんなに大人数じゃないはず。それなら、放っておけばいいのに。無駄に戦力を分散させて、どうするつもりなのかしら?)
アスラたち翼魔が飛んでいく姿を下から眺める者がいた。
夜を徹して森の中を逃げ回っていた三番隊隊長のラザレス・ダウェルとステラだった。
夜明けとともにラザレスの移動速度が上がり、オークたちを大きく引き離していた。
そして、小さな川を見つけ、そこで血を洗い流し、三時間ほど休憩を取ったところで、見張りをしていたステラが、上空を飛ぶ数十匹の翼魔の姿を発見した。
「岩陰に隠れてください! 翼魔たちです!」
ステラはラザレスに警告を発し、自らも岩陰に隠れる。
(あの距離なら、翼魔には見えていないはず。でも、これで戦況は更に悪くなるわ……あの方は、レイ様は、無事なのかしら……)
「ステラ、数は判るか?」
ラザレスの低く抑えた声が岩場に響く。
「大型の翼魔が四、小型の翼魔が二十くらいだと思います」
「そうか……この場所から隘路の入口までは五kmほどか。連絡は間に合わんな」
ラザレスは岩に体を預け、そう呟くと、再びステラに声を掛ける。
「街道からどのくらい離れているか判るか?」
ステラは質問の意図が判らず、一瞬戸惑うが、すぐに自分の予想を口にした。
「正確には……南に二kmくらいだと思いますが?」
彼は街道を進むであろう敵の援軍の足を止めるため、自分たちに出来ることをやろうと考えていた。
「街道に向かうぞ。翼魔たちが援軍に向かったということは、オーガたちも援軍に向かうかもしれん。少しでも敵の足を遅らせるために、出来ることをやる」
ステラは小さく頷き、出発の準備を始めた。
十月八日、午後一時。
アスラは戦場を見て、言葉を失っていた。
(半数を失ったと聞いたけど……死体を使って土塁を築くなんて……敵はまだまだ戦えそうじゃない。十倍もの戦力で、押されているのは味方のほうなの?)
彼女はオークの死体を積み上げた土塁と、その周囲に溢れるぐちゃぐちゃになったオークたちの死体に、恐怖を覚えていた。
(僅かな兵で、これほどの殺戮を行えるって、あいつは何者なの……どうして、逃げもせずに、二日以上も戦い続けられるの? 使えるものは何でも使う冷徹さ、あの”白い魔術師”は、光の神が遣わした者かもしれないわ……これだけの戦力差でも勝てない。あの男が今以上の戦力を持ったら……私たちの”計画”は灰燼に帰すわ……)
アスラはただ直感のみで、レイがこの戦場を支えているのだと悟る。
(私はこんなところで死にたくない。あの男なら私を生け捕りにすることも出来る……)
彼女は体が震えるのを抑えることが出来なかった。
(ユルキを治療したら、すぐに下がらないと。せめてバルタザルがいるところまでは……)
彼女はユルキのいる本陣に舞い降りていった。
討伐軍先遣隊では、翼魔が現れたことに衝撃を受けていた。
「遂に敵の増援が来やがった! お終いだ!」
義勇兵の一人が吐いたその言葉にハミッシュ・マーカットが一喝する。
「ガタガタいうんじゃねぇ! 敵の増援が来ることは判っていたことだろうが! むしろ遅いくらいだ! そうだろ、レイ!」
突然、話を振られたレイは、一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに余裕のある笑みを浮かべて、話し始める。
「そうですね。翼魔が来たっていうことは、敵もかなり苦しんでいるっていうことですよ」
「だがよ、奴らは魔法が使えるんだ。こっちにはもう矢がねぇ。どうすりゃ……」
誰が呟くようにそう言うと、レイは更に自身有り気に微笑む。
「大丈夫ですよ。翼魔は僕が撃ち落しますから。治癒魔法が使えなくなるのが、ちょっと痛いですけど、翼魔の魔法より、僕の魔法の方が射程は長いし、威力も上ですから。ねぇ、団長?」
話を振り返されたハミッシュはにやりと笑う。
「そうだ! こいつの魔法は、俺に、この俺に負けを認めさせたほどのもんだ。だから安心しろ!」
ハミッシュがそう言うと、マーカット傭兵団の生き残りがそれに同調する。
「俺たちはこの目で見たんだ。あの”赤腕ハミッシュ”が負けを認めたところをな。あのギルド長が慌てて飛んできて、緘口令を敷くくらいだったんだぜ」
先遣隊の若い傭兵たちと騎士団の生き残りは、その言葉に声を失う。彼らにとって、生ける伝説とも言えるハミッシュが、負けを認めるなどありえないことだと思っていたからだ。
レイはその表情とは裏腹に、内心忸怩たる思いがあった。
(みんなを励ますためとはいえ、大言壮語を吐くなんて……今の魔力だと光の矢が十発くらい、光の槍だと二、三発しか撃てないのに……ハミッシュさんも同じことを思っているんだろうな。敵が本気でこっちを潰しに来たけど、翼魔が来た以上、逃げるに逃げれない。だから、少しでも士気を上げるために陽気に振舞っているんだろう……)
アシュレイは、無理に笑うレイの思いを正確に理解していた。
(無理をしている。将としての父上を支えるために、普段は絶対に言わぬ大言壮語を吐いている。今日も朝から治癒魔法を掛け続けている。魔力の残りがどのくらいかは判らぬが、恐らく立っていることすら辛いはずだ……)
アシュレイは動き出したオークの群れを指差す。
「次の攻撃が来るぞ! レイ、お前は下がっていろ!」
彼は、「僕も戦うよ。もう下がる余裕は無いよ」と言って笑う。
アシュレイも「ならば、私から離れるなよ」と笑い返していた。
その光景を見ていたハミッシュは、一人娘が離れていく寂しさを感じたが、すぐに戦士の貌になる。
「四班と五班は盾を構えろ!」
彼の命令に、傭兵たちは原形を留めないほどボロボロになった盾を翳しながら、敵を見据えていた。
アスラ・ヴォルティは、中鬼族の将、ユルキ・バインドラーの下に降り立った。
ユルキは簡易寝台に横たわっていたが、アスラの姿を認めると、体を起そうとした。
「無理はしないで。すぐに治癒を掛けるから」
彼はその言葉に素直に従い、再び横になる。
「アスラ殿、済まん……」
謝罪しようとするユルキに対し、アスラは目で「黙って」と制する。
彼女が彼の肩に巻かれた包帯を外すと、赤黒く爛れた傷口が現れる。彼女は傷口に当てるように右手を軽く翳し、小さく呟くような呪文を唱え始めた。
その右手から黒い霧のような物が、傷口をゆっくりと覆っていく。
三十秒ほどで彼の肩から黒い霧が消えると、醜く爛れた傷が消え、ピンク色の皮膚が盛り上がっていた。
「これで大丈夫だと思うわ。ところで、この後はどうするつもりかしら?」
ユルキは軽く頭を下げ、感謝の意を表すると、苦々しい表情で話し始める。
「アスラ殿、バルタザル殿の手を借りたい」
「手を借りたいですって?」
「ああ、敵の戦力は既にギリギリの状態。あと一押しで殲滅できる。翼魔たちの魔法を撃ち込めば……」
アスラは彼の言葉を遮り、
「私は様子を見に来ただけよ。それにあと一押しで本当に倒せるのかしら? あなたの状況判断を鵜呑みにして、私の戦力を磨り潰すつもりは無いわよ」
ユルキは悔しそうに顔を歪め、話を続けようとするが、
「敵には、あの魔術師がいるのよ。あのバルタザルが警戒する魔術師が。そもそも、あなたはこの作戦の趣旨を理解していないようね。私たちは敵を殲滅することが目的じゃないのよ。まあいいわ。バルタザルも、あと二時間くらいでここに来るはずだし、彼の意見を聞くまでは私は手を出さないから」
彼女はそれだけ言うと、ユルキの前から立ち去っていった。
残されたユルキは拳を握り締めるが、すぐに冷静さを取り戻す。
(これも俺が招いたことだ。あと二時間か、敵を休ませぬよう攻撃を続けるしかあるまい)
配下の操り手に棍棒での接近戦に切り替え、敵を休ませぬよう波状攻撃を掛けるよう命令を出した。
(バルタザル殿が来れば、アスラ殿も考えを変えてくれるだろう。それまでの辛抱だ……)
彼はまだ楽観していた。否、彼を含め、この戦場に立つ者たちは、この後、状況が大きく変わるとは思っていなかった。




