第六十六話「ミリース谷の戦い:その六」
十月七日、午後九時。
ステラたちはオークたちの司令部――テイマーたちのいる場所――まで、七十mくらいの距離に近づいていた。
その場所は、緩やかな傾斜の丘の上で、先遣隊が戦っている隘路の入り口のちょうど反対側に当たる。
「ここから狙撃するよ。ここからなら当てられるから」
その言葉にステラが反論する。
「ここから、私一人で接近します。もし見付かったら、狙撃で倒して下さい。その方が確実で……」
「ステラちゃん、これは命令だから。この部隊の指揮官は僕。それに、いくら君でもあのオークたちの間を、気付かれずに抜けていくことは無理だよ。判っているんだろ?」
ステラは自らが犠牲となって混乱を引き起こし、その間にアルベリックの矢で指揮官を殺させようと考えていた。
(私が見付かれば、指揮官が指示を出すはず。それではっきりする……アルベリック様の腕なら、この距離でも十分射殺せる……なぜ、許して下さらないんだろう?)
「僕は君のことが気に入っているんだ。それにレイ君のこともね。だから、こんなところで死なれるのは嫌なんだ。僕の腕を信じて。それに今頃、レイ君が何か考えているはずだよ。ステラちゃんもレイ君のことを信じてあげたら?」
ステラはその言葉に虚を突かれたのか、目を見開く。そして、笑顔で頷き、静かに戦闘準備を始めた。
(この方の言うとおりだわ。私もレイ様のことを信じなければ。もう一度、逢いたい。そのためにも生きて帰らないと……)
アルベリックはゆっくりと立ち上がり、静かに息を吐きながら、長弓を構える。
彼の目には、敵の指揮官らしき魔族――中鬼族――の姿が見えており、息を止めて慎重に照準を合わせていく。
(チャンスは一度だけかな。一撃で決めないと伏せられるから、二射目はない。射殺せれば最高、ダメージを与えるだけでもいい。そのあとは、後ろの森に逃げ込んで敵を分断する……)
月に雲が掛かり始め、闇は一層濃くなっていく。
アルベリックは気負いもなく、いつもと同じように強弓を引き絞り、敵の指揮官目掛けて矢を放つ。
矢羽根が発するシュという音が、静かな草原に響いていく。
横にしゃがんでいるレンツィには、突風が吹き抜けたほどの大きな風切り音に聞こえていた。
一瞬の静寂のあと、敵の集団の中から苦痛に呻く声と、その直後にオークたちの怒号が湧き上がる。
アルベリックは、すぐに四人に指示を出していく。
「逃げるよ! 後ろの森に入ったら、敵に囲まれないように一匹ずつ仕留めていく」
四人は声を立てずに頷き、後ろを確認しながら、五百mほど先の森を目指して走っていった。
巡回していたオークの一団が、彼らに気付き、回り込もうと走り出す。
オークたちは警告なのか、ガォァ!という咆哮を何度も上げ、棍棒を振り回している。
森まで二百mの地点で、オークたちは彼らの前に回りこむことに成功し、棍棒を持ち上げ、向かってくるアルベリックらを待ち構えていた。
「ラザレス! ベルタ! 僕の左右に! レンツィはフェイントを掛けて通り抜けて! ステラちゃんは投擲剣! 行くよ!」
ラザレスはアルベリックの右側に入り、二本の剣を引き抜いて、先行する。
彼の前にいた三匹のオークは、彼を打ちのめそうと同時に棍棒を振るうが、ラザレスの右手の長剣が一閃すると、二匹の首の血管が断ち切られ、更にもう一匹のオークの顔にレイピアを突き込む。レイピアはオークの左目を正確に貫き、オークは悲鳴に似た咆哮を上げて蹲る。
三匹のオークを一瞬にして無力化したラザレスは、オークたちの後ろに回りこみ、次々と斬り裂いていった。
アルベリック、ベルタの二人も目の前のオークを葬り、レンツィとステラのコンビも二匹のオークを無力化する。
時間にして十秒ほどで、十匹のオークを倒した彼らは、そのまま森の中に逃げ込んでいった。
森に入ると、木の陰に隠れ、一息つく。
アルベリックはいつもの軽い口調で、ラザレスに文句を言っていた。
「ラザレスにいいところを持って行かれちゃったよ。あと三匹は僕が倒すつもりだったのに」
ラザレスはやれやれという顔になるが、気になっていた狙撃の結果を尋ねていた。
「アルさんの方こそどうなんです? 敵の指揮官は殺せたんですか?」
アルベリックは、どうなんだろうという顔をしている。
「当たったとは思うんだけど、致命傷かは判らないよ。一応、倒れたところまでは確認できたけどね」
暢気に話す二人に、レンツィが警告を発した。
「オークが二十、いいえ、三十くらい、こっちに来ますよ! どうします?」
「もっと奥に行くよ。ラザレスと僕が敵を引き付けるから、三人は後ろから攻撃を掛けて。殺す必要は無いよ。もっと、こっちに来るようにオークたちを吠えさせるだけでいいから」
五人はオークたちを引き連れ、森の奥に進んでいった。
ユルキ・バインドラーは、敵の陣から遠く離れた安全な場所にいると思っていた。
二人の部下に指示を出していたとき、突然、肩を殴られるような衝撃が襲い、彼は吹き飛ばされるように転倒する。
(何だ?! うっ!)
彼は衝撃の理由が判らず、無意識のうちに「グハッ!」という悲鳴を上げていただけだった。
直後に左肩に突き抜けるような激痛が脳天を突き抜け、ようやく自分が弓で狙撃されたという事実を把握できた。
彼の左肩には、深々と矢が突き刺さり、その矢は転倒した衝撃により、真ん中で折れていた。
目眩がするほどの痛みの中、彼は敵の奇襲部隊がいることを叫んでいた。
「て、敵だ! 弓使いが潜んでいるぞ! 本隊周辺を固めろ! 敵を見つけて殲滅しろ!」
テイマーの一人が彼に近寄り、矢を引き抜く。
その痛みにユルキは気を失いそうになるが、すぐに気力を振り絞って立ち上がった。
そのとき、彼らの目の前にオレンジ色の大輪の花が開き、ドォンという轟音が彼らの耳を突く。
何事かと思っている間も無く、敵の陣から鬨の声が上がり、戦闘が一気に激しくなる。
「クソッ! 陽動か? 狙いは何だ?」
テイマーの一人が彼に応急処置を施していくが、距離があり過ぎ、前線の状況が把握できない。
ユルキはテイマーを前線部隊に走らせ、敵の状況を報告するよう命じる。
「オークどもを引きつれ、前線の状況を確認して来い。押されているようなら、協力して押し返せ。なに、最後の足掻きだ」
その命令を実行しようと、走り出したテイマーに、
「敵の狙撃兵に気を付けろ!」
彼はそう言いながら、敵の狙いについて考えていた。
(敵の狙いは何だ? 既に戦力は底を尽いているはずだ。無理をして攻勢を掛けても長くは続かん……)
そこで肩の痛みを思い出し、敵の狙いが自分の命であると気付いた。
(俺の命が狙いか! 確かにオークをどれだけ殺しても埒が明かぬと考えるだろう。そうなれば、将である俺を倒しに来るのは自明の理。先ほどの弓使いの他にも敵がいるのかもしれん……)
そして、肩の痛みを感じながら、自分が生きているのが、偶然の賜物でしかないことに気付く。
(あと数cm上なら、首を射抜かれていた……どうする。狙撃を恐れ、守りを固めていては敵に利するだけだ。だが、周りを固めねば、刺客に狙われる。オークどもでは、手練の刺客の気配を察知することはできぬ。翼魔、いや、小魔でもおれば、状況は変わったのだが……明るくなる朝までは、攻撃を控え、守りを固めるか……)
彼はテイマーに指示を出し、一旦オークたちを下がらせ、自分たちの周りに壁を作らせることにした。
ハミッシュは、敵に混乱が生じたことを瞬時に把握した。
「敵が混乱した! 攻勢を掛けるぞ! レイ! 魔法がいけるならやってくれ!」
レイは「了解!」と叫び、花火の魔法の呪文を唱え始める。
「すべてを焼き尽くす炎の神、火の神よ。大輪の炎の華を我に与えたまえ……大輪の牡丹!」
呪文と共にオレンジ色の火の玉がヒュルヒュルと飛んでいく。
彼はいつもより、遠くに飛ばすことを考え、百m先に照準を合わせていた。
前線で戦うオークたちは、頭上を飛んでいくオレンジ色の火の玉に一瞬目を奪われるが、自分たちに害はないと、すぐに戦いに意識を戻していく。
その直後、戦場が一瞬オレンジ色に輝き、すぐにドォンという轟音が響き渡る。
レイは爆発高度をかなり低くしていたため、義勇兵たちの目には、牡丹の花というより、オレンジ色のドームのように見えていた。
暗闇で初めて使った花火の魔法に、レイは僅かに場違いな感想を抱いていた。
(結構綺麗だな。これを普及させたら、魔法の花火大会ができるな……駄目だ、今はそんなことを考えている暇はないんだった。戦いに集中しないと……)
オークたちは、その音と後ろからくる光に一斉に後ろを振り返る。
そのタイミングを待っていたかのように、ハミッシュに率いられた義勇兵たちは、オークに向かって突撃を開始した。
「突撃! 敵は混乱している! 殺せるだけ殺せ! だが、深入りはするなよ!」
彼の命令に「「オウ!!」」という雄叫びが返される。
そして、正面に立つオークたちを駆逐すべく、兵たちは疲れ切った体に鞭打ち、進撃を開始した。
十分ほどの戦闘で、前線のオークたちを倒しきるが、すぐに増援が現れたため、ハミッシュは引き上げを命じる。
彼の命令に従い、義勇兵たちは陣に引上げていくが、警戒していた敵の追撃が来ない。
「どういうことだ? 敵はどうしたんだ?」
誰かの呟きが、全員の内心を代弁していた。
レイはその状況について、考えていた。
(アルベリックさんの狙撃が成功したのか? 敵の指揮官を殺せたのかもしれない。それとも、大怪我を負わせたのか? どちらにしても、警戒しつつ、休息を取るべきだろう)
レイがハミッシュに進言しようとしたとき、彼の大声が響き渡る。
「敵の指揮官に何かが起こったようだ。警戒しつつ、交代で休むぞ。四班は警戒、五班は待機だ。その他は横になっても構わん。だが、武器は手元においておけ!」
ハミッシュは長年の経験から、敵の指揮系統に何か起こったと悟り、すぐに指示を出すことにしたのだった。
レイはさすがに歴戦の指揮官だと感心しながら、魔力を回復させるべく、適当な岩にもたれかかった。
十月八日、午前零時。
奇襲を掛けたアルベリックら五人は、オークの執拗な追撃を受けていた。
十匹程度では倒されると考えたテイマーは、百匹のオークを五班に分け、二十匹単位で森の中を捜索し始めた。
気配を隠すことが得意な五人だが、既にオークたちの返り血を大量に浴び、血の臭いに敏感なオークたちの追跡をかわしきれない。
既に数度の戦闘を行い、五人の疲労はピークに達していた。
彼らは敵を振り切ったあと、木にもたれかかるようにして、休憩を取っていた。
「拙いね、これは。ラザレス、何かいい知恵はない?」
「いい知恵があれば言っていますよ。しかし、そろそろ限界ですね。どうします?」
「そうだね。風下に逃げていくしかないんだけど……二手に分かれようか」
全員が仕方がないと、諦め顔で頷く。
「僕とベルタ、ラザレスとレンツィとステラちゃんに分ける。陣に戻ってもいいし、このまま東に向かってもいいし、北でも南でもどっちでもいい。そっちはラザレスに任すよ。とにかく、僕たちが生きていることが大事なんだから。そのことを忘れないで」
アルベリックはそう言うと、ベルタと共に立ち上がり、南に向かって歩いていった。
残されたラザレスは、少し困った顔をしていた。
「この中じゃ、俺が一番、夜目が効かねぇ。お前らに任す。どっちに行けばいい?」
レンツィがステラを見る。
「ステラ、こういうことは、あんたが一番得意なんだ。あんたが指示を出しな」
ステラは驚いた顔をするが、すぐに頷く。
「判りました。アルベリック様が南に行きましたから、私たちはこのまま東に向かいましょう。こちらの方が風下ですから」
三人は疲れた体に鞭打ち、再び東に向かって歩き始めた。
三十分後、追撃隊に追いつかれたステラたちは、暗闇の中、二十匹のオーク相手に死闘を繰り広げていた。
「ラザレス様、右に一匹行きました! レンツィ様、後ろに気を付けて!」
夜目が効かないとは言え、若い頃から冒険者として、暗闇の中で戦闘を繰り返してきたラザレスは、ほとんど勘で剣を振るい、オークを葬っていく。
だが、月明かりすら、木々によって遮られる森の中では、仲間をフォローする余裕はない。
戦闘力が劣るレンツィは、二日間にも及ぶ戦闘の疲れで、自慢の機敏さが失われ、徐々に追い詰められていく。
(やばいよ。このままじゃ、どうする?)
焦る彼女は一匹のオークにダメージを与えたあと、強引にオークの包囲網を突破しようとした。
「危ない!」
ステラの悲鳴が森に木霊する。
レンツィはオークを斬り伏せ、その開いた穴に目掛けて飛び込んでいった。だが、その先には棍棒を振り上げているオークの姿があった。自分が斬り伏せた敵が死角を作り、彼女の目に入っていなかったのだ。
レンツィは咄嗟に体を捻り、オークの渾身の一撃を避けようとした。
振り下ろされた棍棒は、彼女の左足を掠めながら、地面に激突する。
ドンと言う音と共に、土煙が上がり、オークは一瞬レンツィの姿を見失った。
彼女は左足を痛めながらも、オークの無防備な脇腹に剣を突きいれ、転がりながらその場を離れる。
レンツィは「やっちまったよ。左足をやられた」と言いながら、剣を杖に立ち上がった。
そして、闇の中で戦うラザレスに向かって、「もう逃げられそうにないわ。あたしが囮になるから、その隙に脱出して下さい」と寂しい笑みを浮かべていた。
「早まるな! ステラ、あと何匹いる!」
ステラは素早く目で数え、「十匹以上います!」と叫ぶ。
その数にラザレスは絶望しそうになるが、ステラに助けに向かうよう命じていた。
「クソッ! レンツィのフォローをしろ! 俺が突破口を開く!」
「ラザレスさん、無茶しないで逃げてよ。ステラ、これは命令だよ。ラザレスさんと脱出しな」
「しかし……」
「この暗闇の中じゃ、あたしの方に指揮権はあるよ。見えないラザレスさんより、あたしの方が的確な指示が出せる。そうだろ?」
ステラは一瞬躊躇するが、すぐに「はい」と頷く。
「あたしがオークどもを引き付ける。何としてでも、ラザレスさんを守るんだ。判ったね」
ラザレスの「レンツィ、早まるな」という声が彼女に届くが、ステラは剣を振るいながら、「判りました!」と叫んでいた。
「ステラ、あたしはあんたのことが嫌いじゃなかったよ。あんたと一緒に仕事が出来て楽しかった。あんたの好きなレイのところに、何としてでも帰りな。判ったね」
レンツィはいつもの突き放した口調ではなく、優しいともいえる口調でそう言うと、ステラの頭をポンポンと叩き、微笑みかける。
ステラが頷くのを確認すると、オークたちに向かって「豚野郎ども! あたしが相手になってやるよ! 掛かってきな!」と叫び、敵の集団の真ん中に突っ込んでいった。
後列で待機しているオークたちは、レンツィの声に反応し、一斉に彼女に向かって動き出す。
ステラはラザレスに合流し、「今です。私のあとに付いてきてください」と言って、立ちはだかるオークを切り裂き、血路を開いていた。
彼女はレンツィの「死ね!」という声と、オークの悲鳴、咆哮を聞きながら、ラザレスを先導し、森の中を走っていく。
彼女の背中から、レンツィの断末魔が聞こえるが、振り返ることなく、森を走っていた。
だが、彼女の目にはうっすらと涙が浮かび、その表情は苦悶に歪んでいた。




