第五十七話「脱出:前篇」
オークの集団に襲われた討伐軍先遣隊のうち、義勇軍の先頭付近、隊列全体の中央付近は魔族たちの攻撃の手が緩かったようで、マーカット傭兵団四番隊、五番隊は短時間で敵を倒すことが出来た。
だが、先遣隊の先頭と最後尾は、三方から囲まれ、苦戦を強いられていた。
マーカット傭兵団三番隊の隊長ラザレス・ダウェルは、隊列の最後尾、脱出路を開けるため、最前線で戦っていた。
ラザレスは第三級傭兵(レベル七十)の剣術士で、左右アンバランスな双剣を使う、珍しいスタイルの傭兵だった。
その彼の目の前に、二匹の不幸なオークが現れる。
彼はニヤリと笑いながら、右手に持つ長剣を斜めに振り下ろして、右のオークの首を深く斬り裂き、そのままターンを決めるように回ると、左手に持つレイピアでその隣のオークの喉を突き抜く。
一瞬にして二匹のオークが絶命し、ゆっくりと後ろに倒れていった。
彼がホッと息を吐く間もなく、すぐにその穴を埋めるかのように別のオークが現れる。
彼は敵の数に辟易しながら、剣を振るい続け、隣で戦う二番隊隊長ゼンガ・オルミガに声を掛けた。
「ゼンガ! そっちは大丈夫か!」
「おらぁの方は何とかぁ大丈夫だぁ。ラザレスさぁの方こそ、大丈夫かぁ?」
ゼンガの独特の口調に思わず笑みが零れる。
ゼンガは目の前のオークを、巨大な斧槍で斬り裂きながら、
「他の連中さ、やべぇぞぉ。何かぁいい知恵はねぇかなぁ」
「ありゃ、とっくにやっている。団長がいるんだ。団長が来るまで支えるしかねぇだろう」
二人は部下たちの様子を見ながら、巧みに動き、オークたちの侵入を防いでいた。
先頭にいた護泉騎士団第三大隊の副隊長ナイジェス・リーランドは、マーカット傭兵団以上の苦戦を強いられていた。
彼は就任してから間がないため、部下たちの特性・能力を把握できておらず、適切な指示を出すことができないでいた。
本来、指示を出すべき大隊長のアーウェル・キルガーロッホは部下たちに守られ、剣を抜くことすら忘れ、立ち尽くしていた。
(駄目だ。とりあえず、ここを支えなければ、逃げるに逃げられん)
彼は近くにいるベテランの騎士たちに声を掛け、徐々に防壁を構築していくが、全体に未熟な若い騎士が多く、すぐに穴が開けられてしまう。
彼が苦労して、戦線を維持している時、数人のベテラン騎士がリーランドの横に立った。
「副隊長は隊長を連れて脱出してください。ここは我らが支えます」
リーランドの横に立っていたのは、以前レイたちと模擬戦をやったバイゴットたちで、彼はリーランドにそう言った後、すぐにベテランらしい冷静な指示を若手に出していく。
(今のうちに体勢を立て直せば、何とかなる)
「隊長! 彼らが支えている間に逆襲の準備を! 先陣は私が引き受けます。ご指示を!」
呆然としていたアーウェルは、その言葉にようやく我に帰る。
そして、バイゴットらがオークの攻撃を、何とかいなしていることを確認すると、大声で指示を出し始めた。
「撤退する! 第一中隊は私に続け! 第二中隊はこのままここを支えろ! 第三中隊は傭兵たちとともに突破口を開け!」
その言葉にリーランドは言葉を失う。
「な、なんと……今なら、押し返せるのです! 押し返した上で撤退しなければ、味方に多大な犠牲が! まさか! 自分だけ逃げるおつもりか!」
「うるさい! 私は栄えあるキルガーロッホ家の者だ。私は何としても生き残り、このことを陛下にお伝えせねばならんのだ!」
アーウェルはすぐに騎乗し、自らの直属である第一中隊を率いて、後方に下がっていく。
リーランドはその姿に絶望するが、味方が次々と倒れていく、この戦場を離れることが出来なかった。
(ここが私の死に場所か。情けない最後だが、一人でも多く生き延びさせる。最後まで足掻いてやるぞ)
彼はボロボロになった盾を持ち直し、バイゴットら第二中隊の騎士たちのもとに走っていった。
レイたちは、一旦、丘を登りきり、大きく迂回して後方に向かっていた。
(予備兵力はいなさそうだな。この先に伏兵がいてもおかしくないけど、今はそれを考えても仕方が無い。最後尾に穴を開ければ、一気に脱出できる。団長にも禁じられていない、あの魔法を使うか)
最初、オーガを倒した太陽光集光魔法を使おうと考えたが、乱戦状態であり、効果が薄そうだと諦める。
次に考えたのは、花火の魔法。殺傷力は皆無だが、混乱を与えるにはちょうどいいと思ったのだ。だが、訓練でも使っていないため、味方の馬たちに混乱を与えることを恐れ、その考えを放棄した。
そして、最後に射程が長く、射線上にいる敵を排除できそうな”雷”の魔法を使うことにした。
(“雷”なら見たことがある人もいるし、狙いも正確だ。一気に殲滅することはできないけど、今は音だけでもいい……)
彼はそう考え、最後尾の二番隊、三番隊が戦う場所を見下ろせる丘の上に慎重に近づいていく。
数匹の小魔が飛び出してきたが、アシュレイとステラが弓で射殺し、五十m先の戦場が見下ろせる絶好の場所を確保した。
(ここなら、味方に当たることは無いし、一気に何匹かに当てることも出来る。後は宮廷魔術師のアネーキスさんに、教えてもらった呪文を応用してと……)
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を集め、雷帝の槍、雷を我に与えたまえ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん。我が敵を焼き尽くせ! 雷!」
今までの雷では一分近く精霊の力を集める必要があったが、適当に作った呪文でも半分以下の二十秒強で発動できるようになっていた。
彼の腕に光の精霊の力が集まりだし、十分に溜まったところで敵の集団の真ん中に撃ち込む。
いつものように”バリバリ”という雷のような大きな音と共に、五匹ほどのオークが吹き飛ばされていく。
(威力は凄いけど呪文がねぇ。この厨二っぽいセンスの方が、威力が大きくなるのは何とかならないかな。人に聞かれると無茶苦茶恥ずかしいんだけど……)
そんなことが頭に浮かぶが、彼の目には倒れていく仲間の姿が映り、すぐに頭を切り替える。
そして、パニックに陥るオークたちに向け、雷を放っていった。
突然の落雷に傭兵たちは浮き足立ちそうになるが、マーカット傭兵団の傭兵たちは、すぐにレイの魔法だと気付く。
「レイの魔法だ! これで助かるぞ! 奴の魔法は団長のお墨付きだ!」
その声にマーカット傭兵団の傭兵たちは歓声を上げる。
数発の落雷により、オークの壁に穴が開き、ラザレスは一気に突破することを決意した。
「ゼンガ! 一気に抜けるぞ! その後はこっちが挟み撃ちにしてやる!」
「おう!」
トリッキーなスピード系のラザレスと、巨体を生かしたパワー系のゼンガのコンビは、オークたちにとっては災厄に他ならなかった。彼らは浮き足立つ敵を切り刻み、その足元にオークの死体を量産していく。
彼らの部下たちは隊長たちが開けた穴を広げるべく、楔状に隊列を組み、一気にオークを蹴散らしていく。
その直後、四番隊が到着し、薄くなったオークの壁を易々と突破し、更にその傷口を広げていく。
そして、オークたちは前後から攻撃を受け、徐々にその数を減らしていった。
レイは丘の上から、マーカット傭兵団が脱出できたことを確認し、安堵の息を吐いていた。
(ふぅぅ。ハミッシュさんも合流できそうだし、義勇軍は撤退できそうだな。あとは騎士団か。正直、助けたくはないけど、リーランドさんは死ぬ気だろうから、様子を見に行こうかな)
彼が立ち上がろうとした時、ステラが後ろに向けて矢を放っていた。
「何?!」
彼の後ろ、二十mほどの距離にコウモリのような黒い皮膜の翼を持つ、美しい女性が宙に浮かんでいた。
「ようやく見つけたわよ。魔術師さん」
にこやかにレイに向けて話しかけるが、その後ろから五匹の闇色の悪魔、翼魔が飛び出してきた。
「前も邪魔をしたし、今回も邪魔をするのね……そういう子には、お仕置きをしないといけないわ……やってしまいなさい」
その声に五匹の翼魔が、一斉に呪文を唱え始める。
(ヤバイ。間に合うか!)
「アッシュ、ステラ、気を付けろ!」
レイは無詠唱で光の矢を召喚し、一匹の翼魔に向けてその矢を放つ。
あまりの魔法の召喚の速さに標的となった翼魔は驚き、翼に矢を受ける。そして、地上に落下し、呪文を中断してしまう。
一方、残りの四匹は混乱することなく、詠唱を続けていた。
アシュレイとステラも弓で攻撃するが、翼魔たちに巧みに回避され、次第に精霊の力が彼らの腕に集まっていく。
三十秒ほどで、翼魔たちの腕に漆黒の槍が現れ、四匹は一斉にそれを放った。
「伏せろ!」
アシュレイの声が響き、レイとステラは地面に飛び込むように伏せる。
幸い、レイの魔法のような追尾機能はなく、投槍と同じ速度であるため、回避は容易で、四本の闇の槍は彼らの頭上を飛び去っていった。
(拙いな。機動力は向こうのほうがありそうだし、後ろを向けば狙い撃たれる。戦うしかないか……)
レイたちがすべての闇の槍を避けたことに、翼魔族の女性は驚いていた。そして、翼魔だけを引き連れてきたことを後悔し始めていた。
(相当、魔法に慣れているわね。前衛なしだとこっちの方が不利ね。上空に逃げても、あの白い魔術師の魔法で撃ち落とされるだけだし、どうしようかしら……)
レイはアシュレイとステラに指示を飛ばす。
「このままでは逃げるに逃げれない。僕が合図したら、二人であいつらに接近戦を挑んでくれないか」
「判ったが、奴らは空に逃げるだけだが……」
レイは「構わない。僕を信じて」と言った後、翼魔族の女性――アスラ・ヴォルティ――に声を掛ける。
「ここで引けば、追撃はしない。引いてくれないか」
アスラは不思議そうな顔でレイを見るが、歪んだ笑みを浮かべて、「戯言はよして欲しいわね」と言い放つ。
そして、翼魔たちに視線を送り、攻撃を命じた。
「撃ち殺しておしまい!」
レイはアシュレイたちに「今だ!」と合図を送る。
二人が翼魔たちに向かっていくと、アスラと翼魔は二人をあざ笑うかのように高く舞い上がっていく。
そして、二十mほどの高さで静止し、再び呪文を唱え始める。
レイは合図をした直後から、翼魔たちが飛び上がることを予想し、風属性魔法の呪文を唱え始めていた。
「数多の風を司りし風の神よ。荒ぶる竜巻、乱舞する刃を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん。我が敵を引き裂け! 刃の竜巻!」
彼が左腕を天に向けると、その手の平から渦巻状の風が吹き出していく。それは徐々に激しくなっていき、周囲の草を巻き上げながら、天高く伸びていく。
そして、直径五m、高さ二十mほどに成長した竜巻を、アシュレイたちの上空にいる翼魔に向けて放つ。
翼魔はアシュレイたちに闇の槍を投げつけようと、自分たちの足元に注意を向けていた。
そのため、彼の放った竜巻に気付くのが遅れる。
「二人とも伏せて!」
その言葉にアシュレイとステラはすぐに反応し、その場に伏せる。
レイの叫び声を聞いた翼魔は、彼に視線を向けると、自分たちに向かってくる竜巻状の物体に驚愕した。そして、レイに向かって闇の槍を放ち、すぐに逃走しようとした。
その攻撃の判断が彼らの命取りになった。彼らに向かってくる竜巻の速度は予想より遥かに速く、宙を舞う翼魔たちは、吸引力を持つ旋風に引き摺り込まれていく。
渦の中心に近づくと、見えない真空の刃が最も近くにいた翼魔に襲い掛かる。
カミソリのような薄い刃は、彼の薄く繊細な翼を切り刻み、ボロ布のように引き裂いていった。
そして、あっという間に竜巻の中心に吸い込まれ、体中から赤黒い体液を撒き散らして、そのまま上空に巻き上げられていった。
残りの翼魔たちは、その様子を見て慌てるが、竜巻の吸引力のほうが強く、次々と吸い込まれ、切り刻まれていく。
翼魔族のアスラは、彼らの後方にいたことと、瞬時に魔法を諦めたことが幸いし、竜巻に吸い込まれることは無かった。
だが、彼女は眷属である翼魔たちがあっという間に切り刻まれる姿を目にし、顔色を失った。
(何が起きている? 恐ろしい……この魔術師は危険だわ。すぐに逃げないと捕らえられる……)
彼女は後ろから狙撃される危険を無視して、背中を見せ、急降下して速度を稼ぐとともに、一気に距離を取った。そして、一度も振り返ることなく、逃げ去っていった。
レイは刃の竜巻を制御するのに必死で、飛んでくる闇の槍を避けることができなかった。
翼魔たちが焦っていたため、三本の槍が外れたが、残りの二本が彼に命中する。
一本は胸甲に、そして、もう一本が左太ももに当たり、彼はその勢いで数m吹き飛ばされていた。
「「レイ(様)!」」
アシュレイとステラは、彼が吹き飛ばされる姿を見て、彼の名を叫んでいた。
二人が駆け寄っていくと、彼は頭を振りながら立ち上がろうとしていた。
「やられたけど、僕の鎧は魔法にも強いみたいだ。雪の衣さまさまだよ」
二人はその姿にホッとするが、
「もっと自分のことを考えろ。やられたのかと思ったぞ」
アシュレイが怒りを表すと、ステラも強く頷いている。
「もう少しご自分のことを考えてください。お願いします」
二人にそう言われ、レイはばつが悪そうに頭を下げる。
「ゴメン。気を付けるよ。そんなことより、みんなを助けないと」
彼はアシュレイに翼魔に止めを刺すことを頼み、ステラには馬を連れてくるように頼んだ。
彼は周囲を警戒しながら、逃げていった翼魔族の女性の後姿を見ていた。
彼が倒れている隙に、彼女はかなり遠くまで行っており、既に魔法の射程距離から出ていた。
(初めて魔族の人と話したけど、話ができないほど、異質な感じはしなかったな。本当に話し合いの余地はないんだろうか……おっと、そんなことを考えている時じゃなかった)
彼はすぐに気持ちを切替え、討伐軍先遣隊の方に目を向けた。
突破した傭兵たちはオークを次々と葬っていき、退路は確保できていた。
(これで何とか脱出できそうだな。後は騎士団か。おや? 騎士たちの一団がものすごい勢いで後退していくぞ)
彼の眼下では、無傷の騎士たちが傭兵たちの開けた突破口を、何の苦労も無く通り過ぎていく。
その後、なぜか傭兵たちはオークたちが溢れる前方に向かっていた。




