第五十六話「挟撃」
十月五日。
護泉騎士団第三大隊を主力とする魔族討伐軍先遣隊は、ボグビー村を後にし、街道を北北東に進んでいた。
ここ数日は晴天が続き、秋の高い青空の下、順調に行軍を続けていく。
レイたちは、指揮官のアーウェル・キルガーロッホに見付からないよう、早朝に出発し、街道の安全を確かめていく。
ミリース村までの街道にも魔族の痕跡はなく、心配した村の中にもそれらしい痕跡は全くなかった。
討伐軍先遣隊はその日のうちに四十kmの行程を進み、ミリース村に到着した。
義勇軍の傭兵たちは、三隊に分かれて不寝番を行っていたが、騎士団では数名の騎士だけが歩哨を行っているに過ぎなかった。
(魔族らしい姿が確認された村なのに、この警戒心のなさはどういうことなんだ? 明日は魔族との戦いになる可能性が高いから、ゆっくり休むということなのか?)
レイは不寝番の間、明日の戦いについて考えていた。
(明日は早朝から、一気にチュロックに向かうはずだ。幸い天気はもっているし、上り坂とはいえ僅か三十km。明日こそは斥候を多く出して警戒を強めてくれるはず。後はチュロックの砦が陥落していないかどうか。食料はまだ大丈夫だと思うけど、大軍だという噂だからな……)
不安を抱えながら、十月六日の朝を迎えた。
レイはアシュレイ、ステラと共に朝食を取り、ハミッシュの天幕に向かう。
天幕からはハミッシュの怒鳴り声が聞こえ、その怒りの強さに三人は驚いていた。
中に入ると、腹をすかせた熊のように、うろうろと歩くハミッシュの姿があった。
その横には珍しく無表情のアルベリックと、怒りに打ち震える五人の隊長の姿もあった。
レイは恐る恐る「どうしたんですか?」と声を掛けると、アルベリックの冷ややかな声が迎えてくれた。
「あの馬鹿隊長が斥候を出さずに、街道を一気に進むって言っているんだって。一刻も早く砦に向かう方がいいからだってさ。どの口がそんなことを言えるんだろうね」
レイは彼らの怒りの原因が瞬時に理解できた。
(まだ、拘っているのか。傭兵の意見は一切聞かないっていうことに。こんな小人物が六百人のトップだとは……魔法で眠らせてしまおうか……)
彼は一瞬、冗談ではなく、本当に魔法を掛けてしまおうか悩んだ。だが、アーウェルはお気に入りの騎士たちに囲まれ、近づくことすら出来ないことを思い出していた。
(仕方がない。僕たちだけで、どこまで出来るか判らないけど、何とか無事に砦までたどり着けるように努力しよう)
彼は天幕を出ると、すぐに村を出発しようとした。
だが、村の出口には若い騎士たちが待ち構え、勝手に出発することを禁じると言われる。
「騎士団長の命令でも駄目なのか」
「許可できん。ここは戦場だから命令には従ってもらう。従わねば討伐軍を危険に晒す利敵行為として、処罰するぞ」
「索敵に出ることがどうして利敵行為になるんだ」
「お前たちが出なければ、魔族が気付く前に一気に押し進めることができる。お前たちがちょろちょろして敵を引き寄せないとも限らんしな」
騎士たちは馬鹿にしたような口調で嘲笑し、槍で彼らを押し戻す。
その態度にカチンと来たが、アシュレイに肩を掴まれ、冷静さを取り戻す。
「そんなことを言って、自分たちは義勇軍の後ろの安全な場所にいるつもりなんだろう」
その言葉に騎士たちはいきり立つ。
「我らは常に先頭に立つ。お前ら傭兵は金のために戦うが、我らは大儀のために戦うからな。お前らこそ安全な場所で指を咥えて見ているがいい」
「その言葉、忘れるなよ。今から大隊長のところに確認に行くからな」
レイは心の中でリーランドに謝っていた。
(すみません。騎士団を犠牲にしてでも、僕は皆を守りたいんです。大隊長を焚きつけます)
彼はアーウェルの泊る村長の家に向かい、騎士たちとの会話を再現する。
「……と、騎士たちは叫んでいますが、大隊長のお考えとは違いますよね」
「我らが先陣を切る。どうせ、敵はチュロックを取り囲んでいるのだ。夜になる前に一気に進んで決着を付ける。傭兵どもに邪魔はさせん」
濁った目のアーウェルは、反射的にレイの言葉に逆らい、騎士団を先陣にすることを決めた。
(クソッ! 傭兵を前に押し立てて、距離を開けていくつもりだったが、勢いで言ってしまったわ。まあいいだろう。どうせ、魔族などいないのだからな。いたとしても、砦に取り付き、我らのことには気づかないはず。我らの突撃で一気に蹴散らしてくれるわ)
彼は恐怖を紛らわすため、毎晩深酒をしていた。そうでもしないと寝付けなかったからだが、そのせいで元々低い思考能力が更に大きく低下していた。
レイは僅かに罪悪感を覚えるが、それを振り払い、ハミッシュたちに合流しにいった。
十月六日。
午前七時頃、魔族討伐軍先遣隊は、第三大隊を先頭にミリース村を出発した。
二時間ほどでミリース村の東の谷底のような道を抜けると、街道は獣道のように細くなる。六百名にも及ぶ先遣隊の隊列は二km近い長さになり、命令の伝達にも支障をきたし始めていた。
午前十一時。
以前、五番隊が護衛を行った際に野営地にした小さな丘近くに到着した。
ここで小休止を入れるとの連絡があり、順次草原に入っていく。
大隊長のアーウェルは、三十分ほど休憩を入れた後、再び進軍を命じた。
後方にはまだ休憩に入っていない傭兵たちがいたが、彼はそのことは全く考慮しなかった。
傭兵たちから怨嗟の声が上がるが、騎士たちは見て見ぬ振りをし、街道を進み始めていた。
(ここからは残り十二、三km。一時間の休憩を入れても十分間に合う。何を焦っているんだろう)
レイは休憩できなかったことより、アーウェルの焦りの方が気になっていた。
アーウェル・キルガーロッホは、一刻も早くチュロックの砦に入りたいと思っていた。
(チュロックの砦には、司令のヒンシュルウッドがいる。砦に入れば、彼の指揮下に入れるんだ。そうしたら、私があれこれ心配する必要は無い……そう、戦力の集中のためには必要なことなんだ。戦力が集まれば一気に片が付けられる。そうなれば、私に危険は及ばない……)
彼は周りの目を気にすることもなく、ただひたすら、そのことだけを考えていた。
そして、十月六日の正午。
小さな丘の間を抜ける狭い街道を討伐軍は進んでいた。
騎士たちの中には、丘の上から敵が現れるのではないかと、しきりに上を見ているものがいるが、今までは飛行型の翼魔一匹姿を現すことがなかった。
ステラは首筋にチクチクと感じる、殺気のようなものを感じ始めていた。
(誰かに見られているわ。どこからかしら。レイ様にお伝えした方がいいかも)
彼女が前を進むレイに並びかけた時、丘の陰に隠れた前方から、悲鳴と怒号が聞こえてきた。
「魔族の襲撃だ! 引け!」
「引くな! 踏み止まれ!」
「助けてくれぇ!」
レイは愛馬を駆って丘の上に上がっていくと、その眼下には、左右の丘の上からワラワラと現れるオークの大軍の姿があった。
騎士たちは騎乗のまま、オークに対するが、狭い街道で左右から挟撃されたため、その機動力を生かせず、次々と馬から引き摺り下ろされていく。
そして、馬から落ちた騎士は、オークの持つ粗末な棍棒で滅多打ちにされていった。
(待ち伏せだ!……拙いぞ。すぐにハミッシュさんに伝えないと……)
彼は丘を駆け下り、ハミッシュにこのことを伝えようとした。だが、その時、彼らの後ろからも同様の悲鳴と怒号が響いてきた。
魔族側は討伐軍が斥候を出していないことに気付いており、長い隊列の前後に襲い掛かった。彼らは討伐軍を一気に殲滅しようと画策していた。
前方の騎士たちは、指揮官のアーウェルが使い物にならず、副隊長のリーランドの指揮で何とか、秩序を保っていた。
一方、後方はマーカット傭兵団の精鋭、二番隊と三番隊が殿を務めていたため、若い傭兵たちが多少混乱しただけで、大きな混乱は起きず、すぐに反撃を開始していた。
中央付近にいたハミッシュは、状況が掴めなかったが、直ちに下馬し、弩を装てんするよう部下に指示していた。
(前後から挟撃されたか。後ろはいい。ゼンガ――二番隊隊長ゼンガ・オルミガ――とラザレス――三番隊隊長ラザレス・ダウェル――が何とかするだろう。何とかできないレベルなら終わりだ。あの大隊長ならパニックになり、後方に逃げようとする。後ろに穴を開けねばならんな)
ハミッシュが対応を考えていると、レイが丘を駆け下りてくる。
「前方にオークの群れ! 百や二百じゃないです。騎士団は分断されそうになっています!」
「判った! 全員馬を引きながら、丘の上に向かえ! 敵が出てきたら弩で打ち倒せ。合図があり次第、馬を置いて突撃するぞ!」
ハミッシュの声に傭兵たちの「「オウ!」」という声が重なる。
「レイ、お前はアッシュとステラを連れて丘の上まで登りきれ! 敵が少なければ迂回してミリース村に戻れ! その後はブリッジェンドにこのことを伝えろ!」
「エッ?! り、了解!」
レイは一瞬の戸惑いを見せたが、時間の浪費を避けるため、すぐに了解する。
彼が了解するとは思っていなかったアシュレイは、ハミッシュの命令を拒否した。
「私は嫌だ! 父上を、仲間を捨てて逃げるのは!」
アシュレイがそう叫ぶが、レイが耳元で囁く。
「丘の上に出てから、三人で撹乱する。僕が魔法を使うから、アッシュとステラで僕を援護して。このままだと、本当に全滅してしまうんだ。僕は逃げない。だから、信じて」
その言葉にアシュレイは驚くが、すぐに頷き、馬に飛び乗った。
「ステラ、一旦、敵のいないところに向かいたい。先導を頼むよ」
ステラは、「はい」と大きく頷き、馬で丘を登っていく。
三人を見送ったハミッシュは、ガレス・エイリング率いる一番隊と義勇軍に参加した若手の傭兵と共に、後方のオークたちを駆逐すべく、丘を登っていく。
彼が丘に登りきったとき、前方から漆黒の矢が彼らに襲い掛かってきた。
「小魔だ。弩用意、撃て!」
小魔の数は十匹程度と少なく、ハミッシュの姿を見ただけで、魔法を放ってきたため、僅か二人に掠り傷をつけただけで済んでいた。
そして、弩による反撃で半数以上を撃ち落し、残りの小魔たちは算を乱して逃げていった。
(対魔法訓練をしておいてよかったぞ。それにこの弩だ。レイが話を持ってきたときには、役に立つとは思わなかったが、奴はこういう状況を想定していたのか……つくづく恐ろしい奴だ)
小魔を駆逐したハミッシュと一番隊は、すぐに街道で戦う四番隊と五番隊の救援に向かう。
ハミッシュは、四番隊のエリアス・ニファーに騎乗戦闘の指示を出し、五番隊のヴァレリア・ハーヴェイに、四番隊が体制を整えるまでの援護を命じていた。
「エリアス! 時間を作るから、馬に乗れ! 丘に一旦上がって機会を窺え! ヴァレリア! 四番隊に余裕を与えるよう敵を引き付けろ!」
二人の「「了解!」」という声を聴き、ハミッシュは、馬をアルベリックに預け、一番隊の剣術士たちを率いて徒歩で駆け下りていく。
残されたアルベリックは、弓術士と若い傭兵たちを率いて、オークたちに矢を撃ちこんでいった。
「弩を使っている子たちは、狙う必要は無いよ。オークがたくさんいるところに適当に撃ち込んでおいて! それじゃ、マーカット傭兵団の弓術士の腕を見せてやろうか」
彼の緊張感の無い声に、若い傭兵たちは張り詰めていた気持ちが解れていくように感じていた。
そして、彼の「撃て!」の合図で五本の矢と、二十本の太矢がオークの群れの中に飛んでいき、数匹のオークが倒れ、魔物たちは混乱する。
四番隊のエリアス・ニファーは、自分たちの得意な戦い――騎乗突撃――に持ち込めず、苦戦していた。
彼らは傭兵団では珍しい騎乗戦闘のエキスパートだった。
穂先の片側に鉤状の刃が取り付けてある特製の馬上槍での突撃は、数倍の歩兵を蹴散らすことができるのだが、狭い丘の間に閉じ込められ、更に左右から挟み撃ちにあったため、止む無く下馬していた。
最も、徒歩での戦闘もかなりの腕があるのだが、彼らの誇りは騎乗での突撃にあることから、フラストレーションが溜まっていた。
その時、敬愛する団長の命令が聞こえ、四番隊全員が奮い立った。
「エリアス! 時間を作るから、馬に乗れ! 丘に一旦上がって機会を窺え!」
エリアスはハミッシュの言葉を信じて、騎乗のチャンスを窺う。そして、一瞬の隙が訪れると、「騎乗!」と短く命令を下す。
その声に、四番隊の騎兵たちは一斉に騎乗し、あっという間に、丘の上に駆け上がっていった。
「こうなったら、俺たち四番隊に敵はいない! 五番隊を救った後、二番隊、三番隊に向かうぞ! 団長が見ておられる。無様な攻撃は見せるなよ! 突撃!」
二十五頭の戦馬の馬蹄の響きが、丘の間にこだましていく。
オークたちはその不気味なドッドッドッという音に後ろを振り向き、自分たちに向かってくる暴力の塊に戦慄する。
オークが逃げようとすると、五番隊のヴァレリアが吠える。
「今頃、逃げようって言うのかい! 虫が良すぎるんだよ! 四番隊の前には出るなよ! だが、いいところは持っていかれるな!」
四番隊の突撃に浮き足立つオークを、班ごとに連携しながら確実に仕留めていく。
「二番隊、三番隊を助けるよ! ゼンガの旦那やラザレスの旦那に恩を売る滅多に無い機会だ! 王都に帰って奢らせてやるんだ! 付いてきな!」




