第五十八話「脱出:中篇」
ハミッシュ・マーカットは、二番隊と三番隊が開けた突破口を見て、胸を撫で下ろす。
(これで退路は確保できた。後はどれだけ逃がせるかだ)
そう考えていると、前方から騎士たちの一団が退路に向かって殺到していく。
だが、その数は第三大隊の半数ほどで、その数の少なさにハミッシュは暗澹たる思いになる。
彼は大隊長のアーウェル・キルガーロッホを見つけ、止まるそぶりも見せない大隊長を捕まえるため、馬を走らせながら、状況を確認していく。
「大隊長、前方の状況は?!」
アーウェルは立ち止まることなく、ハミッシュを見る。
彼はどう話していいのか判らず、命令口調で怒鳴り始めた。
「前方は第二中隊が魔族を抑えている! 我々は一旦距離を取り、体勢を立て直すため、この場を離れる! 義勇軍は第二中隊と共に魔族の進軍を止めろ!」
ハミッシュは、すぐに彼が戻るつもりがないと見抜いたが、第二中隊を見殺しにすることもできず、更に指揮官からの進軍を止めろという命令を守るため、実務的な話に切り替える。
「合流地点はどこですか?」
アーウェルは想定していない質問に戸惑うが、更に高圧的な態度で命令を下していった
「……ミリース村だ。義勇軍はその手前の谷の隘路を確保しておけ! これは命令だ!」
「そんなところで合流……いつまで確保しておけばいいのか!」
ハミッシュは怒るより呆れてしまっていた。
アーウェルはそんなことに気付く余裕はなく、更に命令を重ねていく。
「私の命令があるまでだ。必ず確保しろ! 我らを追って来ぬようにな!」
アーウェルは更に速度を上げ、そのまま、街道を西に戻っていく。
残されたハミッシュは、苦々しい思いを胸に収め、部下たちに命令を下していった。
「第二中隊が囲まれている! 一番隊! 四番隊! 俺に続け! 騎士たちを助けに行くぞ! 二番隊! 三番隊! 五番隊! ここを死守しろ! 退却用の馬の確保もしておけ! 騎士たちを助け出したらすぐに退却する!」
(折角、脱出できたが、これはかなり危険な状況だな。さて、リーランド殿を助けに行くか。彼のことだ、第二中隊と一緒にいるのだろう……)
レイはその光景が信じられず、アシュレイが近寄ってくることにすら気付けなかった。
そして、彼女も父や仲間たちが再び激戦を繰り広げているのを見て、信じられない思いをしていた。
「何があったのだ……なぜ、また戻っているのだ」
呆然と呟く彼女に、彼は怒りを抑えて見たことを話していく。
「大隊長が逃げていった。その時、何か命令を出したのかもしれない」
「どうする……拙いぞ、この状況は……」
レイは黙ったまま、下の戦闘を見つめていた。
そして、おもむろに口を開くと、「助けに行く」と宣言する。
「アッシュだけでも逃げて欲しいところだけど……駄目だよね」
彼女に逃げることを勧めようとした彼は、諦めに似た笑顔を作り、すぐに自ら否定する。
アシュレイも「ああ、駄目だ」と笑顔で答えていた。
「判った。僕もこんなところで死ぬ気は無い。あの大隊長をぶん殴るまでは絶対に死なない」
「私もだ」
二人は立ち上がると、すぐ後ろに馬を引いてきたステラの姿があった。
「今からみんなを助けに行く。僕とアッシュは戦場に戻る。ステラは自分のしたいようにしてくれたらいい」
「私も行きます。連れて行ってください」
彼女にしては珍しく強い口調でそう答える。
「死ぬ気はないし、誰も死なせたくない。無理についてくる必要はないけど……」
そこまで語った所で、ステラの真剣な表情を目にし、「判った。力を貸して」と笑顔で言葉を掛ける。
そして、馬に跨りながら、二人に指示を飛ばしていった。
「ステラ! 周囲を警戒して! アッシュは近寄ってきた敵だけを倒して! この丘の上を退路にするんだ」
彼は前方で戦う騎士たちの退路を、街道ではなく、敵の少ない丘の上にするつもりでいた。
(ハミッシュさんも、リーランドさんも丘に登るチャンスを与えれば、こっちに向かうはず。まだ、馬は疲れ切っていない。今なら丘に駆け上っても逃げるチャンスはある)
三人は退路を確認しつつ、騎士たちの戦う前方に向かっていった。
ステラは、レイとアシュレイが笑顔で死地に向かうと言っているのが、信じられなかった。
(どうして笑っていられるの? このままでは、レイ様が死んでしまう。それなのにどうしてアシュレイ様は笑っていられるの。判らない……)
そして、彼に好きにしたらいいと言われた時、何の躊躇いもなく、付いていくといった自分にも驚いていた。
(本当ならお二人に逃げて下さいと頼まなければいけないのに……すぐに言葉が口を突いてきた。でも、レイ様の笑顔を見ると、それが正しかったのだと判る。でも、どうして……)
彼女の中に疑問が渦巻くが、すぐにすべての感情を切り捨て、周囲の気配を探り始めた。
ハミッシュは一番隊のガレス・エイリングと四番隊のエリアス・ニファーを引きつれ、前方で戦っている騎士たちに合流した。
騎士たちの半数はボロボロになった盾と剣で壁を維持し、残りの半数はオークたちの足元に倒れていた。その中にはリーランドと替わったバイゴットたちの姿もあった。
「リーランド殿! 無事か!」
彼の声に副隊長のナイジェス・リーランドが「マーカット殿!」と応える。
ハミッシュら、マーカット傭兵団の精鋭は、ボロボロに傷つきながらも、戦線を維持する騎士たちに尊敬の眼差しを向けていた。
ガレスがリーランドに、
「一旦、我らが支えます。隙を見て脱出しますから、体力を温存しておいて下さい!」
リーランドら騎士たちは、その言葉にホッとしたような表情を見せ、少しずつ後退して戦線を一番隊に譲った。
「リーランド殿が無事で何よりだ。機会を見て脱出する。エリアス! 突破口をこじ開けるまで、待機しておけ!」
座り込む騎士たちを見ながら、ハミッシュはどうやってここから脱出するか、考えていた。
(既に後方との間にもオークどもは入り込んでいる。この周りだけでも千を超えるオークがいる。エリアスたち四番隊の突破力でも、あの“肉の壁”は突破できまい。そう言えばアルたちの姿がないな。ゼンガたちに合流したのか?)
その頃、マーカット傭兵団の副官アルベリック・オージェは一番隊の弓術士四人と義勇兵の若手傭兵二十人を率いて、丘の上にいた。
(脱出しようと思ったけど、ハミッシュが戻っていくしな。どうしようかな……)
彼はハミッシュを救いに行くか、退路を確保している二番隊たちの方に向かうかで悩んでいた。
(決め手に欠くんだよな。四人はともかく、この子たちじゃ、弩を使わせてもあまり役に立たないし、接近戦だともっとやばそうだし……無駄に死なせるとハミッシュが怒るしなぁ。ゼンガやラザレスに合流してから考えるか)
彼が退路を確保している二番隊に合流しようとした時、レイたち三人が彼の前に現れた。
「無事だったんだね。良かった、良かった」
「アルベリックさんも無事で何よりです。ところで、こんなところで何をしているんですか?」
レイの問いにアルベリックは、二番隊に合流するため、移動しようとしていたと話す。
レイは少し考えた後、
「太矢はあとどのくらい残っていますか?」
アルベリックは周りの傭兵たちをちらりと見て、
「そうだね。一人十本くらいじゃないかな」
レイはその答えに光明を見出す。
「アルベリックさん、僕が考えた弩の使い方を覚えていますか?」
「ああ、あれね。三人一組で一人が射ち続けるやつ」
アルベリックもレイの考えが何となく判ったようで、悲壮な感じが無くなっていた。
「ハミッシュさんたちを助けます。一斉射撃のあとに、その三人一組の射撃で敵に混乱を与えてください」
アルベリックは大きく頷き、傭兵たちをまとめ始める。
「今からハミッシュを助けに行くよ。なかなかできるもんじゃないよ、赤腕ハミッシュを助ける経験なんて。ということで、君たちには弩を撃ってもらう。タイミングは僕に合わせて。その後は三人で一組になって、一番うまい人が撃つ。後の二人はひたすら弦を引いて、撃つ人に回す。これでいい、レイ君?」
レイは頷きながら、丘の下で行われている激戦の様子を見ていた。
(オークを操る魔族、中鬼族がいるはず。そいつを殺すか、混乱させればオークの動きはもっと悪くなる。どこにいるんだろう)
「ステラ、ちょっといいかな?」
彼はステラを呼び、中鬼族らしき姿が判らないか、聞いてみる。
「オークを操っている中鬼族がいるはずなんだ。それらしいのがいないか判らないかな?」
ステラは以前見た大鬼族を思い出し、雰囲気の似た者がいないか、オークの群れを確認していく。
(何としてでも見つけてみせるわ。見た目より雰囲気、気配のようなものを感じないと。“里“で教えてもらったことを思い出すのよ。指揮官を暗殺する時の教えを……)
彼女はゆっくりとオークの群れを見ていく。
そして、丘の中腹に一箇所だけ、オークたちの動きが違うところを見つけた。
「自信はありませんが、あの一角だけオークの動きが違います。他は前に前にと動いているのですが、あの一団はあの場所から動きません」
彼女の言葉にレイが乗り出すように見るが、彼には良く判らない。
すぐにアルベリックを呼び、ステラの言った言葉を繰り返した。
アルベリックはじっとその場所を見つめ、そして、ステラの横に立ち、敵の方に指をさす。
「あれって、オークに似ているけど、別の種族だね。ステラちゃん、あの赤い帯のオークが判る? どう?」
ステラはじっくりとその場所を見つめ、
「はい、判ります。雰囲気がオークとは全く違います。間違いありません」
レイも同じように見るが、全く判らない。
「ステラ、ありがとう。助かったよ」
ステラに礼を言った後、彼はその場所を攻撃目標に定めることにした。
「アルベリックさん、あの場所を攻撃することにします。ハミッシュさんなら、僕の意図を気付いてくれると思いますから、アルベリックさんは混乱させることだけを考えて攻撃してください。アッシュ、ステラ、僕たちは混乱する敵、あそこの敵に突っ込んでいく。倒すことが目的じゃないから、攻撃を受けないようにかき回すだけでいい」
三人は頷くと、中鬼族がいる場所の後方を目指し、移動を開始した。
五分ほどで所定の場所に到着し、慎重に丘から見下ろす。
(それにしても、丘の後ろ側に敵の姿が全くない。遊兵を作らないためっていうなら判るけど、無警戒過ぎないか。さっきの翼魔族の女の人が、後方を守っていたのかな?)
彼はそんな疑問が頭によぎるが、今からの作戦に集中することにした。
(今はハミッシュさんたちを助けることに集中しよう。もし、敵が回りこんできたら、その時はその時だ。今より状況が悪くなるわけじゃない)
アルベリックに声を掛け、アシュレイとステラを伴い、草むらの中を匍匐前進の要領で進んでいく。
そして、中鬼族がいる場所の側面、三十mくらいの距離に近づいたところで、花火の魔法の呪文を唱え始めた。
「すべてを焼き尽くす炎の神、火の神よ。大輪の炎の華を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん。天空に開け! 大輪の牡丹!」
彼の呪文が終わると、いつもの花火のようにヒュルヒュルという音を立てながら飛んでいく。そしてオークたちの頭上に差し掛かった時、ドォーンという大きな音が響き、眩い光の後に、きらきらと光る炎の花弁が開いていく。
その轟音と光にオークたちは、頭を押さえて蹲る。
(よし、成功だ。あとは僕たちが……)
「アッシュ! ステラ! 行くよ!」
彼は槍を頭上で大きく振り回し、自分たちの姿をアピールする。
彼に気付いた中鬼族は、すぐに自分の配下のオークを迎撃に向かわせようと指示を出していた。
アルベリックは中鬼族の周りからオークが減るのを冷静に確認していた。
(よし、レイ君の作戦通りだね。あそこに向けて狙撃か。ざっと五十m。運がよければ一発で仕留められるね)
彼は弓術士たちに合図を送り、自らも中鬼族に向けて、慎重に照準を合わせる。
彼が矢を放つと、それを合図に弓術士たちも矢を放ち、四本の矢と二十本の太矢が中鬼族に向かって飛んでいった。
中鬼族の操り手は、光と音で混乱した上、レイたちだけに注意を向けてしまった。そのため、自らを守るべき防壁、オークの壁が薄くなったことに気付けなかった。
そこにアルベリックの強弓から放たれた矢が、彼に向かって真直ぐに飛んでいく。
操り手は矢が命中する直前、風切り音が聞こえ、振り向こうとした。次の瞬間、彼の喉を矢が突きぬけ、彼は振りむくことなく、そのままゆっくりと倒れていった。
その後ろでは、彼の喉を貫いたアルベリックの矢が、後ろのオークの胸に深々と突き刺さり、そのオークも主同様、棒のように倒れていった。
操り手を失ったオークたちは、一気に混乱していく。
傭兵たちに向かう者、レイたちに向かう者、アルベリックたちに向かう者の三つのグループに分かれ、それぞれが自分勝手に動こうとした。そのため、味方同士がぶつかり、更に混乱に拍車を掛けていった。




