幕間 IV 3秒前
幕間 IV
3秒前
10:14:57
誰も押していないのに、招待プレビューの音声が流れ出した。
開始時刻が近づくと、入ってこない者のところへ、招待の方から迎えに来る仕組みらしかった。
「――佐伯さん、聞こえますか」
役員の声に、よく似ていた。
低さも、間も、語尾の柔らかさも合っている。合っているのに、息の濁りだけがない。喉の奥でわずかに擦れるはずの湿りがなく、音だけが均質に整っている。
10:14:58
左手のスマホがわずかに滑り、母の一文が角度を変えて光った。
あんたじゃないって言って
画面の縁には、青い付箋。
こまったら つきに しお
意味のない言葉だと思っていた。
困ったときに言うと、ほんとうかどうか分かるから。結衣はそう言った。そんなもの要るかよ、と笑ったのは、昨夜の自分だ。
母の「あんたじゃない」と、娘の「つきに しお」が、そこで初めて同じ場所に触れた。
声だけでは足りない。
名前だけでも足りない。
急ぎという理由だけでは、もっと足りない。
10:14:59
右手は、もうマウスの上になかった。
指先が空を切り、画面の光から外れて、机の端へ向かう。
灰色の受話器へ。
「佐伯さん?」
スピーカーの呼びかけは、ひどく自然だった。
自然なまま、どこにも息がなかった。
結衣には、合図があった。
母とのあいだには、何もない。
だから、別の線を一本通すしかない。
そこで秒が落ちた。




