第二話 縁談②
昼食がつつがなく終わり、食後の茶を待つ間、話は自然と仕事の話になった。占領地にある駐屯地の管理、恩賞の裁定で揉めている案件の処理、若手の昇進など、互いに団長として抱える似たような悩みを打ち明けあう内に、レオノーラは、エディアルドが思いのほか細やかに部下を見ていることを知った。
「よく部下を見ているのだな。恥ずかしい話だが、私はそこまで気を回せていない」
「戦場では、いの一番に兵の異変に気づき、立て直しの指示を飛ばしているではありませんか」
「戦場ではな。平時でもそれを発揮しろと部下にケツを叩かれる始末だ」
「それだけレオノーラ殿は周りに心を許しているのでしょう」
ほどなくして、茶が運ばれてきた。湯気の立つ茶器を手にして、レオノーラが、窓から差し込む光に目をやった時、向かいで椅子の引かれる音がした。
視線を戻すと、エディアルドが立ち上がっている。そして次の瞬間、大きな身体が、レオノーラの前で片膝を折った。
「エディアルド殿。何をしている」
レオノーラの声が硬くなった。
皇帝の御前でならともかく、同輩の、それも私的な昼食の席で、公爵である男が膝を折る道理はない。何かの余興か、あるいは自分をからかっているのか。そう思おうとしたが、見上げてくるエディアルドの目は、これ以上ないほど真剣だった。
「レオノーラ殿」
エディアルドの声は、低く、掠れていた。言葉を探しているのではなく、言葉を絞り出そうとしているのが分かった。
「今日この席は、リヒャルト殿にお願いし、最初から私とレオノーラ殿が二人きりになるよう手筈を整えました」
レオノーラは、息を止めた。
「なぜ、そんなことを」
卓の上で、茶が湯気を立てている。その白い揺らぎの向こうで、レオノーラの頭は、ひどくゆっくりと、回っていた。
「あなたを謀ったことは、どれだけ詫びても足りません。ですが、こうでもしなければ、あなたはこの席に着いてはくれなかっただろうと……いえ、私が臆病だったのです。正面から申し込む勇気がなかった」
エディアルドは、頭を垂れた。
「あなたに、こん……婚約を申し込みたい」
頬を赤くするエディアルドは、まっすぐレオノーラを見上げた。
「あなたを……あ、愛しています。ずっと昔から」
言葉は静かに、部屋の空気を打った。
レオノーラは、戦場では誰よりも勇ましく馬で駆け抜け、敵の首を落としてきた女だった。皇帝直属の騎士団に、女の身で団長まで昇りつめたのは、その気性と、努力を厭わぬ研鑽の賜物だった。刃を向けられて竦んだことは一度たりともない。そのレオノーラが、剣を持たない男のたった一つの言葉で、石になったように動けなかった 。
「ずっと昔とは、いつからだ」
レオノーラはかろうじて問い返した。
「五歳の頃からです」
恥ずかしそうに照れているエディアルドとは反対に、レオノーラの腕には鳥肌が立っていた。
「あの日は、鑑定の儀を終えた貴族の子供たちが集まるパーティーでした。私はパーティーの賑やかさに疲れて庭へ抜け出すと、木の上から子猫の泣き声が聞こえてきたのです。見上げれば、降りられなくなって怯える小さな姿があり、どうしたらいいか分からず途方に暮れていたところ、レオノーラ殿が助けてくれました」
エディアルドの言葉が、レオノーラの記憶の扉を叩いた。
パーティーに飽きて庭へ抜け出した幼いレオノーラは、木の下で今にも泣き出しそうな男の子を見つけた。事情を聞いて代わりに木へ登り、子猫を助けてあげたことがある。しかしそれは、些細な過去の一場面にすぎず、エディアルドに言われるまで、レオノーラはすっかり忘れていたのだった。
レオノーラは胸の内でひとりごちる。
(あんなにも可憐で天使のようだった男の子が、まさかこんなにも逞しく成長したエディアルド殿だったなんて……とてもじゃないが、すぐには結びつかないだろう )
「あの日から、私はあなたを想ってきました」
エディアルドは、それ以上の言葉を継がず、口をつぐんだ。
片方はそれを忘れ、片方はそれを抱えて、十八年間生きてきた。その途方もない隔たりを前にして、レオノーラは何か取り返しのつかぬものに触れてしまったような、慄きに近いものが腹の底を撫でた 。愛の告白であることは疑わない。エディアルドが嘘をつける性質でないことは、戦場で嫌というほど見てきた。
「顔を上げてくれ、エディアルド殿」
レオノーラは、努めて平静に言った。
「そのように跪かれては、話ができない」
エディアルドは、素直に顔を上げた。だが、膝は折れたままだった。
「返事を聞かせてもらえますか」
「これは、私一人で決められることではない。父が絡んでいる以上、まず父と話し合った上で返事をする」
エディアルドの目に、微かな陰りが差した。
「承知しました」
そう言って、エディアルドは立ち上がる。
「本日はこれにて失礼いたします」
彼は一礼し、身を翻して、客間を出ていった。




