第十八話 名残②
「では、ジェルサンド団長。この不調法な私に、ひとつ、ご指南をいただけないでしょうか 」
「……私が貴殿に教えられるものはあるだろうか」
「私には、ジェルサンド団長のように時勢を論じるだけの学がございません。そのような不調法な者が同座いたしましては、せっかくのお席を、白けさせてしまうばかりにございましょう。ですから、言葉ではなく、剣にて語り合いませんか」
剣という一語に、ドミニクの表情が強張った。まさかレオノーラが、この場で得物を持ち出すとは、思いも寄らなかったのだろう。額にうっすらと汗が浮く。ドミニクは、現騎士団長の中で、一番剣術が未熟であり、この廊下に居合わせた騎士たちと、ドミニクの連れの騎士の間に緊張が走る。
ドミニクは束の間、視線を泳がせ、それから、いかにも今この瞬間に思い当たったという体で、大仰に手を打ってみせた。
「誠に申し訳ない。実は今、愛用の剣を研ぎに出していてな。せっかく貴殿と打ち合いをするのに、鈍らでお相手するのはしのびない。次、しかるべき折に、ぜひとも胸をお借りしたい」
「左様でございますか。ではその時を指折り数えて待つといたしましょう」
最後の一言だけ、笑みの下から、ひやりとした刃を覗かせる。レオノーラは、道を塞ぐ騎士たちへと目を向けた。
無言の圧力が廊下の空気に圧し掛かる。塞いでいた騎士たちは、額に冷や汗を浮かべ、視線を逸らし、左右へ身を寄せた。真ん中にドミニクだけが行き場を失ったように取り残される。その顔が、屈辱で赤らんでいくのを、レオノーラは横目に見た。
レオノーラは、開いた道を悠然と歩き、誰にも一瞥をくれることなく、第二騎士団の詰め所へと入っていく。
詰め所の廊下を歩いていた騎士に、エディアルド殿はいるかと尋ねると、この時刻なら執務室にいらっしゃるはずだと言い、レオノーラを客間へ通してくれた。
勧められた椅子に腰を下ろし、エディアルドを待つ。廊下でのやり取りの名残が、胸の奥がざわついていたが、レオノーラは膝の上で手を組み、ゆっくりと息を整えた。
ややあって、扉が控えめに叩かれ、開いた。
「忙しいところをすまない」
「……いえ」
エディアルドは、ほんのりと頬を染めて、短く応じた。エディアルドは、扉を閉めると、レオノーラの向かいの椅子へとぎこちなく、足を進めた。
二人はテーブルを挟んで腰を下ろす。レオノーラもエディアルドも言葉を発することがなく、間が空く。窓の外から、剣戟の音と号令が途切れ途切れに届いてくる。室内の静けさが、その音を際立たせた。
レオノーラの頭の中では、ユリアンの言葉が、まだ消えずに巡っていたが、いつまでも俯いてはいられないと、意を決して顔を上げ、まっすぐにエディアルドを見た。
エディアルドは、顔を赤くして、じっとレオノーラを見つめていて、まるで、姿を目に焼きつけようとするかのように、ひたむきな眼差しだった。だが、視線がぶつかった途端、彼は、はっとしたように目を伏せ、大きな身体を縮め、落ち着かなげに指を組み替えた。節くれだった、剣を握るための無骨な指が幾度も絡み合う。
レオノーラの喉がカラカラに乾く。
「……先日の婚約の話はだが、お断りしたい」
言葉が硬く響き、エディアルドは、呆けたような顔をした。何を言われたのか、すぐには飲み込めないというふうに、目が見開かれる。組み替えていた指が止まった。
「正式な書状は、後日届けさせる」
レオノーラは深く頭を下げ、その一礼で、この場のすべてを断ち切るように立ち上がった。
――もう少し、気の利いた言い方はなかったのか。たった一言で切り捨てるようなこの物言いは、不誠実ではないか。
胸の内で自分をなじりながら、これ以上この部屋の空気に耐えられず、部屋を出ようと出口に向かう。その時、手首を掴まれた。
レオノーラは驚いて振り返る。
いつの間にか立ち上がったのか、エディアルドがすぐ間近にいた。体温が伝わってきそうな距離で、俯いたまま、レオノーラの手首を掴んだ手を離そうとしない。
「……私のことが、お嫌いですか」
絞り出すような、か細い声だった。俯いているせいで、表情は、乱れた前髪の陰に隠れて見えない。
「き、嫌いではない」
思わず、上ずった声が出た。掴まれた手首から、指の熱が、肌の内側へと染みてくる。
「では」と、エディアルドは続けてレオノーラに問うた。
「私がレオノーラ殿に、想いを告げた時……あの日、私が申し上げたことは、あなたの心に何ひとつ、残らなかったのでしょうか」
レオノーラは、あの日のことを思い返した。
跪かれ、五歳の頃からだと好きだと告げられ、剣を持たぬ男のたった一言で、石になったように動けなくなった、あの午後を。
「……驚いただけだった。それ以外はない」
エディアルドが、ゆっくりと顔を上げた。
泣き出す寸前の、途方に暮れた目がレオノーラを射た。歪んだ顔に、木の下で子猫を見上げて泣きそうな子供の面影が、透けて見えた気がした。十八年もの間、たった一人で想いを抱え続けてきた男の、長すぎる歳月の重みが滲み出ていた。
エディアルドを傷つけた罪悪感が、喉元までせり上がってくる。
「……離してくれ」
できるだけ、静かに言った。
エディアルドの指が、一本ずつ、解けていき、無言のまま、両手を力なく垂らして、立ち尽くしている。うなだれた大きな背中が、ひとまわり、小さくなったように見えた。
「失礼する」
レオノーラは、振り返らず客間を出た。
廊下を歩きながら、掴まれた手首が、じんと熱を持っているのに気づく。まだ、掴まれているかのように熱くて、レオノーラはもう片方の手で触れる。
熱はしばらく引かなかった。




