第十四話 転換②
やがて、頃合いを見て、皇帝がセヴランへ目をやった。
「セヴラン。しばし、三人だけにしてくれ」
「御意」
セヴランは、皇帝の意を汲み、扉の外の騎士たちにも退がるよう伝えると、みずからも一礼して、室を出ていく。扉が閉ざされ、室内に残ったのは皇帝、リヒャルト、レオノーラの三人だけになった。
皇帝の視線がレオノーラを据えた。
「さて、レオノーラ。私に話があるのだろう」
皇帝とリヒャルトは幼馴染であり、レオノーラやテオドルのことも実の子供のように可愛がってくれた。
しかし、その慈愛の裏には常に、アウレリア帝国の頂点に立つ者としての冷厳な色が潜んでいる。幼い頃からそれを肌で知っているレオノーラは、姿勢を正し、覚悟を込めて視線を押し返した。
「はい。陛下に折り入ってお願いがございます。御前試合を終えましたら、第一騎士団長の職を辞させていただきたく存じます」
「不足があると申すか」
「団長の任は身に余る誉れにございました。不足など一片もございません。ただ……」
一度、言葉を切る。
ここから先は、言いようを誤れば、皇帝の統べてきたものを軽んじることになりかねない。レオノーラは慎重に言葉を選んだ。
「旧セラフィナ王国との戦も終わり、世も少しずつ落ち着きを取り戻しつつあります。これからは、荒れた田畑を興し、飢えた民を養い、商いを巡らせること。剣ではなく、鍬とアバカスの働きが必要でございましょう。私のように戦場でしか用をなさない者の出番は、自ずと小さくなってまいります」
言いながら、レオノーラは、皇帝の目をまっすぐに見た。
「ならば、いたずらに俸給を食んで要職に留まるより、来たるべき時代に相応しき者へ譲るのが筋にございます」
戦向きにできた己という一個の器が、平らな世にそぐわなくなるのだと、矛先をレオノーラ自身へ向けて語った。
皇帝は、レオノーラを眺め、息を吐く。
「……惜しいな」
世辞ではない響きがあった。
「旧セラフィナ王国との戦が終わったとて、戦の火種が消えたわけではない。だからこそ、お前のような者がいれば心強いと思っていたが」
皇帝は、レオノーラの顔に翻意の余地を探したが、一分の揺らぎもなかった。
「仕方のない娘だ……団長の職、辞することを許す」
「ありがたき、幸せに存じます」
レオノーラが、深く頭を垂れ、その頭上へ、何気ない世間話のような響きで皇帝の声が、続けて降ってきた。
「それで。団長を辞した後はどうするつもりだ」
(……来た)
「北の国境警備所へ身を置きたいと考えております」
リヒャルトが息を呑む気配がした。
レオノーラは、リヒャルトの動揺を横目に、内心で溜飲を下げた。縁談の一件で、まんまと一杯食わされた意趣返しである。
垂れた頭の中に第一皇子との噂が巡る。
レオノーラが身一つで北部の辺境へ下れば、派閥争いに夢中な貴族たちも、レオノーラを盤上で踊れる駒として数えはしないだろう。噂はじきに立ち消えるはずだ。
顔を上げると、皇帝が何かを得心したような目で、レオノーラを見ていた。
「次に任せられる者は、育っているのか」
「副団長のマルクス・ウァレリウスをおいて他にはおりません」
マルクスの嫌そうな顔が、まざまざと浮かんだ。後で知られたら、さぞや恨み言を並べることだろうが、実力、人望においても、あの男を措いて、第一騎士団を託せる者はいなかった。
「マルクスか。覚えておこう」
皇帝は、あっさりと頷いた。
「では、御前試合の後、十一の月に退団式と新たな騎士団長の任命式を同日に執り行う」
レオノーラとしては、一日も早く北へ発ちたいのが本音であった。
だが、ここで無理を通すのは得策でない。戦後の後始末で誰もが忙殺されている時に、意地を通して退団を早めれば、後々角が立つ。引くべきところは、引いておくのが賢明であった。 何より、皇帝の瞳は「承諾」以外の言葉を一切受け付けぬという無言の圧を放っていた。
レオノーラは、再び深く頭を垂れた。
刻限となり、謁見を終えたレオノーラとリヒャルトは皇帝の御前を辞した。
来た道を戻って、跳ね橋の手前で別れを告げ、レオノーラが第一騎士団の詰所へ向かおうとした時、背後からリヒャルトが声をかける。
「レオノーラ。今日の昼なんだが」
「あいにく、本日は予定が立て込んでおります。お話は今夜、屋敷に戻られてからでも構いませんか?」
すかさず返された言葉に、リヒャルトはぐっと言葉を詰まらせた。
何か言いたげに眉をひそめたものの、最後は渋々といった様子で「……分かった」と小さく頷き、引き下がる。
父の背を見送ったレオノーラは、そのまま第一騎士団の詰め所へ向かった。訓練を終えた騎士たちの熱気と、威勢の良い挨拶がレオノーラを出迎える。彼女は肩の凝る正装の上着を脱ぎながら、マルクスの執務室へと向かった。
「マルクス。今日の昼、一緒に食わないか」
「珍しいこともあるものですね。場所はどこになさいますか」
「私の部屋で食べよう」
「承知しました。手配しておきます」
「助かる。ありがとう」
レオノーラはマルクスの執務室を出ると、自分の執務室へと戻った。
やがて昼食の時間となり、レオノーラの部屋に二人分の昼食が運ばれてくる。黒パンと腸詰が入ったスープである。手元の腸詰をナイフでひとくち大に切り分けながら、レオノーラは口を開いた。
「御前試合の後、団長の座を退くことにした。その後、私は北の国境警備所へ発つ」
マルクスのスープを飲む手が止まった。
「……は?」
「二十五歳までに辞めるというのを、少し繰り上げるだけだ」
「いや、待ってください、それは知っていますけど。まさか、再来月とは……」
「それでな、マルクス」
レオノーラは、努めて何気ない口調で続けた。
「陛下に、後任は育っているかと問われて、お前の名を挙げておいた。次の第一騎士団長はおそらくお前だ」
その瞬間、マルクスは盛大にむせた。裂いたパンの一片が、ちょうど喉を通りかけていたのである。ごほごほと激しく咳き込み、慌ててスープを飲んで、パンの欠片を流し込む。目には、うっすらと涙まで滲んでいた。
「げほっ……だ、団長っ! な、なんてことを……!」
「すまん」
レオノーラは、素直に頭を下げた。
「本当にすまない」
レオノーラのどこか寂しげに伏せられた目に、マルクスは続けようとした言葉を呑み込んだ。まだ少しむせながら、諦めたように笑った。
「……まったく。この猫の手も借りたいクソ忙しい時に、なんてことしてくれるんですか」
「存分に恨んでくれ」
「ええ、それはもう念入りに恨ませていただきます」
言いながらも、マルクスの声に棘はなく、レオノーラは気安い憎まれ口に、張り詰めていた肩の力が抜けていった。




