第十二話 狂熱④
「悪いが今は答えられない」
「話にならな——」
「もし、後ろ盾になってくれるのなら」
レオノーラはまっすぐにフォスカの目を見る。
「私の体を弄らせてやる」
その瞬間、フォスカの魔力がぶわりと膨れ上がった。
彼の足元のクゥオが歓喜するように跳ね、その体に宿した砂鉄が、きらきらと渦へ吸い寄せられていく。フォスカの土の魔力が、レオノーラの炎の渦に混じり込むと、橙一色だった渦が、みるみる赤褐色へと色を変えた。鉄を熔かす炉のような、赤黒く灼けた色である。混じり合った渦は、ばちばちと激しい火花を散らしながら、内側で反発し合って、いっそう嵩を増していく。火と土の二つの力が、ぶつかり合い、せめぎ合う音だった。
「今日はなんて素晴らしい日だ!」
フォスカが、天を仰いで叫んだ。先ほどまでの気だるげな男は、どこにもいない。恋する乙女のように瞳を潤ませ、レオノーラの手を取ると、赤褐色の渦の中で、くるりとステップを踏んだ。
「痛いのは嫌だからな」
レオノーラは、フォスカの足に合わせて、ワルツのステップを踏む。
「安心したまえ。親友に痛い思いなどさせるものか!」
「いつから私は、お前の親友になったんだ」
フォスカが本気で喜んでいることだけは、痛いほど伝わってくる。
以前から、レオノーラの体に宿る力の在り方を調べさせてほしいと、事あるごとにせがんでいた。火の三精霊を同時に侍らせる燃費の良さ、右目を通して上級精霊と同期する使役の方法。どれも、フォスカにとっては、喉から手が出るほどの研究材料だった。
「なに、簡単なことだ」
くるりとレオノーラを回しながら、フォスカは、うっとりと目を細めて言った。
「雪山で一ヶ月ほど過ごしてもらったり、気絶するまで魔力を放出してもらったり、その程度のことさ」
「……前言を撤回したくなってきた」
「ふふ、今さらかい?」
レオノーラは、思わず眉間に皺を寄せた。
フォスカの言う「その程度」を、額面通りに受け取ってはいけないことを経験から知っていた。ただ、それで後ろ盾が手に入るのなら、安いものだと、腹をくくるほかなかった。
ステップの足を止めると、フォスカはレオノーラの手を放さないまま、金色の右目を、覗き込んだ。赤褐色の渦の光を映して、金の瞳がちらちらと揺れている。
「上級精霊のイグナロスと、いったいどうやって契約したのか。僕はずうっと知りたかったんだ。セラフィナ王国式の融合でも、ヴァレンティア王国式の隷属でもない。精霊と同期するなんて、僕は君以外知らない」
レオノーラは、右の瞳を金色に光らせたまま、口の端を上げた。
「後ろ盾になってくれたら教えてやってもいい」
フォスカは、心底楽しそうに声を立てて笑った。
「餌をぶら下げて、僕を釣ろうというわけだ。いいだろう、乗ってやろうじゃないか」
放されたレオノーラの手が、宙にぽつりと残される。
フォスカは、恭しく胸に手を当て、大仰な仕草で頭を垂れた。慇懃無礼ないつもの芝居がかった礼である。だが、言葉だけは、珍しくまっすぐだった。
「フォスカ・ヴェルレーヌ。謹んでお受けいたしましょう……ただし、約束を忘れたら、雪山滞在を二ヶ月に増やすからね」
「お前も途中で飽きるのは無しだからな」
「それは君が僕を飽きさせなければいい」
フォスカ・ヴェルレーヌは、金や権力で寝返るような男ではない。己の好奇心を刺激する事柄であれば、喜んで手を貸してくれるだろう。だが、その好奇心を満たせなくなった時こそ、注意しなければならないとレオノーラは思った。
レオノーラの金色に灼けていた右の瞳が翠瞳へと戻っていく。それに応じて、宙に浮かぶ金赤色の光球が一度大きく脈打った。
(対価を忘れるなよ、レオノーラ)
その声を最後に、イグナロスの光球は、ふっとかき消え、天井まで届いていた赤褐色の渦が静かに解けていく。炎の壁が消え去ると、羊皮紙とインクを手にした団員たちが、なだれ込む寸前の姿勢でひしめき合っている。勢い余って、数人がつんのめった。
「ヴィンターフェルト団長、渦の術式を、どうかお聞かせ願えませんか!」
「魔法式の解説をなにとぞっ」
殺到する団員たちを、フォスカが、しっし、と手で追い払う。
「ほら、観測会はお終いだ。彼女は僕の大事な友人になったんだからね。おいそれと触るんじゃないよ」
その言い草に、レオノーラは思わず胡乱な視線を向けたが、フォスカは涼しい顔で受け流した。友人という言葉に団員たちが色めき立っているのも、もはや突っ込む気すら起きない。彼らがフォスカを取り囲んで騒ぐ様を半ば呆れて眺めていると、ふいにズボンを引っ張られた。視線を落とすと、イグニルがじっと彼女を見上げていた。
「おはなしおわった?」
心細げな声に張り詰めていたものが、ふっと緩むのを感じた。レオノーラは膝を折り、イグニルを抱き上げる。
「待たせたな。帰ろうか」
イグニルの顔が、ぱっと輝く。火の粉は嬉しそうに、ぱちぱちと爆ぜた。その無邪気な喜びようを見ていると、この先に待ち受ける面倒事も、ほんの束の間だけ遠い出来事のように思えた。
「用が済んだならオレも帰るぜ」
「今日は助かったよ。ありがとう、イグレオス」
イグレオスの身体が急速に実体を失っていき、一つの光球へと縮んだかと思った瞬間、パンと弾けて空気の中に溶けていった。
喧騒と熱に包まれた稽古場に背を向け、レオノーラは重い扉を閉めた。途端に冷たい廊下の空気が彼女の肌を撫で、先ほどまでの熱気が嘘のように遠ざかっていった。




