彼岸を見た者 3-4.満影よしこと、傲慢さ
満影よしこは途方もない絶望に苛まれていた。彼女は両脚を失っていた。といってもひざから上は無事、無くなったのは両の足首だった。彼女は屋外でタクシーに吹っ飛ばされた。勢いでがんと両の足を打撃し、まもなく足の甲を強く車に踏み潰された。彼女は個人的な恨みを買っていた。その相手はタクシーの運転手で、地方に少ない客席乗用車に何度も繰り返し乗車し、同じ運転手だからと色々と便宜を図ってもらっていたのだ。私がいなければ仕事はどうなる。まともな給料を払ってもらえんぞと言いながら。確かに彼女は金持ちで、金融を営んでいたがインターネット上に展開する事業のためにパソコン一つで都市部にいなくても済んだ。彼女はある程度わがままの言える小町に自分の支配域を拡大しようとした。金に物を言わせた選挙支援などで彼女にすり寄る町民は少なくなかった。
怒りも買った。彼女はどこ吹く風だったが、直接にその運転手にくらわされたのだ。法律は彼女を守るだろうが物理的な攻撃をそれは防がなかった。彼女は再生不可能と断定された両の足首をやむなく切ることになったが、車椅子になっても、義足を付けても、リハビリをしても十分にその後の生活をまかなえるはずだった。だが、殊更に自分の足で動けないということがすこぶる深刻な絶望へと彼女をつなげた。逃げられないからだ。怒りを買ったとて高飛びができない。彼女はそう捉えた。実際はいくらでも人の手を借りてそうできるはずが、自分の足で逃げられないといった感覚に、彼女は気を失った。
それでも車椅子は用意され、彼女がその気になれば、義足による歩行の訓練も受けられる。彼女は前向きな気持ちにならないまま後の生活を過ごした。若干彼女の傲慢な性格にこの事件は変化をもたらした。タクシーの運転手に特に彼女は態度を改めた。先の運転手は当然刑事罰を課せられたが、それでも彼女から示談を持ちかけるほど何とか手を尽くそうと努めた。まるで人が変わったようになった彼女だったがそれは両足を失って逃げられぬ人間に自分がなってしまったと思ったからだった。強圧的な手段が取れなくなったのはそれが人の心を逆撫でするため、否応なく反撃を受けた場合に、それを防げなくなったためだった。
彼女はいつも逃げられる空間に自分はいて、それが高圧的な自分の態度につながっていたのだと猛省した。逃げ場を失った彼女は急激に謙虚な態度を取り始めた。彼女は自分が起こした金融の事業から手を引いた。役員として名前は残るが経営の方針に一切口を出さなくなった。
彼女はまもなく結婚した。お相手は婚活パーティで出会った人だったが、彼女のように、相手もまた両脚を失っていた。二人は共感するものをお互いに感じ、運命の巡り会わせを思い、とんとん拍子に結婚までこぎ着けた。
二人には子供ができた。四朗、虹、明良とそれぞれに名前を付けた。大好きな作家から拝借した名前だった。二人は睦まじく生活したが、ある時、よしこが怪我をした。彼女は義足を用い台所に立っていたがまったくの不注意で手を切ってしまった。怯えたような声を出した彼女に夫が駆け寄った。手は大した傷ではなかった。しかし蒼白となった妻の顔に旦那はただならぬものを感じた。
台所から彼女を引き離し、寝床へ体を落ち着けると、よしこは憑き物の落ちたような顔をして寝入った。そしてあの緑色の扉をその夢の中で押し開けた。




