彼岸を見た者 異界3-2.赦(ゆる)し
そこは暗い穴蔵のようだった。彼は目を上げた。そして絶叫した。空中に吊るされた、死体が何体もあったからだ。彼は死体を見慣れなかった。そして死体をほとんど忌避した。牧師になる修業の上で、何度もそれを見、慰めの言葉もかけていたのに。彼は修行中にそれを見て吐いていた。どんな遺骸も、綺麗に死に化粧をした者でも。そして彼は妹の死を思い出さなかった。妹の遺骸は見るに耐えないものだったから、写真がその顔に貼られたものが棺桶に納められていたのだ。彼は妹の死に様を見ていない。
彼は空中にぶら下がる死体のツリーに目を伏せた。そしてここはどこだろうと思った。この世にこんな場所があるはずがない。そう思った彼は再び目を上げたが、もの言わぬ死体が、依然そこに放置されていた。彼は馬鹿になった。狂った。どうしても現状を呑み込むことができず、心を肉体から遠ざけた。気がつくと彼は湖に浮かんでいた。冷たい湖。しかし浮かぶことができた。立ち泳ぎで彼は身体を垂直にしていたが、彼の見ていない水底にはたくさんの死体が沈められていた。
彼ははっきりとここがあの世であると分かった。自分は死んだのだ。きっと死んだのだと。そして水底を見つめた。人間の頭だけがそこにぽつらぽつらとあり、彼にはそれが何だか分からない。しかし彼は自分がどう死んだのか分からなかった。彼はついに自分の許しを天に求めた。
どうしてだか分からないが、彼は天に許されたく思った。その時の相手は神でもなく、救い主でもなかった。彼はどのようにすれば許されるだろうと思った。しかし彼は誰かを許したことがあっただろうか。許されざる思いというものを持ったことがあっただろうか。彼の感情は希薄で何も浮かばない。彼は自分に感情がないことをこの時に初めて知った。
しかし彼は人間に感情があることを知っている。だから妹をあんな風に追いつめることができた。彼は自分に感情よ宿れと思った。だがそんなことはあの世だからできることだ。彼は現実には一切の感情を覚えることができなかった。
彼は許しを請うた。彼は自分に感情がないのはそう罰せられているからだと思った。彼は弥勒観音にそれを願った。キリスト教でもない、ましてや一体でもない二人の菩薩に。彼は自分がどのようにしてこの世に生まれてきたか想像した。彼はどこか欠けた存在として生まれてきたに違いないと思った。だが今芽生えているのは紛れもなく感情だった。
感情とは喜怒哀楽を指すのではなかった。それは人間の中心に存在するある物語、それは彼の心と体をかたちづくるものだった。彼は今まで感情はなかったが、急に自分中心の物語を描き出すことができるようになった。それまでは他者中心だったのだ。彼はその他者を自由に操ることができたが、自分こそ操れなかった。自分こそ意志の中央に持ってくることができなかった。
それはたくさんの人間に当てはまることだった。自分はどういう人間だと言っても、それは他者に与る身の上で、一切の自分というものを把握した上で語っているのではない。しかしそれは自然なことで、自分は常に他者と共存していた。彼は共存というものを知らない。だから感情を知らなかった。
彼は初めて共存というものを感じられる立場になった。彼はそれを恐ろしく思った。なぜなら存在は自立し、唯一のものだと知っていたからだ。彼は自分も自立し存在していることにようやく初めて気がついた。
彼は、ようやく自分と妹とが対等の立場であることに思いが至った。彼はようやく、初めて自分が彼女に致した全ての行動の意味を確かめられた。彼は震えた。自分が傷つくという体験をした。彼は懺悔にわなないた。彼は自分が死んだことを悔やんだ。彼はもっと生きている時間にすべきことがあったことに気がついた。
彼の懊悩はこの時にやっと実を結ぶ。彼は初めて宗教者としての自覚に目覚めた。彼は夢から醒めた。この世に帰り、彼に任せられた、教会のがらんとした空間に再びあっと強烈に叫んだ。しかしその時の叫びは喜びの声だったに違いない。彼の目の前に、ぼんやりとだが、人が見えた。そこにはいない、しかしそこにいる、幻のような老人がいた。




