四人の高校生の場合 3.飛石さすがと、ボクシング
彼女のように、医者から長い道のりを自転車で走ることを提示された高校生がもう一人いた。彼女の名前は飛石さすがといった。一見すると仰々しい名前だがその身体能力も仰々しかった。彼女は無敵の異名を取るほどボクシングが強かった。年上の男の子を殴り飛ばしたこともあった。彼女には女子のファンがとても多い。なぜなら後ろに纏めた長髪は艶やかで人目を引くし、顔も中性的で整っていたからだ。彼女の両親は元プロボクサー、元卓球選手とどちらも抜群の運動神経の所持者で、二人はこの町のスポーツ施設で出会った。さすがには二人の姉がいたが、どちらも現在現役の選手として活躍している。長女はクライミングを、次女はサッカーを志し、二人とも国家代表にまで上り詰めていた。彼女も期待される逸材だったが、その両足を怪我していた。対戦相手に思いっきり踏まれたのだ。その相手は退場処分となったが、リング上で意図的にさすがの足の甲に全体重はおろか、勢いをつけてそれに飛び乗る悪質な行為だった。さすがは常に対戦する選手にはリスペクトを忘れないボクサーだった。四方をロープで囲まれた狭い空間に同乗した、相手と自分は特別な関係にあると思って試合に臨んでいた。彼女はいつも試合を心から楽しんでいた。楽勝もあれば苦戦もあるなか、対戦相手の実力を認め、彼女も自分の実力を見せつける、両者の純粋な力のぶつけ合いが何よりも快感で、観客からの拍手はその切磋琢磨する試合を見せて貰えるものと思っていた。事実、彼女の試合はアマチュアにもかかわらず満席になるほど盛況で、彼女の学校からもたくさんの応援団がやって来ていた。
そんな彼女に怪我をさせた選手は、しかしながら同じ学校の生徒だった。向こうにもたくさんの応援者がいた。さすがはいつものようにリスペクトを忘れず相手と拳を交えたが、相手はそうではなかったらしい。向こうには焦燥があった。
明らかに対戦相手は試合を早く終えようとしていた。無謀とも言える飛び込みと連打を繰り返し、さすがも経験したことのないほどの圧力を与えてきた。さすがはびっくりして、猛打に出てきた相手の攻撃をよく観察しようと、序盤は防御に徹した。そのおかげで試合時間は延びていった。対戦相手には弟がいた。彼女の弟は姉に脅しをかけていた。二人は養護施設の出身で、親から離れて育てられていた。弟は姉にこう言った。「自分の将来は姉さんが決めるんだ。姉さんが間違いなくプロボクサーで生計が立てられるなら、自分の将来はその姉さんのセコンドにつくことにするよ。もしそうじゃなくなったら、俺が姉さんを養うことにする。俺が姉さんの将来を決めるからね」と。姉弟はこの町ではない、大きな街の保護施設で暮らしていた。姉が特待生として学校の寮に住み込むことになり、二人は離れ離れになったが、弟も中学卒業をきっかけに施設を出ていた。彼は非合法組織の世話になっていた。姉は、さすがと対戦するこの試合に勝たなければ、弟からその将来を見限ると言われていた。アマチュアの試合で、かつ同校の生徒同士の対戦で彼がそこまで言ったのは、彼の目にも明らかにさすがの方が実力があって、遅かれ早かれ姉の将来の希望は絶たれると判っていたからだった。
姉はほとんど最後の抵抗を試みた。彼女は強い自分を弟に見せ続け、人間の暗部に惹かれるようになった彼を光の生活に引っ張り上げようとしていた。だが弟は姉よりも強さでいえば遥かに凌駕するであろう存在を、自分で見出していた。彼は社会から疎外されながらも生き抜く暴力団に、彼が求める力を見取っていたのだった。彼の姉は、そうした深い孤独に陥った自分の年下の弟を、自分が自分よりも強い相手を倒すことで、自分の方が、彼が身を寄せている相手よりももっと強いんだと、見せつけなければならなかった。彼女はさすがに反撃も許さないほど猛然と攻撃し、そして疲弊した。さすがの防御は完璧だった。彼女はもう残された体力はほとんどなくなってしまったと感じた。その時だった。彼女は両足を揃えて、思いっきり前に飛び出した。まるごと体をぶつけんばかりに、前進した。インファイトなら勝てるチャンスがあると考えての飛び出しではなかった。バッティングも辞さないそれ以上の近距離まで突っ込んでいた。繰り出した拳は空を切った。ただ単に体重を乗せた一撃は、まだ防御を固めた相手にはスピードがなくかわしやすい攻撃だった。しかし両者の膝同士ががつんとぶつかり、さすがの脚はぐらついた。彼女はここだとさらに一歩踏み出した。すると相手の足の甲に自分の足が乗った。
彼女はばれない範囲で、ばれない範囲で、と思った。さすがの態勢さえ崩せれば、自分のパンチが入る。片足が相手に乗っている状態で、さらに彼女は、もう片方の足も前に出した。両足が乗った。その爪先にぎゅっと力が入った。その時にはもう、さすがの両足の甲にはひびが入った。
審判が慌てて試合をストップした。騒然とした空気の中、反則負けが宣言された。怪我は幸いそれほど深刻なものではなかった。時間はかかるが完治までに重要な試合もなかった。さすがは治療に専念した。そして対戦相手から受けたルールを無視した思わぬ攻撃に、収まらない動揺を、なんとかしようとスポーツセラピーにも通った。それでも、足の怪我が治っても心は億劫なままだった。彼女はリングには上らず、違うスポーツでリフレッシュしようと努めた。しかしうまくいかず、彼女は一対一や、集団対集団の形式を取るものではなく、自分を見つめ直すような、個人種目的なことをしてみようと思い立った。それまでは、ボクシングと異なっても相手がいる方が感覚として充実感があるだろうという運動をばかり試していたが、それは諦めた。彼女は医師と相談して、それならばと気軽なサイクリングなんかどうだろうと提案された。
しかしさすがはなんだか一人でやることはどうしても違うと感じた。仲間がいれば。彼女はそう思った。つまり、一緒に自転車を漕いでくれる仲間がいれば。折りしも彼女のように、部活動に足踏みした人間が同じセラピーの元を訪れていた。彼女は水野まちこを紹介された。




