彼岸を見た者 異界3-1.遠ざけてきたもの
そこは激しい作業場だった。いつもなら管理人がいるのにその時はいなく、方々で金敷に鉄を打っているのに「まだだ。まだだ!」と騒いでいる。そこは鉄の加工場のようだったが人が多過ぎる。火の粉が飛んでもよけられず、黒い手袋をはめて黒い顔をした連中が各々のやっとこを握ってハンマーを打ちつけていた。鉄は繰り返し炉へ入れられ、熱せられて光を放ちながら金敷に戻ってくるのだが、彼らはそれをどのように加工したらいいか分からない。ただ折り畳み、くっつけて、ひしゃげさせているのだった。
確かにそれで不純物は取り除ける。鉄は打てば打つほど真鉄が見えてくる。そして一級品の商品ができ上がるのだが、勿論時間がかかる。頃合を見てその打ち方をやめろと号令がかかるはずだった。人々は一心不乱に打ちつけるだけで、誰もこの作業をやめさせようとしない。彼らは突然、床に倒れた。もう限界が来たのだ。
つよしもまた、その場に崩れた。そして動けなくなった。しんとした作業場に白い服の男が現れた。彼は門番で、この作業場の出入り口を預かっていた。彼は次々と倒れた作業員たちを外へ運んでいった。そして外に野ざらしにした。つよしも両腕を引っ張られ、外に出されたが、そのぞんざいな扱いに一言も不平を言わず、なすがままになっていた。太陽の照りつける床石の上で、仰向けに寝転がると、今まで自分は何をしていたんだろうと疑問が津波のように押し寄せてきた。そして自分は確かに働くことに誇りを持っていたが、本当に誇りを持っていたんだろうかと考え出した。
彼はこんなこと現実では一笑に付すような考えだろうと思った。働く上で、そんなこと気にしていられない。何かを信じるのではなく、ただ一生懸命に働く。それが大事だと思っていたからだ。しかしそうではなかった。彼の夢は彼にもう少し自由なものの考え方をさせた。つまり本当はどうだったのかということだ。
彼は、人に、尋ねたことがなかった。何のために働くのかと。勿論その解答は人によって違うだろう。家族のため、自分のため、あるいはその仕事のため、世のため人のためと、自ずと個人個人の置かれた状況によって、異なってくるものだとも、彼は思っていた。だから自分にとって、働くことは、何よりも大事なんだというだけで十分だった。その理由を人と比べたりしない。刺激を受けたりもしない。ところが、その思想は、万人を受けつけないものだった。彼一人が満足し、その信仰のために、命も捨てられる覚悟のあるものだった。彼は危機を経験していない。大切な労働を失う機会を一度も味わっていない。そうならないように、気を使っていたことは確かだ。健康に、環境に良い条件を整えさせて、今まで頑張ってきた。
彼は、そうして今まで何かから逃げていたことに気づかなかった。迷うこと、真剣に悩むことに。彼は悩みこそ放棄してきた。悩むことが大事だと考えなかった。
彼の前に、一人の青年が立っていた。青年は非常な悩みを抱えていた。それこそ、彼のように、一生涯を賭してもやり抜くだけの価値のある、極めて重い懊悩を。そして、つよしのように、迷うことなくその迷いに邁進した。




