彼岸を見た者 3-1.見城つよしと、労働
見城つよしは働く作業員だった。というのも作業員は他にもいたが、彼の場合働くということを強く意識した。働くということは、心身健康にするもので、なくてはならない行いだということだった。
つまり、定年後も、老いても、働き続けるということが大事だった。彼はこの方旅行などに出ていない。趣味も持ち合わせていない。働くことが信条だから、その他のことは二の次らしい。どんなことも、労働に結びつけ、ぬかりがなかった。ただ食べることすらも、労働にとってどんな栄養素が大事で、足りないものがないように気をつけていたし、休憩も、働くために必要なインターバルで、どんな作業もしっかりと集中してこなすために、労働以外の時間がどれだけ大事かということを彼は突き詰めていた。
ところがこの生真面目なルーティンが崩れることがあった。彼は結婚していて、子供もいたが、家族旅行などは一度も行ったことがなかったので、子供からは父親らしいことをしたことがないと批判されていた。子供ももう立派に成長していて、彼の背丈を超え、収入を超え、奥さんももらうようになった。彼に孫が生まれたのだ。ようやく、待望の孫だった。彼は婚期も遅く、子供に子が生まれるのも遅かったから、随分年老いてからの初孫だった。彼は孫こそ生まれてくれば、自分は働くことを見直そうと思っていた。ようやく落ち着ける気分になるのはその後だと分かっていたのだ。
彼は自分の孫を見てようやく自分が働けなくなる想像をした。この方ずっと働きずくめで、一度もそうした想像をしなかった彼が、老いと、体力を理由に労働時間も縮めなかった彼が、野球選手がグローブを置くように、まるで引退を考えた。そして彼はようやく働くことから頭が離れられると思った。彼はてつやたちの暮らすスポーツの盛んな町にいたが、目にするスポーツ選手たちから、もしかしたら多分に刺激をもらっていたかもしれない。彼の、働くことに関する取り組みは、あたかもアスリートが実践するもののようだったからだ。そして彼らのように引退を考えた時、次に何をするかの捜索が始まった。まるで捜し物を見つけるかのように、彼の中での思索が発動したのだ。
そして彼は迷った。つまり、仕事を辞めるかどうかを迷った。どうしてそんな根元のところを迷ったのかというと、結局は全て仕事なのではないかと思ったからだ。どんなことも仕事。たとえ家事を手伝うようになったとしても、孫の面倒を見るようになったとしても、これから旅行に行くことになったとしても、自分のルーティンの癖、考え方は変わらない。多分、どんな時も自分は効率のよいやり方を見つけ出し、そのための工夫を発案し、どこまでも努力してしまう姿勢を見せてしまうだろう。つまり、働くということは、ほとんど自分の生き方で、これをなおざりにしながら余生を生きるなどまったく考えられないということに、彼は気づいたのだ。
そんな彼は真っ直ぐで純粋で、人から慕われるような性格だった。自分の子供にこそ疎んじられても、誰とも態度を変えないその姿勢は周りから信頼された。彼は会社から表彰されたこともあった。人望も厚く、誰も彼を責めたりしない。
ところが急に体調が崩れ、ある時彼は入院した。たくさんの血便が出た。彼の身体は健康そのものだったが隠れていた病が一挙に噴き出たということもなく、なぜかある時にぐらっと崩れた。彼は点滴を受けた。呼吸困難となった。そして不思議な世界に迷い込んだ。




