四人の高校生の場合 彼此岸の旅1-7.2022年二月より
しかしそれは二十年後の未来だった。彼らはまだ生まれてもいなかった。そして重要なのは彼らがある時代に全く別の冒険を繰り広げた後に、そこに生まれ、そこで育ち、それぞれの高校生の夏を迎えたということだった。まだ彼らが新しい時代にその命を得る資格を得ていなった時に、ひどい戦争の最中に巻き込まれ、ある者は武器を手に取り、ある者は目の前の病人を看護していた。
その時代において、彼らにとってその成り行きはまったく新しい冒険だった。それぞれに彼らは運命に対抗し、立ち向かい活躍した。しかしとうとう死んでしまい、その魂は永劫の輪廻を辿り再び復活したが、強い彼らの意志は彼ら自身をその育ちへ、その被害へ、そのまた新しい冒険へと導いた。
彼らは大人しくその輪廻へ回帰したが、依然、戦争の世界に、争い殺し合う世界に居座る者がいた。そのような苦しくつらい世界から逃れられないのは、その世界でも満足するもの、自己実現ができるものを得ていたから、というよりは、自身が犠牲者だと考えているからだった。だが、そんな者たちがいわばそこから解脱する門は常に開いていた。彼らは迷っている、というより、好んでそこで生活をしていた。変わることが恐ろしかったからだ。不変を望む者こそ争いを好き好んで行う。変わるために戦うのではなく、変わらぬために人を傷つけた。変わるためには負けねばならなかった。変化するとは世界の受容で、取引の末に実現する到達点だったのだ。
勝つと、世界と取引ができなくなる。勝てば、負けることがその先に待たれる。勝てば、変わることができなくなる。陰陽のように流転し他と交わることができない。ますます、変わらぬことを望む。(そして他を滅亡したくなりうる。)それは一種の魔法だった。他者にも己にも掛ける魔法だった。
負けた者たちが、この世に転生しそこで成長した。勝てないと分かった者たちが、世界を受容し強くなった。「汝の欲することを為せ」という格率は、世界と共に生きる生き方を人それぞれに用意する。世界はまだ、皆がここまで来ていなかった。皆が…というならば、来られていない者たちがまだいる、ともいえた。この物語は、2022年、二月、ロシアがウクライナ侵攻を試みた時分からほぼ始まる。自分たちを犠牲者だと思う者たちが世界に刃を向け出した時から。彼らはまだ世界と自分たちが共にどう生きたらいいか分からない。だが
昔、彼らのような運命を辿った国はいくつもある。勝てず、負けた国々。何を受容するか。どう他者と生きるか。その姿勢は勝ち続ける者たちには弱さと見られ、その者たちには受け入れられぬ態度となるが、それは弱さではなく、途轍もない強さである。
本当の世界を創り続け、維持する強さである。




