四人の高校生の場合 彼此岸の旅1-6.格率
保母になる、とは考えたことがなかった。ましてや教育者など。自分が何かを教えられる立場になるなど、望んだことがなかった。しかし、急速に進む自分の認識は、そうして何かを指して、探し続けた。自分は何になりたいのだろう。唐突に現れたように見えるその願望は、誰もが、その年齢に感じたことのある未来への欲求だった。自分は何になりたいのだろう。てつやは自分が何になるのではなく、自分が世話するものが、何かになればいいと思ったが。まちこは自分と何かがどうなればいいんだろう、どうなっていけばいいんだろうというところまで考えていた。正しい姿勢さえ整えられれば、射出はうまくいく。そうしたことを、たっぷりと部活動で学んでいた彼女は、自分がそうした自分と相手のいる物事を深く捉えているとは思わなかった。
しかし、だんだんと彼女はそのことが分かってきた。てつやほど、具体的に自分が何になりたいかは分かってこなかったが、漠然とだが、将来の夢が芽生え出している自分を感じるようになった。
そして、さすがは、咲き誇る花と葉と、散っていくそれらを見ながら、今自分がこうしていることは、対戦して、私に怪我を負わせたあの子のお陰かもしれないと思い出した。それはまったく思いもかけない認識だった。怪我させられた相手に感謝する?どうして感謝しなければならない?だって相手は私に未だに謝りもしていない。それに、どうしてあんなことをしたのかこちらから尋ねたくなったって、自分は相手を許せるものかどうか分からない。私はあの子を責めたいと思わない。何か事情があったのだろう、本当の事を知りたい。そう思うだけだ。
なのに震える自分がいる。今こうして、散った後の桜の花びらを見つめて、どんなことも、咲き誇り散ってしまうことなのではないかと感じてしまう。あの玉を持って、大木になる前の不思議な球体を抱えて、それがあまりに素晴らしい感触で、一度抱き締めたそれは、なぜか、何度も抱き締められるものに感じた。さすがはあの玉を地面に置いて、そこから一対の巨木がめきめきと育って、見事な咲き誇りを見せてくれたのだが、それは、私がここにいることで出会うことのできたことだったと、急に思い出したのだ。
彼女は、勿論対戦相手とリスペクトし合う中で、ボクシングの試合を繰り広げていたと思っていた。それはたくさんの指導者たちが、そしてたくさんの現役のボクサーたちが、言っていることだった。格闘技の世界は試合前に罵り合いの会見を開くことも、多々あった。しかしそうして罵り合い、互いの気力を引き出し合うことを、前提にして行われることだった。その決着は、リングの上で付けるから。その決着を、リングで付けることの宣言でもあった。つまり、相手がいて罵倒ができる。罵っている。さすがはそれを見ていて不思議と見ている側が不快にならないのは、あらゆる怒りや暴力が、試合の中に消化されることを約束されているからだと感じた。それこそ、ルールに則っているのだ。
あの子は何を前提にして自分を怪我させたのか。理由は知りたいが、比較的そんなことはどうでもよかった。あれも試合だった。結果はあの試合の中断となったが、何かのルールに則った、ちゃんとしたゲームだった。そう思った時、彼女は自分がどうしたいのか急に判ってきた気がした。
世界にはルールがあると、いう観念があります。それは生まれる前から存在しているように見えます。そして、今ここでつくり上げる必要のあることだとも見られます。しかし、元々はそんなものはなかったと、考えることもできます。それは、見方や見え方によって存在するしないを変えてしまわれるものでした。
ですが、四人の子供たちはそれぞれに、彼らにしか分からないルールに気がつきました。それは決して誰にも当てはまる万能なルールではありません。格率、というものでした。自分自身が実は、こんな基準で動いていたという。意識しなかった行動のルールに、人はみんな従っています。自分だけの、行動規範。それは決して自分で指定できるものではなく、自分に求めるものでもなく、誰かに決められるものでもないものでした。もの自然に、本当の発露として行動に現れるものでした。
それは、人が自分に自信を持つために大切なものでしたが、人は、自分を超えたより大きなルールに身を預けたく思います。ところが、多分な反抗期も経験しながら。
しかし、ルールとは、自分だけに適応するものではなく、大勢の中にいる自分に適応されるものでした。自分だけの、格率は、大勢の中にいる自分自身に当てはまるものでした。
あれも試合だったと思ったさすがは、きちんと対戦相手に尋ねてみようと思った。しかし、その回答の結果がどうであれ、彼女は構うまいと感じた。むしろ、相手にそのことを訊くこと、相手にその回答の機会を与えること自体が、自分の目的になるのだと感じた。自分のために、相手に訊くのではない。その相手のために、自分が訊きに行くのだと判った。
だから、どんな結果が待ち受けていても構わなかった。謝りが欲しいのではない。言い訳を貰いたいのでもない。そして、ちゃんとした理由を聞きたいのでもない。あの時の試合はまだ続いていた。何かの、ルールに、則って。




