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四人の高校生の場合 彼此岸の旅1-4.芽吹くまで

 そのもう一人の彼は手に持った白球をぶつけてきた。自分の、胸に当たり、跳ね返るボールをしげおは驚いた目で見つめた。どうやら彼のもう一人の自分は怒っているようだった。何とはなしに彼はもう一人の自分のその意図を感じた。終わっていいのか。このままで終了していいのか。と、もう一人の彼は訴えている。新しく踏み出す道。その道程にはこれまでの彼を煩わせるものは一切なく、真っ直ぐに延びている。確かにその道は新しく、踏む靴の跡など見えない。そう、この新しすぎる道、まったく汚れていない道に、もう一人の彼は違和感を感じていた。というのも、彼は今まで泥だらけの地面で、白い球を追いかけ、汗にまみれていたからだ。そしてそれは彼一人だけが浴びている汚れではなかった。彼は一度もかつての仲間に「野球を辞める」とは告げていなかった。

 もう二度と白球は追えない。そしてバットも振ることもできない。片目になった彼はそうしたことを分かりながら、どうしても野球部を辞めるとは言えなかった。事実上、除籍されているだろう。彼だって戻るつもりはない。それに、チームメイトたちは怪我をした直後の彼を励ましてくれた。随分心配してくれた。その温かみを、熱を、まだ覚えている。しかし、それ以来彼らには会っていない。向こうも結果的に学校を変えざるをえなくなった彼に遠慮も大分あったはずで、彼と後に連絡を取るタイミングも図っていたことだろう。だが彼はそんなことは頭の中に入っていない。戻るつもりはもうないと、あの中に自分は帰ることはできないと、仲間たちの中に居場所はもうないものだと、汚れたユニフォームの中に、もう。

 辞めるのか?と、脳裏でもう一人の彼が言った。お前はあのグラウンドに立つことを辞めるのか?そうでなければ、何になる?彼は何にもなれないような気がした。彼は、唯一無二の選択肢を取り上げられた気分になった。そして言いようのない悔しさが滲み出た。

 彼はこの悔しさに追いかけられた。そしてこの悔恨に追い詰められた。彼は選択肢などなかったと気づいたのである。つまり、野球を辞めた俺は、もう俺ではなくなったことを。

 彼はもう一人の彼になっていた。すなわち、彼の目の前に突如現れた、白い球を持つ者に。彼は、両目を開けていた。両目を開けて、片目のもう一人の自分を見つめた。もう一人の自分は、今の、あるいは未来の自分だった。過去に戻った彼は、自分を、もう一人の自分を、今の、未来の自分を、ひどく恨んでいた。

 さっと彼の周りに不思議な影が集合した。この火山の真ん前に来る前に、彼が夢見た、大勢の群集が彼の周りにつどった。彼は、この群れの司令官だった。彼は、弱い者をなぶり殺しにするために、この群集を操った。また、敵に対抗すべく、命令を飛ばした。などと彼は感じたが、勿論事実は正確ではない。今の彼が、そのように勘違いした。記憶が前後したのだ。彼はその群集と共に煮え滾る湯に溶けていき、跡形もなくなり、今の彼になり、そして過去の怪我する前の彼になった。

 彼は自分が一人で真新しい世界に行くことを嫌った。彼は、ただ一人でそのような新しい真っ白な道を行くことを世界から強いられたが、今まで通り、誰かと一緒に、汚れながらも進みたく思った。しかし今の彼は――怪我をした後の片目の彼は――なんとも冷静に過去の自分を見つめていた。何を考えているのか、全てを窺っていた。彼は――過去の彼は、目の前が真っ白になった。ぱっちり開いた二つの目は、急に暗くなり、現在の彼が見ている前で両眼とも静かに引っ込んでいった。その眼窩が奥まり、目玉がなくなり、ただの穴の空いた頭骨となった。その体は周りの不思議な影の群集に紛れながら、彼らが湯の中で分解していった時のように、空中に溶け、まったくそこからいなくなった。

 彼は、現在の彼に意識を戻した。現在の彼は、このもう一人の彼の顛末を食い入るように見ていたが、いつか、その視線は一対の大木の根元、その根のはびこる地面に注がれていた。彼は、理解した。どれだけ自分の中にいる昔の自分が、怪我をしてしまった今の自分を醜悪になったと思えど、自分の夢を壊されたと考えれど、自分は、そんな気持ちをばかり持っていたのではなかったことを。しかしそれも自分だった。向き合ってはこなかった自分だった。

 彼は夢を持つ人間だった。ずっと同じ夢を持ち続けたかもしれない。しかし、そうではなかった。彼は色々な夢を持つことができる人間だった。彼は、自分が決して真っ白い道をこれから進むのではないことを、ようやく自覚した。木の根を見つめて、しげおは自分が進む道は、新しくないことを知った。つまり、まったく今までと違った道に、行くのではない。自分一人が、一人だけで行かなければならない道が、この先に伸びているのではなく。

 彼は急に自分が他の三人と一緒に自転車を漕いでいたことを思い出した。それはその四人のうち、彼だけがついまだ忘れていたことだった。


 しげおはその片目を寂しそうに他の三人に向けた。その視線は決して他の三人を自分の仲間だと見なしていない視線だった。彼は自分が置いてけぼりにされた、仲間はずれにされてしまったような心地になっていた。誰一人として、そう彼を見ていないにもかかわらず。彼は今も過去も自分が仲間とつながりすぎていた。必要以上に、自分と他人を同一視していた。それだからこそ彼は人好きのする性格で、人気があった。彼は、決して自分が一人で自立していると考えたことがなく、誰かと共にいなければ、自分は消えてしまうと思い込んでいた。

 てつやがそっと彼の手を握った。眼鏡の少年はしげおがまた消えてしまいそうに見えた。しげおはおとなしく彼に握られるままになった。すると、一対の大木は急に芽吹いて、緑色の葉に新しくさらに葉を付け、葉の上にさらに、花を付けた。それは桜の花だった。樹は満開の桜を咲かせた。

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