01 神童ダニエル・フォン・ダンストン
この世は綺麗事では回らない。
どれだけの美辞麗句を並べ立てようと、どれだけ着飾ろうと、実利が伴わなければ何の意味もない。
ここ、ダンストン公爵領はインダス王国の南東に位置する、広大な農地を要する豊かな土地だ。父上ハルバート•フォン•ダンストン公爵はインダス王国の宰相を勤め、国政を一手に担っている。
一昨年、先の国王陛下が身罷られてからは、私と同い年の幼い女王が即位し、実質的に父の傀儡として玉座に座る『お人形』になっている。
哀れなものだ。私ならば傀儡になどなりはしない。どんな手を使ってでも私を操ろうとする者共を排除して、実権をこの手に取り戻すだろう。
「坊ちゃま、旦那様が今夜お帰りになるとのことです」
そう、父が戻るという報せをもたらしてきた世話係のメイド、エルザを使ってもいい。
彼女は使える女だ。私の護衛も兼ねていて短剣術や短弓術、それに暗殺術に体術を身に着けていて、これまでに差し向けられた刺客を返り討ちにしている。
「そうか。わかった」
父上と会うのも久し振りだ。
宰相の父は多忙で、普段は王都にある別邸で、実質的な側室であるメイドと暮らしている。
メイドの存在は母上もご存知だ。公爵家を円満に、滞り無く運営するためには愛人という名の側室の存在を黙認しなければいけない。
母上も父上も、何よりも実利を重んじるお方だ。
『実利のためならば、悪と呼ばれる手段でもためらわずに選ぶ』
これが我がダンストン家の家訓。
そう、ダンストン家にとって理想や名誉など、実利に比べれば、地を這うダンゴムシ程度の価値しかない。
我が公爵家の利益こそが何にも勝る優先事項。その他のことなど取るに足らぬ些事だ。
「エルザ」
「はい、坊ちゃま」
「母上はいらっしゃるか?」
「はい。奥様は執務室にいらっしゃいます」
「私が会いに行くと伝えろ。今からだ」
「かしこまりました、坊ちゃま」
7歳年上の世話係、エルザはどちらかというと小柄で、顔立ちも可愛らしい。愛想のいい笑顔を浮かべれば美少女と呼べるだろう。
普段の彼女はジト目であまり表情が無く、感情の起伏も乏しい。が、自身の見た目を武器として利用するだけの覚悟と実力を兼ね備えている、優秀な護衛であり、優秀な手足だ。
「坊ちゃま、奥様が今すぐお会いになるとのことです」
「分かった。一緒に来い」
邸宅の廊下は掃除が行き届いており、使用人たちの誠実な仕事ぶりが歩いただけでもわかる。
重厚な扉の前で姿勢を正し、扉の奥へ声をかけた。
「母上、ダニエルです。入っても宜しいですか」
「えぇ、入りなさい」
失礼します、と言葉をかけてドアを開けると、整理整頓された執務室の奥、窓の近くにある執務机で書類を整える母上の姿が見えた。
隣国の王女であった母上は、父上が認めるほど有能な人物だ。
「今日、父上がお戻りになられるそうですね」
「えぇ、聞いていますわ。ふふふ……久し振りに家族が揃いますわね。ダニエルも身支度をするのですよ」
「はい。妹も、エリザベータも楽しみにしていると思います」
「えぇ、そうでしょうとも。それでダニエル? 今日の課題はもう終わっていて?」
「もちろんです。今日も大したことはありませんでした。もっと難しい課題が欲しいくらいです」
「まぁ、頼もしいこと」
妖艶な笑みを浮かべる母上は今日も美しい。
愚民どもは母上を怖がることもあるが、これほど美しくて愛情溢れた女性が他にいるだろうか。いるとすればエルザくらいだろう。
「あなたは優秀な子よ。このダンストン公爵家は次の代も安泰ね。でも怠らず励みなさい。いいですね?」
「もちろん心得ています、母上」
家庭教師は毎日何人もこの公爵邸に出入りしている。
語学、数学、歴史学、政治学、外交学、魔法学、剣術、体術、弓術、馬術。
毎日これらの科目の第一線の専門家がやってきて、座学と実技の講義をする。一昨年から始まったこの教育カリキュラムは、私の能力を大いに伸ばしている。
「公爵閣下もお喜びになります。今日は奮発させましょう」
母上は優雅に立ち上がるとこちらに歩み寄ってくる。美しく聡明な母上は私の顔を撫でると、使用人たちに声をかけ父上を迎える準備を始める。
「エルザ」
「はい、坊ちゃま」
「訓練をする。付き合え」
「かしこまりました、坊ちゃま」
エルザは事情を知らないものが見たらただのメイドだ。街を歩くと声を掛ける男もいる。が、その実力は短剣術も短弓術も最上級SSクラスには及ばないものの、Sクラスの冒険者に匹敵する。
時折私を見る目が四白眼になっていることもあるが、些細なことだ。
それに、護衛のためと称して眠るときも同じベッドに潜り込んで、やたら身体をさすってくることがある。仕事熱心で良い従者だ。
エルザとの徒手格闘の訓練でも、やたら寝技に持ち込もうとするエルザのお陰か、私も寝技が得意になりつつある。
妙に嬉しそうな顔のエルザは、なぜか胸元のボタンを外して、またしても寝技の構えだ。
良いだろう、相手になってやる。挑まれた勝負から逃げるなど、公爵家の嫡男として有ってはならない。
「さぁ、今日も相手を頼むぞ、エルザ」
「はい坊ちゃま、ご存分に」




