第54話 最初の記録
古文書庫は、湿っていた。
石造りの地下室。
灯りは少ない。
管理社会は記録を重んじる。
秩序は記録から生まれる。
だが、
その秩序の下に、
整理されていない束があった。
「ここです」
ダーレンは埃を払う。
例外調査局に臨時協力として招かれた、
古文書研究者。
学者だが、
神話を信じていない。
「百七十年前の地方記録。
夜が続いた、とあります」
羊皮紙には、
簡潔な記述。
――七日間、夜が明けず。
――作物は枯れず。
――人は眠れず。
――八日目に何事もなく戻る。
「被害は?」
エリオットが問う。
「特筆なし」
「竜は?」
「記述なし」
夜が来ない村と似ている。
だが、
今回は七日で終わった。
「偶発ではない」
エリオットは言う。
ダーレンは別の束を広げる。
「さらに古い記録です。
三百年前」
――川が凍らず。
――橋が渡れず。
――水は冷たいまま流れ続ける。
凍らない川。
同じだ。
「周期か?」
副官が呟く。
「不規則だが、
発生間隔は縮まっている」
ダーレンは慎重に言う。
さらに奥の棚から、
一枚の断片を持ち出す。
文字は古い。
筆跡も荒い。
――地は裂けず。
――空は落ちず。
――ただ、境がずれた。
境。
その語は、
複数の時代で使われていた。
「これは何年前だ」
「推定五百年以上」
室内が静まる。
例外は初めてではない。
繰り返している。
「そして……」
ダーレンは一枚の地図を広げる。
古い都市の位置。
今は存在しない。
「この都市は、
突然記録から消えます」
「戦争か」
「痕跡がありません」
地層調査では、
破壊の跡がない。
だが、
文明が“途中で終わっている”。
積み上げた層が、
ある地点で切断されている。
「縫い直されている」
エリオットが低く言う。
まるで、
破れた布を
縫い合わせたように。
「世界が……?」
リナが言いかけて、
言葉を飲み込む。
まだ仮説だ。
だが、
線は繋がり始めている。
例外。
周期。
消失文明。
縫合。
「もし世界が接合構造なら」
エリオットは言う。
「接合点には負荷が溜まる」
「そして一定周期で、
縫い直される」
誰も、
その言葉を口にしない。
“剪定”という語は、
まだ使われない。
だが、
意味は同じだった。
その夜、
凍らない川の一部が、
消えた。
正確には、
“元に戻った”。
氷点下の空気に、
水が凍り始める。
何もなかったかのように。
だが、
川底の石の並びが、
微妙に変わっている。
流路が、
数歩分、ずれている。
縫い直された。
例外は、
永続しない。
だが、
消え方が自然ではない。
遠く離れた畑で、
カイルは土を踏む。
畝の端が、
ほんのわずかに動いた。
誰も見ていない。
竜も現れない。
だが、
均衡の計算は、
確実に変わりつつある。
例外は増えている。
だが、
崩壊は起きていない。
それは、
世界が壊れていない証ではない。
壊れた箇所が、
縫い直されている証かもしれなかった。




